危険なSammas Night

 

(写真撮り忘れました。空のパックです。)
 
 
 金曜日は、さんまパーティであった。
 私の利用している生協は、毎年この時期になると「鮮魚さんま」というのを企画する。普通の魚介類は冷凍品で届くのだが、この「鮮魚さんま」は、獲れたてを冷蔵で送ってくるのがウリで、届いた日を含めて2日以内で食すことになっている。
 ただし、この商品は、最低2匹パックである。我が家のような、人間が一人しかいない世帯は、2日続けてさんまを食べるか、誰か協力者を募るか、ということになる。(どうしても無理なら、先に焼いておいて、冷蔵庫で保存するという手はある。)
 別にさんま2連チャンが嫌なわけではないが、私の好みとしては、できれば、協力者を募りたい。季節モノは、複数人で食べた方が盛り上がる。
 我が家の配達日は木曜日。実際には、さんまは前日に届いていた。が、山梨から帰宅してから夕食の支度をする気分には、結局なれず、その日は、Sさんと一緒に外食してしまった。
 と、いうわけで。
 金曜日。我が家の冷蔵庫には、手つかずのまま2日目を迎えた「鮮魚さんま」が、そのまま眠っていた。これを今日中に何とかしなければならない。だが、わけあって、今年はまだ、協力者募集をしていなかった。
 半日あれこれ悩んだ末、昼過ぎ、ダメモトと思いつつ、友人こっこにメールした。
“さんま食べに来ない?遅くてもいいよ。”
 こっこは忙しい人である。ほぼ毎日残業だと聞くから、ひょっとしたら、定食屋代わりに立ち寄ってくれるかもしれない。
 それに加え、彼女は猫好きなのに、現在、身近に猫がいない。それゆえ、私の家や、友人さくらの家で、ダメちゃんややっちーと触れ合うことを、エステやマッサージに匹敵する「癒し」としている人なのだ。
 果たして、5時過ぎ、こっこから返信があった。
“9時過ぎるけど、行ってもいい?”
 もちろん、OKである。
 かくして、夜更けのさんまパーティー開催が決定され、私は久々に、真面目に食事の支度に取り組んだのであった。
 
 
 9時過ぎ。こっこが、お土産のプリンを携えてやってきた。
 聞けば、やはり毎日残業続きなのだと言う。
「こんなちゃんとした食卓久しぶり。嬉しい。」
 彼女は、本来、きちんと料理をする人のはずだから、相当忙しいのだろう。
 ちなみに彼女は、お正月、ダメちゃんを膝に乗せている写真を掲載した人と同一人物である。なぜか不思議と猫にモテる人で、我が家に泊まりに来た時、初対面のはずのミミさんが、彼女の布団でしっかり寝ていたことは、私にとっては忘れられない事件の一つとなっている。
 ダメも、割合はじめから、彼女には懐いていた。
 人のことを簡単に見忘れるダメであるが、今回、さすがに彼女のことは覚えていたらしい。逃げも隠れもせず、私たちが座卓を囲んで食事を始めると、さっそく近くにやってきた。
 目的は、もちろんさんまである。
 焼いている時から、グリルの前をうろうろしていたのだ。
 鼻を上げてふんふんと、おいしい匂いを胸一杯に吸い込み、それから、ありったけの思いをこめて、私を見つめる。
「駄目。あげないよ。」
 すげなく追い払う私。
 ダメは、あっさり諦めた。
 と、思ったら、こんどはこっこの隣に行き、彼女の方に、切ない視線を送り始めたのである。
「ごめんね、あげられないの。ご主人様が駄目って言ってるでしょ。」
 私は絶対に食卓から人間の食べ物をやらない。それをよく知っているこっこは、きちんと断ってくれた。
 もちろん、そのことは、ダメ自身もよーく知っているはずである。
 が。
 彼は諦めない。
 再び熱い眼差しをこっこに送り、それから、彼女の至近距離で「ゴロン」をしてみせた。
「まああ、悩殺ポーズ!」
 こっこは嬉しそうに言う。
 こいつ…
 諦めが悪い。私以外の人には。
 そう。ダメはよーく分かっているのだ。私にはどんなに哀願しても無駄だということを。
 そういえば、こいつはいつも、私が友人と一緒に食卓を囲んでいると、必ず私以外の人間に甘えに行く。
 一応、最初に、私に対して物欲しげな目を向けるが、その後は、私の方を全く顧みない。最初に私を見るのだって、ほとんどお義理みたいなものである。
 
