マイ・フェア・レディ
たまね、と読みます。
周囲の皆さんの反応は、古風な名前だね、とか、着物でも着せたくなっちゃうね、などといったものであったが、私としては、最初から純日本風の名前をつけるつもりであった。
愛宕朗と玉音。
中小藩の勘定方に勤める武士の嫡男とその嫁(お里は同じ勘定方に務める同僚の娘か姪)みたいで、いいじゃないの。
夫は、お城ではとくに目立ったところもなく、大過なく務めを続け、友人の誘いで道場通いもしているが、いつも師匠に打ち負かされて「恐れ入りました。」と、袖で汗をぬぐいながら屈託ない笑顔で引っ込むような男。妻は姑に従って淡々と日々の家事をこなしながら、参勤に従った夫が土産に買ってきてくれた江戸前の簪を、何よりの宝物として大事にしているような女。
猫じゃらしを唯一の趣味として、師匠に叱られても、いじけも凝りもしないアタゴロウと、器量は十人並み(か、それ以下)ながら、おとなしくて気立てのいい(今のところ)玉音。
そうそう。平凡が一番。
あとは、若夫婦+師匠が、仲良くなってくれることを祈るのみである。
そう。「ミミ」「ムム」の次は「メメ」と、長いこと決めていたのだが、先日、ふと、ミミもムムも短命だということに気付いてしまい、前例踏襲はやめることにした。
それに、ね。
猫飼いなら、一生に一度くらいは、呼んでみたいじゃないの。
自分の猫を「タマ」と。
以前にも触れた、大佛次郎のエッセイ「猫のいる日々」にこんなくだりがある。
大佛家の庭に、鈴をつけてよく遊びに来る小猫がいた。どこの子かと思った大佛が、ある日、
「君ハドコノネコデスカ」
と、荷札に書いてつけてやると、数日後、その小猫が、札をつけたまま遊びに来た。かわいそうに、と思って札をとってやると、思いがけず、そこには返事が書いてあったのである。
「カドノ湯屋ノ玉デス、ドウゾ、ヨロシク」
君子の交わり、かくありたい、と、大佛は書いている。私もこのエピソードが好きだ。
だが何と言っても、その小猫の名前、「角の湯屋の玉」が、何とも絶妙ではないか。
猫には出生届も飼い猫登録もないので、命名したと言ってもどこにも届け出るところはないのだが。
昨日、動物病院に玉音を連れて行ったので、ついでに名前を言ってきた。
「あら、古風な名前ね」
予想どおりの反応であった。
診察台に乗せると、
「あら、大きくなったわねえ。」
「ええ。太りました。」
体重は、850グラム。
一週間で300グラム増えた計算になる。体重55キロの人が一週間で85キロに増えたと考えれば、凄い激太りである。
毛皮もふっくらして、仔猫らしくなった。
「ヨシ、ワクチンだ。」
と、いうわけで、一回目のワクチン接種。
そして、白血病の検査。
見事、陰性であった。
「エイズはね、小さいうちだと母猫から抗体を貰っていて、擬陽性がでちゃったりするんですよ。だからもうちょっと経ってからにしましょう。」
あとは、気になるノミ問題。
「一見きれいになったんですけど、まだ毛の根元にノミ糞がいっぱいで…。」
「いや、これは、ノミ糞というよりヨゴレですね。――櫛でちょっと取ってやって。」
最後の一言は、先生が助手さんに出した指示。そんなわけで、再びノミ取り櫛で毛をほぐしてもらい、黒い塊はだいたい落ちた。
「もうそろそろ、一回洗ってやってもいいでしょう。今日は無理だけど。」
「じゃあ、明日にでも!」
勢い込む私に、先生が苦笑いする。
「明日はまだ駄目。二、三日してからにして。ワクチン打ったばかりだから。」
そうでした。残念。
で、一番心配していることを訊いてみた。
「あのう、ノミの卵が心配なんですけど、いつまで隔離しておけばいいですか?」
「ああ、卵ね。」
先生は、あまり気にしてもいない様子で答えた。
「×××(薬の名前。聞いたが忘れた)は、卵も殺すことになっていますから。」
え。
そ、そうだったの?
と言うより、私が勝手に、フロントラインスプレーだと思っていた。
先生が前回、「お掃除しなさい」と言ったのは、玉音を夜間救急に連れて行く前に、部屋の中に落ちたかもしれないから、という意味だったようだ。
どうりで。ネットを見ると、「猫本体より部屋の掃除!」「成虫より卵!」と連呼しているのに、先生の言い方が、何だか「ついで」っぽいなあ、と、少々違和感を覚えてはいたのだった。
そっか。
じゃあ、そんなに、バイキン扱いすることはなかったんだ。
とはいえ、清潔にすることが悪いわけではない。ケージの中のタオルやマットに、黒い点々が落ちているのを見ると、やはりちょっと、気味が悪いし。
「じゃ、ケージから出してもいいですか?」
「今日はまだ入れておいた方がいいでしょう。それと、まだ小さいから、留守にする時は出さない方がいいと思いますよ。誤飲や誤食が怖い。」
やはり、まだしばらく、ムショ暮らしは続く様子である。
とりあえず、シャンプーしてから、私のいる時に、ケージから出してみようか。
それから、現在、北側の部屋に置いているケージを、男子チームがいる南側のリビングに移す。
そのあたりで考えている。
ところで。
その通院の際であるが。
ノミの卵を恐れて、こんな状態で連れて行った。
※空気穴は開いています。
先日の箱は捨ててしまったので、自転車の前かごに入れられる大きさで、ディスポーザルな方法を考えた。風避けにビニールを被せ、底にはペットシーツを敷いてある。
が。
“動物病院の法則”で、普段、めったに鳴かない仔猫が、この状態で自転車に乗せたら、みゃあみゃあ鳴き始めた。
意外に大きな声なので、道行く人々が振り返って見る。
そこで、ようやく気が付いた。
こんな紙袋に仔猫を入れ、出られないように口をテープで留めて、自転車の前かごに入れ、日の暮れかけた裏通りを急ぐ女。袋の中でみゃあみゃあ騒ぐ仔猫。
これじゃまるで、猫を捨てに行く人じゃないか。
捨てるくらいなら、最初から拾いません。
そうとも。
せっかく、ここまで太らせたのに。
お菓子の家のおばあさんだって、太らせたヘンゼルを、改めて山の中に捨ててこようとは思っていなかったに違いない。
それに、ね。
親バカかもしれない。あるいは、単に目が慣れただけかもしれない。
でも。
この頃、こいつも、角度によっては、ちょっとは見られる器量みたいに、思えてきたのだよ。
もしかしたら、本当に、大きくなったら、結構きれいな子になってくれるかもしれない。
美味しいものを食べさせ、清潔にしてやり、立派な紳士に教育してもらえれば。
ええ。そのとおりです。よろしくね、ダメちゃん。
ワクチン接種証明書に書いてもらった「日本猫・玉音」の名に恥じない、気品のある女子に育ってくれればと思う。
ま、と言っても、「タマネ」の名前の由来は、本当はコレだけどね。
太り過ぎてボタンがかからないくせに、何を言うか。