ハンティング・スピリット
このごろ、私がお風呂に入っていると、決まってヨメが騒ぎ出す。
湯船に浸かってほっと一息ついていると、風呂場の外から「ニャオンニャオンニャオンニャオン」と、大声で延々と鳴き続ける声が聞こえてくるのだ。
淋しいのかな?と、最初は思った。(よしよし、可愛い奴。)
そこで、風呂場の戸を開けて呼んでみる。
「どうしたの〜?ムムちゃん。」(←いきなりちゃん付け)
が。
来ない。
そもそも、視界に入る範囲に、居もしないのだ。
これが忠猫ダメ公だったら、絶対に、足拭きマットの上、もしくは、脱衣所の入り口の壁の陰で、私が出てくるのを張っているところである。
まあ、ヨメは夫ほど勤勉ではないとはいえ、もし淋しいのなら、少しでも私の近くに来たがるのが道理でないか。
何度かそんなことがあって、ようやく私も、ヨメが「淋しがっている」説を捨てた。
あんのアマ(←いきなりアマ呼ばわり)、用もないのに、私の入浴を邪魔立てしやがるのだ。
と、思っていたある日。
ふと気付いた。
私の入浴中にヨメが騒いだ後、必ず目にするものがある。
それは、これ。
私が「ムムの親の仇」と呼んでいる、古手袋である。
もう見る影もないが、この手袋には、手首のあたりに、申し訳程度にラビットファーらしきものが付いている。(安物だから、本物かどうかは不明。)それが小動物らしさを醸し出すらしく、歴代の猫たちは、みんなこの手袋を玩具に育ってきた。
とくにヨメは、この手袋がいたくお気に入り(もしくは、お嫌い)らしく、彼女自身がこの手袋の1.5倍くらいしかなかった仔猫時代から、「にゃでしこジャパン」の次期FW候補と囁かれるようになった(?)現在に至るまで、毎日のように、玩具かごから引っ張り出しては、執拗に攻撃を続けている。
それがいつも、私がお風呂から上がった後の、通り道に落ちている。
場所は一定ではないが、必ず、私の目につくところにある、のである。
そういえば、ヨメは、嫁入り間もない一時期、やたらとこの手袋を私のところに運んできたことがあった。
それこそ、返しても返しても、懲りもせず持ってくる。
しかし、モノは何しろ、手袋である。
「どうあっても、私と決闘したいらしい。」
と、私は解釈したが、そこはオトナの余裕を見せて、気付かないフリをしておいた。
が、その話を職場でしたところ、
「手袋を二度投げつけるのは『侮辱』だよ。」
と、教えてくれた人がいた。
なるほど。
生意気な女だ。
だが、そんなことでオトナの余裕は崩れたりはしない。そのことは深く胸にしまっておいて、表面上は、あくまで気付かないフリを続けた私であった。
当時のことは、深く胸にしまいこみ過ぎて忘れていた私であるが、このたび、このようなことが起こるに及んで、
「ヨメの奴、どうやら、獲物を誇示したいらしい」
ということに、思い当たった。
猫が飼い主のところに、わざわざ獲物を見せにくるという、アレである。
それにしても、やはり謎は残る。
ひとつ。なぜ、ヨメは、私がお風呂に入っているときを狙って、大狩猟大会を催すのか。
ひとつ。なぜ、そのときに限って、獲物を見せたがるのか。
別に、私が部屋の中でフラフラしている時だって、家事をしている時だって、いいのではないかと思うのである。
ついでに言えば、ヨメが手袋を嬲っている現場なら、私も何度か目撃しているが、そのとき、ヨメはこんな雄叫びは上げていなかった。
なぜ、このときばかり、騒ぐのだろう。(夜中だって言うに。)
その謎を解くカギは、猫という動物の習性にある…
一説によれば、猫が飼い主に獲物を見せにくるのは、褒められたいからではなく、飼い主を「鼠一匹獲れないグズ」とみなして、獲物を分け与えるとともに狩りの方法を教えようとしているのだそうである。
つまり、私はヨメに、「手袋一匹狩れないグズ」と見なされているわけである。
それは、非常に心外である。
だったら、アンタが狩ってきて、そのへんに放置した手袋が、玩具かごに戻されているのは、一体誰の仕業だって言うのさ。
いや。だが、そこでヨメにケンカを売るのは、あまりに大人げない。
では、こう考えたらどうだろう。
ヨメは敬愛する姑に、戦勝報告とともに、自分の獲物を捧げているのだ、と。
それなら…まあ、いいか。
本当は、気持ちだけで充分なんだけど。(手袋だからいいが、これが鼠やとかげだったら、たまったもんじゃない。)
でも、それでも謎は残っている。
その健気なヨメは、何故、姑がお風呂に入っているときに限って、獲物を捧げに来るのか。
それは…
ひょっとして…
姑がお風呂で、くたばりかけていると思っているのではないか。
そりゃあ、さ。
確かに、お風呂で居眠りして、アンタに起こしてもらったことも、ありましたよ、実際。
でも、言っときますけど、お風呂で溺れそうになったのはアンタの方で、私はそんな失態、やらかしたことはありませんからね。
あ、そうか。
自分が溺れかけたから、心配してくれているんだ。
少々気に障るおせっかいだが、まあ、猫の思いつく心遣いなんて、そんなもんだろう。
と、思っていた矢先。
二、三日前のこと。
私がお風呂に入っていたら、例によってヨメが騒ぎ始めた。
そこで、一応、風呂場の戸を開けて呼んでみると。
いたのだ、ヨメが。脱衣所の入口に。
そして、彼女の足元には、狩ったばかりの新鮮な古手袋が。
彼女は、風呂場の入口まで進み出ると、戸の隙間から顔を突っ込んで、いかにも胡散臭そうな目つきで、風呂場の中を検分した。
「入る?」
と、私は一応、誘ってみたのだが、ヨメは返事もせず、無愛想に踵を返すと、脱衣所の外に立ち去った。
後刻、私が風呂から上がると、ヨメの姿はなく、手袋のみが置き去りになっていたものである。
予想に反して、私がお風呂の中でくたばっていなかったことが、彼女の傲慢さに裏打ちされた優しさを、暗に否定する結果となったためであろうか。
淋しがるどころか、私が寝るまで、ヨメは近くに寄って来もしなかった。
だが、それでも、手袋を置いていってくれたというのは…。
やはり、片付けは姑の仕事だから、ということであろう。
(やらせ写真に反対して、イカ耳になるの図)