 

証拠写真@今年の新年会。手はさくらのもの)
  
  
 それにしても、ダメのやつ、今日は何だってそんなにしつこいんだろう。
 そんなにさんまが好きなのかな?
 そこで、思いだした。
 そういえば、猫どもに、さんまの頭としっぽを与えたことがある。
 正確に言えば、一度は盗られ、一度は与えた。窃盗事件のおとり捜査のために。
 捜査の結果。
 窃盗犯はヨメであった。おとり捜査に供出されたさんまの頭を、まだ1歳未満だった小娘は、上を向いてタテ方向にバリバリと一気食いしたのであった。
 ダメはその時、そのさんまの頭を食べようとして噛み割ることができず、やむなくヨメに譲ったのだった。自分はしっぽを食べて、果たして満足したのか、しなかったのか。
 この一件で、奴らは、さんまの味を覚えたのかもしれない。あるいは、この魚だけは例外的に、人間の食べる分を分けてもらえるものだと、勝手に認識したのかもしれない。
 その、さんまの頭をバリバリ噛み砕いたヨメも、すでに亡い。
 思い出して、何だかホロリとした。
  
  

  
  
 頭くらいなら、やってもいいかな。
 かかってしまったお醤油を洗い落とせば、まあ大丈夫だろう。
 急に、そんな気分になった。
 だいいち、あんなにしつこくされては、こっこだって落ち着いて食べられないだろう。ここは何とか彼の気をそらせて、うるさい「おねだり」をやめさせなければ。
 私は、自分の皿の上に残った、さんまの頭を取り上げた。
 台所に持って行って、水道水で洗い、ダメのごはん皿に載せる。
「ダメ、おいで。」
 それまで、こっこだけに注目し、私に全く注意を払っていなかったダメが、はっと顔を上げた。
「ミギャー!」
 興奮のあまり、もの凄い声を上げて、彼は一目散に走ってきた。その目は、一緒に暮らしている私でさえ滅多に見ることのできない、野性のきらめきを宿していた。
 
 
 およそ5分後。
 私たちは平和に食事の続きを楽しんでいた。
 ムシャムシャとさんまの頭(もちろん、私が指でほぐしてやったものだ)を貪っているダメを見るのは、それなりにほのぼのとした気分をもたらすものであった。
「猫って、やっぱりお魚が好きなんだねえ。」
 こっこが、しみじみと言う。
 私はすでに、さんまを食べ終わっていた。頭はダメにやってしまったので、皿はからっぽ。(私は基本的に頭以外全部食べる。)これで自分のさんまを無駄なく合理的に分け合ったことになるし、これで諸方丸く収めた、という自己満足があって、何となく、一生懸命食べるダメが、愛しく思えていた。
 そのダメが、さんまの頭を食べ終えて戻ってきた。
 そして。
 再びこっこの隣に座った。
「あれ、まだ食べたいの?」
 改めて、悩殺ポーズ。
「まあ。ダメオさん。いけないわ。誘惑しないで。――と言っても、もうダメちゃんも若くはないのよね。」
「そう。もういいトシだわね。」
 そのいいトシのオヤジ。中年男のあつかましさで、こんどは、座布団の上のこっこの脚にぴったりと寄り掛かってきたものである。
「駄目。駄目。いけないわ、ダメオさん。」
 こっこはさんまのハラワタをつつきながら、喜びに身悶えして口走る。
「私、もう駄目。堕ちるわ、堕ちる。…ああ。中年男の狡猾なテクニックに絡め取られた私…。」
 彼女のエクスタシーは、すでに極限に達していた(かどうかは分からない)。
 何ということだ。
 この男は、私のヒモでありながら、私の親友を誘惑し、理性が崩壊するまでに、その優しい心をもてあそんだのだ。
 まあ、ダメにしてみれば、骨まで喰い尽くす私のと違い、一般的な日本人女性であるこっこの皿には、頭以外にも、骨だの皮だのハラワタだの、いかにもおいしそうなパーツがいっぱい残っている。他にも食べてみたいものがあったのだろう。
「それじゃ、私は皮を…。」
 こうして、このチョイ悪中年男は、自分が居候している女の親友である、仕事に疲れたキャリアウーマンを誘惑し、彼女の(さんまの)柔らかい皮膚を吸ったのである。
 それも、私の家の中で。
 私の見ている、目の前で。
 
