NTTT出動

 
 
 
  
 ガス給湯機が、壊れた。
 スイッチを入れて、お湯を使ったり、お風呂を沸かしたりし始めると、ほどなくして勝手に燃焼が止まってしまう。
 モノグサな私であるが、さすがに看過することはできず、取り扱い説明書を調べて、保守・修理サービスに電話した。
 土曜日なのでちょっと心配したが、そのへんはさすがである。2時間足らずで、点検の技術者さんが来た。
 最初に電話したとき、エラーコードを告げたら、それは電気系統のトラブルで、おそらく部品の交換になりますと言われた。ただし――そこから先が恐ろしい。10年以上前の製品なので、もう部品がない可能性があります、とな。
 果たして。
 そのとおりだった。
 何となく予想はついていたのだが、部品の経年劣化みたいなもので、内部が過熱してしまうために安全装置が作動してしまう、とのこと。熱交換器はじめ主要な部品を取り換えないと解決にならないのだが、製造年から調べるに、すでに部品がありません、と。
 つまり。
 全とっかえ、である。
 あああああ。
 今年も、夏の旅行の夢は、早くも潰えた。
 これって、まさか、猫どもの陰謀じゃないだろうな。(そういえば、ヨメの奴、よく浴室で何かゴソゴソやってたっけ…)
 
 

  
  
 ところで。
 今回も含め、業者さんに家に来てもらうとき、玄関先で、
「実は、猫がいるので…」
と、先にお断りして、なるべくスリッパを履いてもらう。
 しかし。
 世の中には、結構猫好きがいるもんだ。
 お陰様で、我が家に来る業者さんは、これまで全員、猫オッケーな人だったので助かった。
 それどころか、
「猫がいるので…」
と言うと、みな、判で押したように、
「うちでも飼ってますから。」
と、答えるのである。
 いつも来る、火災報知機の点検のお兄さんしかり。
 電話工事に来たおじさんしかり。
 そういえば、光回線を導入したとき、サービスでPCの設定に来てくれたおじさんも、確か、猫を飼っていると言っていた。
 どの人か忘れたが、ダメちゃんを構おうとして、逃げられて残念がっていた方もいたくらいである。
 そして。
 今回の、湯沸かし器のサービスショップのお兄さんも、である。
 
 
 お兄さんは、たいへん礼儀正しく、愛想のよいサワヤカ青年であったのだが、若造と見くびったのか、ダメおじさんの方は、非常に無礼であった。
 おそらく遠慮してのことであろう、お兄さんは、リビングの中まで入ろうとせず、台所の入口付近(湯沸かし器のリモコンの近く)で説明をしてくれたのだが、そこは期せずして、猫どもの食事場所であった。
 ダメちゃんにしてみれば、猫の食事場所に人間が二人も留まっているのだから、当然、何か出てくるものだと思ったのだろう。
 玄関に続くドアを背にしてお兄さん、リビングを背にして私が、向き合って床に座り、話をしていたのだが、リビング側からのっそり歩いてきたダメは、私を押しのけんばかりにして、無理矢理、私の体と壁との間の隙間を通ってお兄さんの方に行き、あろうことか、お兄さんの書類がつまった鞄を、点検し始めたのである。
「あんたは、あっちへ行ってなさい!」
と、私は最低三回、ダメをリビングに追い払った。
 が。
 追い払いながら振り向くと…
 あれ!?
 ヨメが、リビングにいる。
 少々距離はあるが、ちょうどお兄さんの正面に当たる座布団の上に座って、こちらをじっと眺めていたのである。
 お兄さんに上がってもらうとき、私は、
「まあ、自主的に逃げてくれると思いますけど。」
と、言ったのであるが。
 今回に限って、なぜか、二匹とも自主避難を見合わせていたのであった。
 
 
 猫は猫好きの人が分かる、というが。
 お前ら…
 私の友達が来ると、逃げ隠れするくせに。
 それとも、私が設定した「今年の目標」に向かって、努力しているのだろうか。
 
 

  
  
 お兄さんは、なるべくダメの方を見ないようにして説明を続け、私も仕方なく(他に道はないので)、新しい湯沸かし器の設置工事の申し込みをし、ついでに風呂釜から浴槽までのパイプの清掃もお願いし…など、一連の事務手続きが終わった後、お兄さんは、
「何ていう猫ですか?」
と、訊いてきた。
「普通の雑種ですよ。保護団体から貰った子で…」
と、私は答えたのだが、まさか名前を訊かれたわけではないだろう。
「大きいでしょう。7kg近くあります。」
 ついでに、ちょっと自慢もしてみたのだが、よく考えると、ダメはどこから見てもキジトラ以外の何者でも有り得ない猫なので、もしかしたら、お兄さんは、視線の先にいる、奇怪な模様のヨメを不思議に思ったのかもしれない。
 お兄さんは、部屋を出る前に、リビングの方を振り返りながら、
「タワー、スゴいっすねえ。」
と、このときだけ、ちょっとだけくだけた口調になった。
「うちにもタワーありますけど、あんなに大きくないですよ。すごいですね。ツイン・タワーじゃないですか。」
「いえいえ。一般的なやつですよ。よく雑誌とかにも出てますし。」
 雑誌やネットの、読者(利用者)の投稿写真に、である。
 私はあくまで、「ごく普通のものである」ことを強調したかったのだが、言い終わってから、ふと心配になった。
 よく雑誌に出てる、なんて、自慢たらしく聞こえなかっただろうか。
 まあ、ねえ。
「このワンピ、JJの今月号に載ってるのよ。」
と言えば、そりゃあ自慢かもしれないが、
「うちのキャットタワーと同型が、今月号の『ねこきも』に載っているのよ。」
と、自慢する人は、普通はいないだろう、けど。
 
