猫又考
先日、天竜いちごさんから「青の祓魔師(エクソシスト)」なる漫画を借りた。
私はとんと世の中に疎いので知らなかったのだが、今、人気の作品らしい。アニメも放映されていると聞いた。
で、なぜそれを読むことになったかと言うと…
説明したいが、実はさっぱり覚えていない。
何しろ、発端は飲み会の席での話で、私はすでに、ただの酔っ払いと化していたからである。
察するに、天竜さんたちの話を聞いて、「面白そう!読みたい!」と、彼女にねだったのに違いない。
で。
読んだ。
「どうでした?」
ありがとう、とお礼を言いつつ、読み終えた巻を返す私に、天竜さんが期待をこめた眼差しで尋ねる。
が。
何も考えていない、おバカなセンパイの感想は、
「クロ、かわい〜!!」
の、一言だった。
いやもちろん、ストーリーも面白かったのだが。
クロの可愛さに、私は萌えた。
クロは、主人公の「使い魔」となる「猫又」である。「使い魔」と言っても、普段は通常の猫サイズ。尻尾が二股になっている以外は、普通に猫である。
ただし、いわゆるテレパシーのようなものなのだろうか。主人公とクロは、会話ができる。そのため、クロには、台詞がちゃんとある。
で、それを読むと。
素直なんだ、こいつ。
性格に、ひねたところがない。
絵も、猫として写実的とは言えないが、可愛らしくデフォルメされた猫の絵があまり好きでない私にも、受け入れられる類の愛らしさだった。
いいなあ、猫又。
別に、日頃猫と会話したいと願っているわけではないが、こんな猫又なら、身近にいたら楽しいな、と、思ってしまったのであった。
そう、かつてジンと一緒に暮らしていた頃は、時折、彼女に向かって、
「長生きして、猫又になりなさいね。」
と、話しかけていたものだった。
結局、彼女は猫又になる前にお星様になってしまったのであるが、彼女は、長生きしたら本当に猫又になれそうな雰囲気のある猫であった。
一方、我が家のダメちゃんは。
こいつは、たとえ200年生きたって、猫又にはなりそうもない。
彼には猫又性を感じさせる何かが、決定的に欠けている気がする。
断わっておくが、それは不気味さといったものを意味しているわけではない。
ジンだって、気は強いが甘えん坊な、普通の可愛い飼い猫だったのだ。
そして、「青エク」のクロだって。
人間が大好きで、主人公にしっかり懐いている、という設定である。
「猫又」をネット検索から拾い読みしてみると、どうやら、長寿の飼い猫が猫又化する、という言い伝えは、江戸時代に生じたものらしい。
歳をとった猫は、尻尾が二股に分かれるとともに、人語を解し、二足歩行をするようになる。怖い話では、猫が猫又として認められるために、飼い主を殺すというものもあれば、おちゃめな話では、手ぬぐいを被って踊る、というのもあった。
いやはや。
ジンちゃんが、猫又にならなくてよかった。
私だって、命は惜しい。
ついでに言えば、彼女が手ぬぐいを被って踊る姿は、とても想像できない。ダメちゃんなら、それは有り得るかもしれないが。
それなら、ダメちゃんに猫又性が感じられないのは、なぜか。
私のイメージでは、「猫が猫又になる」ということは、忌まわしいことというより、猫にとっては出世というか、殿堂入りに近い、輝かしい名誉であるような気がする。
となると、殿堂に入れる猫は、やはり、ただ歳をとっているだけではなく、知性・猫格ともに人並み(猫並み)外れた、ひとかどの猫であろう。
人間なら、「賢人」と呼ばれ、尊敬される翁・媼である。
ところが、ダメちゃんの老後のイメージは、賢人というより、誰にでも愛される好々爺、である。
思うに、賢人と呼ばれる人は、ただ「年の甲」で知識と経験を積み重ねているだけではなく、後進に道を譲った後も、世の中の動きを敏感に察知しつつ、その知識と経験をもとに、物事の本質を見抜き、先を見通す、柔軟で大局的な視点をも備えている人物である。つまり、死ぬまで精神の活性を失わない人々だ。
対して、好々爺となりうる人は、基本的に、後継者に全てを任せた後は、自身の身の丈の幸せに満足し、しっかりと隠居を決め込む人たちである。
ジンは常に、聡明さとチャレンジ精神と、そして、レジスタンス精神を失わない猫であった。(ただし、レジスタンス精神を失わない猫が、飼い猫として適格であるかどうかは、飼い主の好みによる。)
そして、ダメちゃん。
キミには素晴らしい素質がある。
キミは間違いなく、非の打ちどころのない、完璧な好々爺になれるぞ。
と、考えた瞬間に、ダメの返事が聞こえてくるような気がした。
確かに。
そうだよね。
そうでなきゃ、困るよね。
何しろ、一説によれば、猫が人語を理解するようになり、尻尾が二股に分かれてくるのは、「10歳を過ぎたころ」だというのである。
だとしたら、今の世の中、猫又だらけではないか。
だがしかし、その割には、人間が飼い猫に殺された、という怖い話は、幸いにも聞いたことがない。
尻尾が二股になっている猫にも、手ぬぐいを被って踊っている猫にも、少なくとも私は、出会ったことはない。
思うに、現代の飼い猫は、そもそも、規定年齢に達しても、血なまぐさい務めを果たしてまで猫又になってやろうという、野心がないのであろう。
生まれてこのかた、狩りなんかしたことがないから、自らの爪や牙を血に染めた経験がない。人間に100パーセント馴染んでいるから、昔馴染みの飼い主を殺すのは、あまりに後味が悪い。だいいち、そんなことをしたら、今の安楽な生活を失うではないか。
地位や名誉よりも、小市民的な幸せを満喫したい。
それが、現代の飼い猫のスタンダードなのである。
猫だって、現代っ子なのだ。有難いことに。
ちなみに天竜さんは、夢も意欲もファイトもある、今どき珍しい、猫又系の若者である。
もう十分、ビッグだと思うけど。