ミミ姉さんの教え

 


 自慢ではないが――いや、自慢だが――、私の周囲の人々の間で、ダメちゃんは「良い子」と言われている。
 主に「お行儀が良い」という意味である。
 震災の時、我が家に泊りに来た先輩が、後日「お行儀のよい子たちで…」というお褒めの言葉を下さったことは、前にも述べた。
 その宣伝効果なのかは分からないが、職場の猫好きさんの中には、ダメちゃんに会ったこともないのに、
「うちのは、ダメちゃんみたいにいい子じゃないから…」
なんて言葉を漏らす人さえいる。
「ダメちゃん、もう、人間になった方がいいんじゃないですか。」
と、天竜いちごは言う。
 確かに、ね。
「石の上にも三年」「雨だれ岩をも穿つ」「意思あるところに道は開ける」を、座右の銘にしている猫なんて、実に猫らしくない。
 と、まあ、冗談はさておき。
 そう言われてみると、ダメは確かに、家庭猫としては本当によく出来た奴なのだ。
 人間に爪は出さない。
 人間の食べ物に、手は出さない。
 建具や家具で爪を研がない。
 植木鉢にもゴミ箱にも、部屋に散らかった雑多な物にも、決していたずらはしない。
 立ち入り禁止と上乗り禁止は、私がいれば、きちんと守る。(留守の時にはこっそりやっている。)
 しかも、人間が朝寝をしているときは、目を覚ますまでじっと待っている、と、きたもんだ。
 私が、ラップをかけたご飯やおかずを出しっぱなしにして外出していると言うと、たいていの人はびっくりする。
 私のしつけは、そんなに厳しかったのだろうか。
 否。
 それは断じて、ない。
 私は元来、いい加減な人間である。それに、最初の猫であるジンちゃんは、「悪いと知っているからわざとやる」タイプの生粋の悪女であったから、むしろ、猫が悪さをするのは当たり前だと思っていたクチなのだ。
 では、なぜ…。
 唯一考えられる可能性。それは、彼の体にたたきこまれた“お行儀”は、彼の先輩である、亡きミミさんの教育の賜物なのではないか、ということ。
 
 

  
 
 ミミは、根っからの優等生猫であった。
 おそろしく賢い猫で、今考えても、彼女は人間の言葉を理解していたとしか思えない、そんな子だった。
 賢い、という点にかけては、ジンちゃんと互角なのだが、その知性の発揮の方向は、お互い、完全に逆方向である。
 悪女のジンとは逆に、ミミは、人間に気に入られ、褒められることを、誇りとするタイプの猫だった。
 ミミが我が家に来たばかりの頃、一度だけ、私はミミに怒鳴ったことがある。
 私が台所に立っていたら、ミミが食卓から対面カウンターの上に登ってきて、甘えるように「ニャア」と言った。
「こんにちは」を、言いに来たのだろう。
 が。
 食卓とカウンターは、猫上乗り禁止にしようと思っていた私は、とっさに
「こら!」
と、怒鳴った。
 驚いたミミは走って逃げ、ベランダに向かう和室の掃き出し窓の前で、必死に毛繕いを始めた。そのとき、様子を見に来た私の目に映った彼女の表情は、
(プライドが傷ついた…)
としか、解釈できないものであった。
 多分、ミミがもと飼われていた家のキッチンは、対面カウンター式ではなかったのだろう。彼女は、カウンターが乗ってはいけない場所だなんて、知らなかったのだ。
 もう一つ。
 我が家に来てすぐ、彼女は下痢をした。
 ごはんが合わなかったらしい。
 当時、我が家は現在と同じシステムトイレで、砂はシリカゲルを使っていた。シリカゲルは水洗トイレに流せない。経験した人はよく分かるだろうが、その状態で下痢をされると、もう、目も当てられないことになるのだ。(そこが、シリカゲルの大きな弱点である。)
 彼女が悪いわけではない。だが、あまりのことに、私はイライラした。
「下痢猫!」
 傍で申し訳なさそうに私を見ている彼女に、私は何度か悪態をついた。
 どうせ、人間の言葉なんて分からないだろうから…という、油断があった。
 だが、そのときのミミの悲哀に溢れた目。彼女は理解していたのだ。
 この二つの事件は、私の一生の後悔である。
 
 
 猫は人間の言うことなんか聞かない。それが、一般的な認識である。
 が。
 本気で「良い子」になろうとする猫だって、いるのだ。
 ミミは推定1〜2歳で、首輪をつけたまま元の飼い主に捨てられた。自動車から降ろされるところを目撃した人がいるという。
 彼女の優等生気質は、もう二度と人間に捨てられたくない、という必死の努力であったのかもしれない。そう考えると、悲しい。
 良い子にしないと、捨てられちゃうのよ。人間の言いつけは守ること。
 ミミはそんなふうに、ダメに教えていたのだろうか。
 ダメだって、落ちこぼれの集団生活から、奇跡の脱出を果たしたばかりだった。やっと手に入れた静かな生活。それこそ、石にかじりついてでも手放したくない。
 生後10カ月にして初めてもらった自分専用の皿から山盛りのフードをむさぼりながら、ミミ姉さんの教えは、まだ痩せっぽちだった彼の、それこそ骨身に沁みたのかもしれない。
 
