爬虫類カフェ
今回の話題は、基本的に猫に関係ありません。予めお断りしておきます。
本日――といっても、このブログは翌日書いているので昨日のことであるが――職場の仲間4人で遠足に行ってきた。
行き先は、横浜。
メインのお目当ては、関内駅から徒歩10分足らずのところにある爬虫類カフェ「横浜亜熱帯茶館」である。
私は特に爬虫類好きではないのだが、子供のころ、家の庭にカナヘビ(トカゲ)の一家が住んでいたこともあって、抵抗感はない。
爬虫類が大好きなのは天竜いちごの方であって、彼女は、(1)恐竜好きだから、(2)本当は猫が好きだが、重度の猫アレルギーで毛皮のある連中とは触れあえないから、という二つの理由で、以前から爬虫類カフェに行きたいとさえずっていた。
で。
紆余曲折はあったのだが、他の横浜観光と組み合わせる形で、このたび、ようやく初訪問が実現したものである。
ヨシハル♀は、学生時代の友人たちに遠距離拉致され(旅行とも言う)、不参加。
メンバーは、天竜さん、猫カフェ荒らしのSさん、元囲碁少女のM嬢と、私である。
可愛らしく物静かなヤマトナデシコのMちゃんを誘うにあたって、天竜さんと私は、真剣に話し合った。
「爬虫類だからねえ。拒否られるかも…。」
「いや、案外『行ったことあります』とか言うかもしれませんよ。」
ううむ。
確かに、どっちも有り得るカンジがする。
と、いうわけで、まずは私が、
「Mちゃん、爬虫類、好き?」
と、努めてさり気なく訊いてみた。
「爬虫類、ですか?」
突然の意味不明の質問に思いっきり戸惑うM嬢。
「ええと、特に好きというわけではないですけど…」
困惑の表情で語尾を濁す彼女の様子に、これは申し訳ないことをした、と、反省した私は、ごめんね気にしないで、と、あっさり諦めて引き揚げた。
拒否られたよ、と、天竜さんに報告すると、烈火のごとく怒られた。
「それは誘い方が悪いんですっ! 猫山さんだって、『爬虫類好きですか?』と訊かれて、『好きです』とは答えないでしょ。」
まあ…確かにね。そりゃそうだ。
結局、天竜さんがこれこれこういうわけで、と、M嬢に説明し、私から見ればほぼ強引に、参加の約束をとりつけてきたのであった。
この一件を取ってみても。
爬虫類とは、難しい生き物である。
はっきりとキライな人ならともかく、爬虫類が嫌いでない、さらに、多少でも興味を抱いている人というは、「好きですか?」と訊かれると、どう答えたものか、やはり答えに窮するだろう。
実は結構好きだったとしても、素直にそう言ってくれるものかどうか。
だが、爬虫類に興味を持っている、と言われると、その人がちょっと知的に見えてくるのは、何故なのだろう。(かなり個性的にも見えるけど。)
かねてから私は、一般人がマニアとなった場合に「本当は好きだし、好きであることを内心自慢したいけど、恥ずかしくて人には言いにくいもの」として、太宰治とワーグナーを挙げていたが、爬虫類もそれに当てはまるかもしれない。
その爬虫類カフェに向かう道すがら、私たちは「爬虫類をペットにすること」について、つれづれなるままに話し合った。
「犬や猫は、大脳の感情を司る部位が発達しているから、感情表現が豊かなんだそうですよ。でも、爬虫類はそこが発達していないから、人間に対してタンパクなんじゃないですかね。」
え、そうなのか。
それでは、彼等は、飼い主に懐いてくれたりしないのだろうか。
「じゃあ、おうちに帰って『レオンちゃん、ただいま!』って挨拶してみても、飼い主の帰宅が嬉しくって、赤くなったり青くなったりは、してくれないわけ?」
「うーん、それより、レオンちゃんは壁の色に同化してしまって、見分けがつかないかもしれませんよ。」
そうか…つれない方々ではある。
まあ、飼い主が帰宅すると、飼い主には目もくれずに玄関に突進してゴロンゴロンする、どっかのオジサン猫と、どちらがつれないかは、検討の余地のあることであろうが。
(つれないレオンちゃん《想像図》)
(つれない大治郎さん《現実》)
そうこうして、地図を頼りに探した結果、無事に爬虫類カフェにご到着。
お店の「爬虫類スタッフ」には触ってもいいのだろうか、というのが、我々の疑問の焦点であったのだが、結論から言えば、触っていいのはリクガメの甲羅だけであった。
店内の一角に「放し飼いコーナー」が作ってあって、そこにリクガメさんがいる。他の爬虫類の方々は、水槽やガラスケースに入っていた。
お客は、何だかんだと、途切れずに入って来る。
意外に人気があるものである。
それにしても、爬虫類カフェは、静かだ。あまりにも静かすぎるからか、店内では、ラジオ放送を流している。
なぜ静かかって。
彼等は、ほとんど動かないからである。
そんなに頭を上げた状態でいつまでも静止していて、首が凝らないのかと、心配になるくらいである。
そして、多分、「爬虫類スタッフ」の3分の2くらいは、寝ていた。
この、やる気のなさ。
猫と一緒である。
その中で、元気に動いているスタッフさんが、一匹だけいた。
「放し飼いコーナー」に、大きいカメさんと小さいカメさんがいたのだが、その小さいほうのお方。
とにかく、一生懸命歩いている。
それを見ているうちに、私は、自分は絶対、リクガメは飼えないな、と思った。
切なくなってくるのである。
リクガメの脚は、もともと、泳ぐためにあった脚(ヒレ?)が、進化したものなのだろう。どうも、長距離歩行には不向きに見えて仕方がない歩き方なのである。
その上、体が平たく、脚が短い。一生懸命歩いているのに、ちっともはかがいかない。見ているうちに、切なくて胸が苦しくなってくる。
ダックスフントやチワワと一緒である。
そのことをSさんに言うと、こんな話をしてくれた。
「うちの近所に、大きなカメを飼っている家があるらしいのですよ。」
近所を散歩していたら、カメが天下の公道をのっしのっしと歩いて来るのに出会った、という。
「で、良く見たら、後ろから、小学生くらいの男の子がぶらぶらとついてくるんです。カメのお散歩中だったのですね。」
ふむ。カメの散歩ねえ。
それは忍耐が要りそうだ。猫の散歩みたい。
猫にハーネスをつけて散歩させると、奴等は、気が向かないと座り込んでいつまでも動かないから、人間は非常に手持無沙汰になったりする。私の友人は、暇つぶしに文庫本を持っていくと言っていた。
「いえいえ、それが、けっこう速いんですよ。その男の子は、油断していたら、カメが行き過ぎてしまって、慌てて追いかけていました。」
それは、「ウサギとカメ」の話ではないのか。
だいいち、その、「行き過ぎる」って?
