既成事実の勝利
本日付で、茶トラくんを正式に「うちの子」にした。
この一か月の間に目覚ましい進展があったのかと言えば、別にそういうわけではない。
要するに、既成事実を積み上げて、何となく「もういいでしょう」になっただけのことである。
決断のきっかけは、あるような、ないような――。
実は、去る一月二日に、数年ぶりで「お山」に行ってきた。
本当に久しぶりにyuuさんと、ボランティアのAさんにお会いしたのだが、このとき、
「どのくらいトライアルしてるの?」
「四か月ですね。」
という会話があったのだが。
このときのお二人の反応は
「じゃあ…ねえ。(笑)」
だった。
要するに、もう、正式譲渡になったものとみなした状態で、それ以降の会話は進んだのである。
ああ、やっぱりそうなんだな、と、思った。
そう。
四か月家に居たら、もはやトライアルではないのだ。(一般的には。)
外目にそう見えるというだけではない。当事者である我が家のメンバー、即ち二匹と私も、もう考えたり悩んだりする気力を失ってしまったらしい。
気が付いたら、それぞれ、誰がどこに居ようが、誰も気にしなくなっていた。
茶トラくんがご飯を食べている十センチ先を、アタゴロウが通過する。
もしくは、茶トラくんが食べているご飯を横取りしようと、二十センチ先で待機する。
茶トラくんの方は、さすがにアタゴロウ本体からは少し距離を取るが、彼の寝ている椅子の横を通って、彼の食べ残したご飯を回収に行く。
ちなみに、茶トラくんのデフォルトの居場所は、昼間は押し入れの中、夜はケージの上である。だが、私がアタゴロウにせがまれて何か食べさせようとすると、いつ何時でも、魔法のように姿を現す。
それを見てもアタゴロウは無反応だ。自分が食べ終わると、あるいは、出されたご飯が気に入らないと、まるで茶トラくんに譲ってやるとでも言わんばかりに、悠然と背中を見せて立ち去っていく。
つまり、好き嫌いは別として、互いに相手の存在を認めているのだ。
いつのまにか、茶トラくんのいる生活が「そういうもの」になってしまっていた。これが、私の、あるいは茶トラくんの「粘り勝ち」でなくて何であろう。
成猫の雄同士である。縄張り争いは本能の命ずるところだ。
と、いう事実を、私が受け入れられるようになったのも大きいのかもしれない。
ダメちゃんとアタゴロウがそうであったように、二匹が仲良くなり、くっつきあって眠ったり、毛繕いし合ったりする。当初、私はそれを狙っていたわけであるが、やはりそれは甘かった。
再び「お山」の話になるが、私が、「二匹が仲良くならない」話をすると、yuuさんは、
「成猫同士だからね。雌同士だともっと大変だけど。」
と、さらりと受け流した。
そりゃそうだよな。
何故か分からないけれど、その瞬間、私は妙に納得したのである。
無理やり分析すれば、そのとき私は、私以外の誰もが、二匹が仲良くなるだろうなんて期待していなかったんだ、と悟ったのかもしれない。
互いに相手を気にしないで生活できるだけの距離感が掴めれば、それで合格。仲良くなったら、僥倖。
いや、私だって、仲良くならずに共存するという可能性を考えなかったわけではないのだが、毎度、トライアル継続か終了かを判断するにあたり、ついつい、もうちょっといけるか?と、ゴールを遠目に設定してきてしまったように思う。
だが。
もういいや。
まだ喧嘩っぽいことはしてるけど、別に流血沙汰にもならないし。
アタゴロウのハゲも、治ってはいないけど悪くなってもいないし。
ま、そのうち何とかなるだろう。
遊んでるわけではないけれど、とりあえずアタゴロウの運動量は増えているわけだし。
ここまできたら、もう、むしろ茶トラくんを返すことを考える方が面倒くさい。
もちろん、きちんと状況を踏まえての判断もあるのですよ。
まず、その「喧嘩っぽいこと」。
アタゴロウが茶トラくんに突進し、茶トラくんが高所に逃げるという行動は、毎日ある。ときには、アタゴロウが手を出して茶トラくんを叩こうとしたり、実際に叩いて、そこからボクシングになったりもする。
だが、それだけ。
一瞬で終わる。
時々、「シャー」の声が聞こえる時もあるが、ふと気付いたら――これは確信がないのだが――、 声を立てているのは、むしろ応戦する茶トラくんの側が多くなっているような気がするのだ。
いきなり攻撃されたら、そりゃあ「シャー」くらい、言うよね。
もしかしたら、ひょっとしたら、仕掛けるアタゴロウの側は、そんなに本気ではないのかもしれない。
そして。
これは年が明けてからのことであるが。
アタゴロウが茶トラくんの匂いを嗅いでいる場面を、何度か目撃したのである。
最初は一月三日。背中の匂いを嗅いだところを見た。
その後、お尻の匂いを嗅いでいるところを、二、三度目撃している。
対する茶トラくんの方も、アタゴロウのお尻の匂いを嗅いだところを、一度だけ見た。
これは、歩み寄りではないだろうか。
しかも、である。
今日が二度目。二度とも偶然かもしれないが、二匹の鼻と鼻が、触れ合う寸前まで接近したところを、確かに見たのである。
ただしこれは、二度とも食事中の話で、互いが互いのご飯を狙ってせめぎ合っているさなかのことである。単に、相手が食べているものを気にして匂いを嗅いだだけかもしれない。
とはいえ、お互い、相手に鼻を近づけられても手が出なかった。先の理屈で言えば、十分合格である。
と、いうわけで。
何の感動も感慨もなく、きわめてなし崩し的に、茶トラくんは正式に猫山家の一員となり、「栗助」と改名した。
なぜ栗助かと言えば、元の名前が「クリス」だからである。
お山で、「クリス」が「栗助」になると話したとき、
「ネーミングセンスが…」
と、その場にいた私以外の三人(yuuさん・Aさん・猫カフェ荒らしのSさん)は、柔らかな笑いに包まれたのだが、それはきっと、誉めてくれたものだと信じる。
我が家の猫はみな、純日本風の名前を名乗るのだ。
と、言い切ろうとしたところで、例外がいたことに気付き、先日、遅ればせながら諡(おくりな)したので、その公表がてら歴代の猫の名前を並べておく。
三冬(ミミ)
大治郎(ダメ)
睦(むつむ/ムム)
愛宕朗(アタゴロウ)
玉音
栗助
並べてみると、なかなか味のあるラインナップだと思うのだが、どうだろうか。
なお、栗助の出身カフェは「にゃんくる川崎店」様である。
と、書けば、分かる方には分かると思う。
批判を覚悟で公表する。アタゴロウはFIVに感染していた。玉音から貰ったのだ。だから、最初からキャリアの猫を探して、同店に赴いた。
アタゴロウには他に、尿結石(ストルバイト)と喘息の持病がある。だからこそ、本当に栗助を我が家に迎えて良いのか、最後まで悩んだ。
今回、これで結論は出たわけだが、それが正しい決断であるという保証はない。彼のためを思うなら、もとより単頭飼いを貫くべきだったという意見もあるだろうし、私自身、そうかもしれないという迷いも、まだ心のどこかに残っている。
でも…もう既成事実なのだ。
我が家には、二匹の猫がいる。
愛宕朗と。
栗助と。
ぶっちゃけ、私にはもう、こいつが「栗助」にしか見えないのよね。