 
 そういえば、ダメちゃんの「お行儀」について、私が最も自慢に思うのは、彼の食事のマナーである。
 好き嫌いしない。
 そして、残さない。
 素晴らしくキレイに食べるのだ。このとおり。
 
 

 

  
  
 別に何もしなくても、こんなに綺麗に食べる。
 もちろん、ほんの小さなかけらは残る。だが、それだって、私が指で皿の隅に寄せるのを待っていて、その分もきちんと舐め取るのである。
 
 

  
  
 まだある。
 これがきわめつけ、なのだが。
 彼は、私が皿にカリカリをよそう間、じっと辛抱して待っているのである。
 絶対に、皿からしか食べない。
 保存容器やスプーンを狙わないから、よそうそばから、慌てて蓋を閉める必要がないのである。
 これは完全に、自慢してもいい話だと思う。
 それで思い出したのだが。
 ミミさんの闘病中、こんなエピソードがあった。
 ダイエット中のダメは、規定量きっちりのカリカリを一気食いした後、物足りなくて、常に空っぽの皿に未練を残している。その一方で、食の進まないミミさんは、皿にテンコ盛りにされたカリカリを、きわめてスローペースで、ちびちびと口に運んでいる。
 ダメはいつも、そんなミミさんの皿を眺めては、恨めしそうな眼をしていた。
 だが、彼は決して、ミミさんの皿から盗み食いなどしなかった。
 実に礼節をわきまえた男だったのである。
 が。
 あるとき、私は見てしまった。思い余った彼が、ミミさんの皿にそっと前足を突っ込み、カリカリを数粒、皿の外の床に掻き出すのを。
 他猫の皿のごはんを、盗んではいけない。
 だが、落ちているごはんは、拾得物である。
 彼なりの葛藤から導かれた、生きるための知恵であった。
 そうまでしても、彼はミミ姉さんの皿に口をつけることを潔しとしなかったのだ。彼に家庭猫としての生き方を教えた姉さんに仇なす行為など、義理堅い彼にはとてもできなかったのかもしれない。
 だが。
 笑える。
 あまり面白いので、当時の「ニューズレター」にも書いた。いかにもダメちゃんらしい、と、好評であった。
 ちなみに彼は、その同じ「お返し」を、後日、ヨメにやられている。裏技を教えたのが彼自身だったのかは、定かではないけれど。
 
 

  
  
 閑話休題
 昨日購入したビーズクッションであるが、その後、ダメはこの新しい物体に、まるきり無関心であった。
 昨晩は、クッションを無視して、その横に半ば重ねるように集められた、座布団の上で寝ていた。
 今日の昼間は、いつもの椅子の上。
 一向に、ビーズクッションに登ろうとする気配を見せない。
 やっぱり、あんまりウケなかったな。
 そう思っていたら、夕方、昨日の記事にさりりんさんからコメントをいただいた。
 さりりんさんも、ビーズクッションを検討されたらしいが、爪でクッションが破れ、中のビーズがこぼれることを心配していらっしゃる由。
 私も購入時、ちょっとその心配をしたのだが、外側はカバーで、ビーズは内袋に入っていることが確認できたので、まあ大丈夫だろう、と軽く判断していた。だが、改めて指摘されると、やはり心配になる。側面の厚い木綿生地はともかく、天面と底面の、薄いニット地はどうだろう。普段使っている座布団カバーより薄いし、爪もひっかかりやすそうだ。
 冗談じゃなく、本当に、猫使用禁止にした方がいいのだろうか。
 ちょっと考えて、だったら、さらに厚めのカバーを掛けよう、という結論に達した。冬場は、フリースの毛布でも買ってきて、ぐるりとくるんでしまえばいい。夏は、厚手のバスタオルとか、あるいは、思いきって座布団をのせてしまおうか。座ってみて分かったのだが、ビーズは保温性が高い。どのみち、夏はそのままでは暑くて座れないだろう。
 というわけで。
 とりあえず、手近にあった古シーツを四つ折りにして、クッションの上にかぶせた。
 シーツ4枚なら、そう簡単に爪が貫通してカバーと内袋に穴をあけるようなこともあるまい。試しに座って見たが、座り心地にも、特に影響はなかった。
 よしよし。これなら、猫使用禁止にしなくても大丈夫だろう…。
 
 
 と。
 その数分後。
 何気なく目をやると…
 
 

  
  
 ダメちゃんが、ご満悦の表情で、四つ折りのシーツの上に寝ていたのである。
 大昔から、毎日そうしていたかのように。
 
  
 ひょっとして、
 ひょっとして…、
 
 
 猫使用禁止のクッションが、猫使用禁止で亡くなったことを、彼は察知したのだろうか。
 本当は上で寝たかったけれど、「禁止」だからと、今までガマンしていたのか…
 
 
 もうすっかり、我が家になくてはならない存在となっているダメちゃん。 
 だが、ミミ姉さんの教えは、今も、彼の中に生き続けているのである。