「つまり、カメが公民館の前まで来ると、男の子がカメを持ちあげて、くるっと方向転換させて、また道に置くんです。そうすると、カメがもと来た道をスタスタと…」
何と。
合理的な散歩である。
感情を司る脳が未発達な爬虫類ならではの、便利な無感動さである、と、しばし感心してしまった私であった。
ところで、肝心の爬虫類の写真であるが。
実は、ワタクシ、大変お馬鹿な失敗をしたものである。
カメラを持っていくことは忘れなかったのだが、横浜に到着し最初の一枚を撮ったところで、電池マークが点滅していることに気が付いた。
バッテリー切れである。
だましだまし使っていたのだが、水槽の中のヘビさんの写真を撮ろうとしたところで、カメラがブラックアウトした。
と、いうわけで、自分では爬虫類さんの写真は一枚も撮っていない。
M嬢を含め、他の三人は狂喜乱舞して写真を撮りまくっていたのだが。
そして、天竜さんとSさんは、その都度、ツィッターでつぶやきまくっていたのだが。
ちなみに、M嬢が携帯で撮ったトカゲさんの写真が可愛かったので、
「待受にしたら?」
と、言ってみたら、案外本気で、
「そうですね。」と。
彼女は、自分の携帯を人に見せまくるようなお嬢さんではないのだが、今後、たまたまこのヤマトナデシコの携帯を覗き見ることがあった人は、そこに現れる大トカゲの待受画面に、さぞかし驚愕することであろう。
ただ、私は爬虫類の実物を見て実感したのだが。
彼等は、写真で見ても、その可愛さは分からないと思う。
実は、私自身、お店のHPで爬虫類スタッフたちの写真を見た時、ちょっと心配になったのだ。
日本で人間の身近にいる爬虫類は、ヘビもトカゲも、だいたい地味である。が、海の向こうの方々は、たいてい模様が毒々しく、ウロコが目立つのだ。写真で見ると、種類によっては、やはりちょっと引く。
が。
本物は、天竜さんいわく「お目目がつぶらでかわいい。」
そして、しぐさが愛らしいのだ。
下まぶたを持ちあげて、つぶらなお目目をパチクリさせていたり、後ろ足で首を掻いていたり、脚をぺたぺたさせながらちょこちょこ歩いていたり…
その目と、そのしぐさは、文句なしに可愛い。爬虫類のイメージが変わる。
だが、多分、今、私が「可愛い」と思う写真も、爬虫類慣れしていない人には、それなりに「キモい」という感情をもたらすものであろう。
まあ、そんなわけで。
爬虫類の写真は、この一枚にしておく。撮影者は、天竜いちごさん。
さて。
我々の爬虫類カフェ訪問記は、以上で終わりなのであるが。
実は、私たちが爬虫類さんを眺めながらお茶をすすっている間、ギャル風の女の子が二人、はしゃぎながらやってきた。
彼女たちは、一生懸命歩くリクガメさんが、いたく気に入ったらしい。
私たちは遠慮して、その時はテーブルにいたのだが、このお嬢さん方、お店のルールに違反して、放し飼いスペースの中でリクガメさんと戯れようとしちゃったようなのだ。
「カメは持ち上げないでくださいね。」
と、店員さんに注意されていた。
その後。
あれほど元気に歩きまわっていたリクガメさんは、じっと動かない大きなお仲間の陰に隠れるように、ベンチの下に潜ったきり、出て来なくなってしまった。
「人間の相手に、疲れちゃったんだねえ。」
と、私たちは話し合った。
昨今は、動物と言えど、生活のためには、人付き合いのストレスと闘わなければならないのである。
感情に乏しいはずの爬虫類さんに、何かシンパシーを感じてしまった一件であった。
いいでしょ。アンタたち、他にストレスないんだから。
おまけ。飲茶食べ放題のお店の前にいた、生活に疲れたパンダさん。
白い部分が黒ずんで見えるのは、光の加減ではなく、本当に灰色なのである。
せいろの蓋を持ち上げるたび、肩のあたりがカクンと震える。
長年の単純労働で、肩を痛めたものと思われる。
※イラストは下記から利用させていただきました。