参加することに意義がある


 早いもので、また一か月経ってしまった。

 トライアル期間の切れ目である。

 だが、今度は、あまり悩まなかった。すでにトライアル延長をお願いした。

 何しろ、アタゴロウがハゲハゲなのである。今のところ改善の傾向はない。

 そうなると、こちらは常にアタゴロウのグルーミングに神経を尖らせることになってしまい、正直、現状として彼のグルーミングが過剰なのかどうか、良く分からなくなってしまっている。他にはとくに、彼がナーバスになっているような様子は見受けられないのであるが。 

 私が気にしているのは、ハゲハゲといい膀胱炎といい、アタゴロウのストレス障害の兆候が、最近になって表面化したということだ。

 彼のこのメッセージが、三か月トライアルを続けてみての「結論」であるのか、あるいは、新局面に向かう移行期間の「ゆらぎ」であるのか、見極めがつかない。

 なので、その見極めのためということで、トライアル延長をお願いした。

 そう言って、またズルズルと結論を引き延ばすことが、果たして良いことなのか。それも判断がつかないことではあるのだけれど。

 

 

 

 こんなことがあった。

 まずは先々週、十二月八日である。

 猫たちの夕食前、ふと見ると、椅子の陰に隠れたアタゴロウがお尻を振っている。

 と、思ったら、アタゴロウの奴、いきなり、ケージの一階にいた茶トラくんに向かってダッシュしたものである。
 驚いた茶トラくんがケージの二階に逃げると、アタゴロウはそのまま横にそれて、ケージの横にあるガリガリウォールでバリバリ爪を研いだ。それで気が済んだらしく、その後は、何食わぬ顔で戻ってきた。

 茶トラくんは、ぽかんとしていた。

 この、同じ動きを、間を少しあけて二回、やった。

 これは威嚇行動だったのか、遊びだったのか。

 やっていることは遊びっぽい。だが、おそらく、そこまで平和な話ではない。

 その後、同じ日か翌日に、アタゴロウがまた茶トラくんを襲っているところを見たが、その時は、手を出して茶トラくんをはたこうとしていた。明らかに喧嘩を吹っかけていた。茶トラくんが逃げると、それ以上、深追いすることはなかったのだが。 

 

 

 そして、これは二~三日前の話。

 またもや、アタゴロウがケージの中の茶トラくんに突進しているところを見た。

 茶トラくんはケージの二階にいた。このため、二匹は至近距離で、真正面から向き合ったわけであるが――。

 次の瞬間、アタゴロウが向きを変えた。

 目が合っただけで、お互い何もしていない。攻撃はおろか、声すら発していない。

 その何もする前に、アタゴロウはくるりと踵を返し、まるで茶トラくんから逃げるかのように、元来た道を走り去ったのである。

 これは通常、猫の「追いかけっこ」のときに見られる行動ではないだろうか。

 往復で、追う側と追われる側が入れ替わるという。

 茶トラくんは、やはり、ぽかんとしていた。

 これも、夕食前の出来事であった。 

 

 

 

 夕食前というタイミングから考えるに、つまるところ、アタゴロウは茶トラくんを狩ろうとしていたのではないか。

 もちろん、猫が猫を獲物にするというのは、自然界でも、多分、あまりないことであろうし、だいいち、茶トラくんは、アタゴロウの獲物には大きすぎる。あくまで、本能の命じた狩猟「行動」ということである。

 まあ、アドレナリンが出て調子づいたところで、普段から気に食わないヤツに喧嘩を売りに行ったのだ、とも考えられるわけであるが。

 いずれにしても、おそらく、アタゴロウ的には、茶トラくんを遊びに誘うなどという、微笑ましいことをしたつもりは、毛頭なかったものと推察する。

 だが。

 考えてみれば、そもそも、猫の「遊び」自体、狩猟本能を満たすための代替行動と言われているのである。「狩る」と「遊ぶ」は、最初から紙一重なのだ。

 だとしたら。

 ひょっとしたら。

「狩る」が「遊ぶ」に変わる。そんな日が、いつか来るかもしれない。

 何度も言うが、私は「成猫×成猫」の組み合わせで猫のマッチングをしたことがない。それゆえ、最初は必ずウーシャーからスタートする成猫同士が、どのような経過を辿って互いを受け入れるようになるのか、想像がつかずにいたのだが。

 もしかしたら、こんな道筋もあるのかもしれない。

 ふと、そんな期待を抱いてしまったのである。

 

 

 いやいや。希望を持つのはまだ早い。

 茶トラくんは、完全にアタゴロウを避けている。別に怖がっているわけではないようだが、彼にとってアタゴロウは「キレるおじさん」であって、茶トラくん自身のココロの平安を保つためには、決して関わり合いになってはならない相手なのだ。

 であるから。

 傍目には「遊びに誘っている」ようにすら見えたアタゴロウの行動に対して、彼が「ぽかんとして」いたのは、理の当然だ。仮にアタゴロウが本当に遊びに誘っていたのだとしても、彼がそれに乗るわけがない。

 自分の身に置き換えてみれば分かる。毎日、自分を怒鳴りつけている上司から、突然、飲みに誘われても、普通は行きたくないと思うに決まっている。どうせ、飲みに行った先で、また説教されるだけなのだから…と。

 これはなかなかの難問である。

 救いは、茶トラくんの方は、特にアタゴロウを嫌っている様子がないこと、くらいだろうか。

 

 

 

 

 古代ギリシャでは、ポリス(都市国家)間の戦争が絶えなかった。あるとき神託が下り、戦争に代えて屈強の男たちが力と技を競うようになったのが、オリンピックの始まりである。四年に一度の大会の時には、あらゆる都市国家の男たちは、戦争を止めて競技場に集まった――。

 と、いうのが、私が子供の頃に読んだ「オリンピックの始まり」の話である。(うろ覚えである。なお、実際には、もう少し複雑な話であるらしい。)

 命を懸けた「戦い」が、力のせめぎ合う「試合」に代わり、やがてそれが、「スポーツ」という娯楽となり、コミュニケーションツールとして生活の中に定着していく。

 そんな流れが、猫の世界にもないものだろうか。

 縄張りを懸けた衝突が、本能に基づく「疑似狩猟」となり、それがなし崩し的に「狩りごっこ遊び」となって、最終的には、友好的なコミュニケーションとして定着する。

 一瞬ではあるが、そんな道筋が見えたような気がしたのである。

 そうはいっても、アタゴロウの突進はなかなかの本気モードで、突進される側にとっては、まだまだ強い緊張感を強いられるレベルのものではあるのだが。

 

 

 まあ、ね。

 仮に、アタゴロウの突進が本当に、今の「本気」モードから「遊び」モードに軟化したとしても。

 茶トラくんの方がそれに乗ってきてくれないと、結局、「遊び」は成り立たないんだけどね。