黒白創世記

 

 
 
 アタゴロウくんは、「残念な猫」と言われている。
「それを言ったら、ムムの方がよっぽど残念柄じゃない。」
と、姉は言うが、それはちょっと違う。
「残念」を辞書で引いてみると「もの足りなく感じること。あきらめきれないこと」(大辞泉)とある。つまり、
(もうちょっとでいいところまで行けたのに…)
という口惜しさが伴ってこそ、「残念」と呼べるのだ。「もうちょっと」のレベルに到達しないものを「もの足りない」とは、通常、言わない。目標が手に届く範囲にあって、はじめて「残念」なのである。
 してみると、ムムのようにアバンギャルドすぎて何とも形容がつきかねる柄は、やはり「残念柄」とは呼べないように思う。
 その点、アタゴロウくんは、まさに残念柄である。
 八割れ・タキシード・四つ足に白ソックス。
 それだけ聞けば、彼は完璧な黒白猫だ。
 だが、しかし――。
 
 
 友人さくらの職場の後輩さんは、アタゴロウの写真を見て、こうコメントしたそうである。
「何だか、酔っ払った神様が、筆をすべらせたような猫ですね。」
 私はその話を聞いて、雷に打たれたような衝撃を覚えた。
 酔っ払った神様!
 それは天啓であった。
 そうだったのか…。
 確かに、そう考えれば、全ては説明がつく。
 彼の顔にある、余計な柄。それは、最後に気を抜いた神様の筆が滑って、スミをつけてしまった痕跡に違いない。
 
 
 モミアゲと、
 
 



ハナクソと、
 
 

 
 
 顎の下の海苔。
 
 

  
 
 そして、もっと確信犯的な、コレ。
 どう考えても、酔った上での悪ノリとしか思えない。
 
 

  
 
 しかし、こんな悪ノリ作品が、正規品として大手を振ってまかり通っているところを見ると、アタゴロウの作者は、実は結構、偉い神様なのかもしれない。
 対して、非の打ちどころのないキジトラ柄であるダメちゃんは、おそらく、真面目なアシスタント神様の作品であろう。
 
 

  
  
 家庭で餃子を作る時、最後の一個でやりがちなアレである。
 
 

 
 
 
 極めつけ。
 いい気分で傑作を作り上げた神様は、自らの作品を、その大らかなココロの赴くままに、極めてテキトーに、下界へと放り出した。
 
 

   
  
 着地したのは、人里離れたお山のてっぺん。
 
 

  
  
 拾った人が必ずしも自分で飼うとは限らない、ということを、神様はお忘れになっておられたようである。