 
 こうした業者さんは、各家庭に上がり込むので、動物のキライな人には、冷や汗を流す場面も相当あるのではないかと思う。
 動物のみならず、行ってみたらちょっとご遠慮したいような家の中だった、という事態は、絶対にあり得ることなので、その職業につくこと自体、ちょっとした覚悟がいる。
 その最たる例が、タクシーの運転手さんだろう。
 タクシーは家庭に上がり込むわけではないが、どんな人が乗るか、どんな物を持って乗るか、予想がつかない。お客が乗った途端、空間の優先権はお客の方に移るわけなので、逃げようのない運転手さんは、それこそ運転席で冷や汗を流しているかもしれない。
 冷や汗くらいなら、まだいい。
 猫アレルギーの運転手さんの車に、猫を連れた人が乗ったらどうなるか。
 実家が引っ越す前、近所に動物病院なるものがなかったので、実家の猫どもは、贅沢にも、毎度タクシー通院をしていた。
 田舎の住宅街のことで、普段から車通りもほとんどない場所である。タクシーに乗るためには、毎回、電話をかけて迎車をお願いすることになる。
 猫を入れたキャリーを持って乗りこむと、必ず、動物の話題になる。
 すると、面白いことに、運転手さんは当然、毎回違う人なのだが、なぜか必ず、「うちも猫を飼っている」「うちは犬を飼っている」と、皆、何かしら動物を飼っている(いた)のである。
 これには、家族もみな、不思議がっていた。
 迎車を頼む時に、
「○○から△△動物病院まで」
と、係の方に伝えるので、
「動物好きな運転手さんを選んで寄越すのかねえ。」
と、話していたのだが、どうだろうか。地方の小さなタクシー会社で、そこまでしている余裕が果たしてあるのか、ちょっと疑問である。
 
 

  
  
 いや。
 本当に、そうだったのかも。
 会社の方では、「動物OK」と「動物NG」の運転手さんくらいは把握していて、近くにいる「動物OK」の車を探していたのかもしれない。そのくらいのシステムは、世の中では、普通に確立されていて不思議はない。
 そうでなければ、なぜ、我が家に来る業者さんは皆、自宅で猫を飼っているのか。
 
 
 高度に発達した情報化社会の今日。
 世間では「猫を飼っている家」の情報がネットワーク化されて、様々な業界で共有されているのかもしれない。
「東京都××区××。猫山家。2匹。オス7歳MIXキジトラ・メス2歳MIXサビ。(※年齢は2012年4月1日現在)」
みたいな。
 で。
 一般家庭への訪問サービスを行っている各業界もしくは各企業に、「猫対策特別チーム(NTTT)」が設置されていて、リストに登載された家庭から訪問依頼があった時には、隊員に出動命令が発せられるのだ。
 このシステムは、単に、猫アレルギーの従業員の生命と健康を守るためだけのものではない。
 猫飼い=猫バカ、である。
 猫バカは、自分の猫を褒められれば、必ず気を良くするし、宅の猫が懐いた人は、いい人だと勝手に思い込む。
 もし、猫飼いの家に訪問した隊員が、その家の猫を手なずけ、足元に絡んでくる猫のことを、
「可愛いですねえ。お行儀もいいし、賢そうだ。」
なんて、褒めてみたりしたら。
 飼い主は大喜び。もう、「次からもアナタにお願いしたいわ」と言うに決まっている。
 何と素晴らしい、営業効果ではないか。
 何しろ、私だって、勧められるままにパイプ清掃も頼んじゃったのである。
 きっと、熟練の隊員の中には、飼い主に気付かれぬように猫に鼻薬(マタタビ?)を嗅がせ、懐いたフリをさせている者もいるに違いないが、それが違反行為であるのかは、NTTTの服務規律を読んでみないと分からない。
 ひょっとして、もしかしたら…
 あの、お兄さんの書類の詰まった鞄のなかには、こっそりマタタビが忍ばせてあったのではないか。
 若造だと見くびって油断したダメおじさんは、その若造に鼻薬を嗅がされ、言われるがままに、世界で一番愛しているはずの私を裏切ったのだ。
  
  
 ところで。
 お兄さんは帰り際、
「本体とリモコンの写真を撮ってもいいですか?」
と、訊いてきた。
「どうぞ、どうぞ。」
と、私は快諾したのだが、内心、へえリモコンも撮るんだ、と、ちょっと意外の感を抱いていた。
 壊れているのは本体で、リモコンは何ともないのにね。
 お兄さんは、お風呂場と台所のリモコンをデジカメに収めた後、「片付けがありますので」と、一人で外に出て行った。ゆえに、本体の写真を撮るところまでは、私は確認していない。
 そして。
 お兄さんが帰った後、ふと、私は気がついた。
 そういえば、我が家の台所のリモコンの上には、友人が旅行先から航空便で送ってくれた、パリっ子のリシャールくんがいたのだった。
 
 

  
  
 お兄さん…
 まさか、本当はリシャールくんの写真を撮りたかったんじゃないだろうな。
 
 
 


 マタタビで? それとも、空腹で?