 
 私に遠慮して、こっこはさんまの皮を、わざわざ食卓から離れたダメの食事場所まで持って行き、皿の中に入れてやった。
 彼女について走って行ったダメは、もらったさんまの皮をガツガツと食べ尽くしてから、三たび、私たちの方へと戻ってきた――かに見えた。
 が。
 食卓近くまで歩いて来た彼は、途中で急に方向転換し、もはや私たちの近くには寄らず、和室の前の冷たい床の上に悠々と座って、グルーミングを始めたのである。
「もう、私たちに用はないってわけね。」
 こっこが、静かに言う。
 怒りも恨みも、いかなる感情も伴わない、完全に醒めた声で。
 そう。そんなものよね。
 でも、それは彼が猫だからなのか。
 それとも、狡猾な中年男だからなのか。
 
 
 要するに、私たちは二人とも、この中年男に、いいように利用されたのだった。
 
 

  
  
 その後、私たちは、更に強まる女の友情を感じ合いつつ、デザートのプリンで気分なおしをすることにした。
 座卓の上の皿や、残った料理を二人で台所に運び、生ごみをさっと(ダメを誘惑しない程度に)片付ける。
 と。
「あーっ!!」
 こっこが、急に叫び声を上げた。
「コラ!駄目だってば!」
 はっと顔を上げると、ダメが座卓の上に前足をかけて立ち上がり、残しておいた冷茶のタンブラーを覗き込んでいた。
「ダメ!!」
 私が思わず大声で叫ぶと、ダメは慌てて前足を下ろし、走って逃げた。
 普段は決して、こんなことはしないのに。
 珍しく人間の食べ物をもらえたから、つい調子に乗ったものと思われる。
「やっぱり、ご主人様が言うと違うわね。」
 こっこが、感心したように言う。
 まあ、ね。
 だって、彼は私のヒモですから。
 何だかんだ言って、奴は一応、私を恐れているのである。
(怒らせて追い出されでもしたら、元も子もない。)
 狡猾な中年男である。そのくらいの計算はしているに違いない。
 それにしても。
「でも、結局、なんにもなかったあたりが、いかにもダメちゃんらしい…。」
 こっこが静かにつぶやいた。
 この人は常に、あくまで静かに優しく、真実を指摘するのである。
 
 
 この後、私たちは楽しく美味しくプリンをいただき、心の広いこっこは、快くダメちゃんと再会を約して、猫のいない平和な自宅へと帰って行った。
 今年のさんまパーティーは、終わった。
 以後は、さんまは飲み屋で食べることにしよう。そうすれば、中年男に誘惑されることも、中年男を誘惑することもない。
 こうして、この話は終わるはずだった…のだが。
 
 
 およそ24時間後。
 ダメは熱を出した。
 この食欲魔獣が、翌日の晩ごはんに、まったく口をつけなかったのである。
 おかげで私は、友人さくらとの飲みの約束をキャンセルすることになった。(涙)
 
 
 一昨日は、ヨソの猫の匂いを全身につけた私と一緒に、初対面のSさんが、やはり猫臭をプンプン漂わせながら、家にやってきた。
 その次の日は、こっこを相手に慣れないチョイ悪オヤジを演じ、自ら大興奮のるつぼに巻き込まれた。
 二日連続のお祭り騒ぎで、疲れ切ったものと思われる。
 このため三日目は晩ごはんさえ食べられず、四日目(今日)には、医者に連れて行かれるハメになった。
 まあ、今朝はちゃんと食欲はあったのだが。大事をとって、ということで。
 念のため申し上げておくと、動物病院で検温したところ、熱はすでに下がっていた。
「夏バテしちゃったかね。」
 いえ、そうではなくて…と、私が事情を説明すると、先生はあっさりとおっしゃった。
「この子は、気が小さいからねぇ。」
 病院嫌いのダメは、最初から、しっぽボンバーであった。
 チョイ悪中年男の、ショボいオチである。
 
 
 
 

 チョイ悪じゃなかったの?