他人の不幸は鴨の味
ダメちゃんの日課は、夕食後、キッチンマットに転がってグルーミングすることである。
寝そべったまま、体を舐める。時には、カウンターに寄りかかるようにして、完全に仰向けになっていることもある。
彼は万年ダイエッターなので、常に食事は腹八分目。それでも、適当にお腹が満たされて、一日のうちで最も幸せな時間ではある。
のんびりと身づくろいするその様子は、ほとんど幸せな結婚生活にどっぷり浸りきった、お腹の出始めた夫のそれである。
ヨメは、遊び食いをする。
イマイチ集中力に欠ける女なので、食事中、何か気を取られることがあると、ごはんを置き去りにして、さっさとそちらに行ってしまう。そのまま食べるのをやめてしまう時もあれば、戻ってきて続きを食する時もある。食事の量自体も、少しばかりムラ食いなところがあるので、続きを食べるか食べないかは好きにさせている。
ただし、本猫が皿の前を離れた段階で、残りご飯はすかさず引き上げる。さもないと、ダイエット中の置引き犯が、隙を衝いて盗み食いに走るからである。
ダメは、自分のご飯なら最後まで食べさせてもらえることを知っている。それゆえ、中身の多寡に関わらず、自分のもの以外の皿が放置されると、自分のご飯を中断してそちらに突進する。
とはいえ、食べるときの音が違うので、たいていすぐに、家主に気付かれてしまうのであるが。
今日も、ヨメは遊び食いをした。
カリカリを半分ほど食べたところで皿の前をふらりと去って行ったので、残りはいったん、保存容器の中に収納された。
今日の分はそれで終わりかと思われたが、しばらくして、ヨメは戻ってきて、空の皿の周りをカキカキしはじめた。
そのとき、ダメはすでに自分のご飯を食べ終わり、お代わりを欲しそうにしてみたものの家主に拒否されたため、まあ仕方ないか、と、皿の前を離れたところだった。
普段、ダメの目の前では、ヨメだけにご飯を出さないように気をつけてはいるのだが、とりあえずダメはその場にいない。そこで、残りのカリカリを、ヨメの皿に戻してやった。
ところが…。
猫どもの食事場所は、廊下を隔てて向き合う、洗面所と台所の間である。
つまり、そうやって台所の入口付近でヨメがご飯を食べ始めたところに、戻ってきたのである、ダメが。
日課の「ゴロンなめなめ」をするために。
あ、しまった、と思ったが遅かった。
グルーミングを始めようとして、キッチンマットの上に座り込んだダメちゃん。ふと見ると、目の前でヨメがひとり、自分は貰えなかったお代わりを食べているではないか。
(何で、ムムだけ…)
まるで金縛りにあったかのように、彼の動きが止まった。
彼の視線は、ヨメに釘づけになった。
痛いほどの彼の視線に気付いてか気付かなくてか、ヨメは平然とカリカリを貪り続ける。
そして。
夫を無視してカリカリを食べ終えた彼女は、ダメの方を振り向きもせず、悠然と浴室に水を飲みに向かったのだった。
呪縛が解けたダメは、ヨメの立ち去った後の皿を覗きに行ったが、そこにはもう、何一つ残ってはいなかった。
ダメちゃんはその日、日課のグルーミングをしなかった。
ダメもヨメも、規定量しか食べていないことは同じなのだが。
多分、ダメはそう思ってはいないだろう。
彼の心中を慮ると、同情で胸がいっぱいになる。
というのは。
実は、私はひそかな疑いを抱いているのだ。
そうでなくても、ヨメは遊び食いをするため、ダメより後に食べ終わることが多い。ダメより量が少なく、食べるスピードが速いにもかかわらず、である。そんなヨメを、いつも、先に食べ終わってしまったダメは、やるせない眼差しで眺めている。
そんな光景を見て、前々から思っていたのだが。
ひょっとしてヨメは、自分の食事時間を意図的に引き延ばし、わざとダメに見せびらかしながら食べることに、悪魔的な喜びを見出しているのではないか。
そうだとしたら、相当に性格の悪い女である。
ヨメよ。
他人の羨望をおかずに食べるメシは、そんなに旨いか。
気を付けたまえ。いつかキミだって、ダイエットの哀しみを知る日が来るかもしれないのだから。
(え…!?)