結石再発


  
  
 アタゴロウの尿道結石が再発した。
 これまでも、トイレの時間が長かったり、一度で目的を達せずに、何度か出入りしたりということは度々あったが、多くは、どきどきしながら見守っていると「大」の方だった、というオチであった。
 トイレの砂とペットシーツも毎日チェックしていて、出ていることは確認していたが、一回当たりの尿量は少ないらしい、ということには気付いていた。股間を舐める頻度も、通常よりは高いと感じていた。
 そして、昨夜である。
 またトイレの時間が長いな、と思い、出てきた後をチェックすると、砂が乾いている。その後、「大」の方をして、ハイになって駆け回りもしたが、やはり何となく様子がおかしい。
 だが、完全に「これはヤバイ」と感じたのは、粗相を目撃した瞬間であった。
 私が風呂から上がって、洗面所で身じまいをしていると、アタゴロウが入ってきた。洗面所には猫トイレが二つある。そのうちの一方、風呂場との境に置いてある方の入口外には、風呂上がりゆえバスマットが敷いてあったのだが、アタゴロウはそのバスマットに座って、実に真剣な面持ちで、じっとトイレの入口を眺めている。
 あ、もしかして。
 その予感は当たった。彼が立ち去った後、バスマットには直径三センチくらいの小さなシミが残っていた。
 やられた、と思いつつ、とりあえずそのバスマットを洗面台で手洗いしながら、ふと台所の方を見ると、アタゴロウが今と全く同じ姿勢で、キッチンマットの上に座っている。
 これは…と思い、慌てて雑巾を持って駆けつけ、尻の辺りに雑巾を差し入れたが、少しばかり遅かった。その時の尿は大半が雑巾に吸い取られたが、キッチンマットにも、直径一センチほどのシミが残った。
 おそらく、膀胱に尿が溜まっているのに出ない苦しさから、もう場所を選べなくなっていたのだろう。あるいは、トイレより座り心地の良い場所の方が、排泄しやすかったのかもしれない。その証拠と言えるだろうか。翌朝、彼はまた粗相をしたのだが、それは私の布団の上であった。
 お腹に触ってみると、自信はないが、ゴムまりのような塊があるように感じる。完全に出なくなったわけではないとはいえ、膀胱に尿が溜まるスピードに、排泄量が追い付いていないのだと思った。
 完全に出なくなっているわけではないから、導尿する必要はないかもしれない。とはいえ、このままにしておくわけにもいかない。尿が出やすくなる薬でも貰えないものだろうか。明日、病院に連れて行くことを、真剣に考え始めた。
 
 
 病院に連れて行こうと思った、もう一つのきっかけが嘔吐である。
 これまで、「エ」をする猫といったら、我が家ではダメちゃんの専売特許であった。が、このところ、アタゴロウもたまに吐くようになっていた。食べたものをリバースする場合もあるし、毛球を吐くこともある。
 だが、今回の嘔吐は、異常だった。
 まず、夕食後ほどなくして、食べたものをほとんどリバースした。
 それから数分後、また吐いた。胃の中にまだ残っていた分を出したようだ。
 それから数度、胃液を吐いた。量は少量であるが、何度も続けざまに。
 これは普通じゃないな、と思った。もし、明日の朝まで続くようなら、やはり明日は、病院に連れて行こう。
 すると明け方、夢うつつの中で、猫が「エ」する音を聞いたのである。それも、二度。
 ダメちゃんは、私の枕の横にいた。彼ではない。アタゴロウだ。
 これで決まった。
 起床して、嘔吐の跡を、まず二箇所見つけた。その後も何箇所か、いろいろな痕跡を見つけ、まずは掃除して歩くことになった。食べ物を吐いた跡もある。毛球もある。毛球は色から考えて、確実にアタゴロウのものである。かなり大きかったので、これも原因の一つだったのかもしれない。
 猫たちに朝ご飯を出した。アタゴロウの前に皿を置くと、匂いを嗅いで胃液を吐いた。トイレは使った痕跡がある。そして、さて自分の布団を片付けようとしてみると、二箇所、粗相の跡がある。私が寝ていた辺りだから、おそらく、朝になってからしたものだろう。
 
 
 ジンクスなのか、今日もかかりつけの動物病院は休診である。
 そこで、前回お世話になった、猫専門病院に連れて行くことにした。前回は初診なので、飼い主の私も緊張したのだが、今回は診察券がある。それだけで気楽になるものだ。
 例によって、待合室はいっぱいだった。だが、順番は割合すぐに回ってきた。
 診察室に入ると、前回と同じく、院長先生がいた。その後どうですか?と尋ねられ、かくかくしかじかと状況を説明して、アタゴロウを診察台に乗せると、
「その中でしてないですか?」
 足元に置いたキャリーバッグを示して、お尋ねになる。
「してないと思いますけど。」
と、答えつつ、キャリーバッグの中を覗きこむと。
 何と。
 白いペットシーツに、堂々たる地図が描かれていたものである。
 院長先生は苦笑して、
「病院に来ると出るのかな。」
 私も苦笑で答えるしかなかった。が、今回は「嘔吐」という立派な理由がある。前回のような気まずさはない。
 先生はアタゴロウのお腹を触り、
「前回は大丈夫だったけど、今回は、やはり溜まっているようです。カテーテルで抜いた方がいいでしょう。」
 そして、
「嘔吐があるというと、尿毒症になりかけている可能性がありますね。血液検査しますか?それか、かかりつけの病院があるなら、今日は応急処置だけにして、明日、かかりつけに行ってもらうという方法もありますが。」
「検査してください。」
 かかりつけは小さな町医者である。血液検査は外部委託だ。それなら、今日ここでやってもらった方がいい。だいいち、今日だって突然休みを取ったのに、明日もまた、というのは、なるべく避けたい話である。
 そんなわけで、導尿と、点滴と、血液検査をすることになった。
「じゃあ、お預かりしますので、待合室で待っていてください。」
 え。
 あ、そうなのか。
 私はこれまで、小さな町医者にしか行ったことがなかったので、治療や処置の場面にも、飼い主は付き添って、保定に協力するものだと思っていた。なるほど。大きな病院は違うんだな。
 だが。
「この子は尿道がすごく細いんだそうです。一番細い管しか入らないって言われました!」
 必死にそれだけは伝えた。また一般猫サイズを試されて、アタゴロウが痛い思いをしたら可哀想だ。
 
 
 時間を見ていなかったが、多分二十分くらいで導尿と血液検査が終わり、診察室に呼ばれた。
 まずは、採取した尿を見せられ、
「見えますか。やはりストルバイトですね。」
 ああ、やっぱり。
 次に、検査結果の説明。
「良いニュースとしては、腎臓の値は正常でした。早く連れてきてもらって良かったようです。」
 そうか。良かった。
「悪い方ですが、血糖値が高いです。」
 血糖値?
「血糖値は、ストレスや激しい興奮で上がるんですが、オシッコが出ないというのはストレスですから、それで上がっていると考えられますね。でも――」
 院長先生は、検査結果の説明書きを示し、
「ここに膵炎ってあるでしょう。膵炎の場合、嘔吐を伴うんです。もし、嘔吐が治まらないなら、膵炎の可能性もありますから、気を付けてください。」
 ちょっとばかり、心配になった。
「この子、以前は何にもない子だったんですが、最近、吐くようになったんです。毛玉とか。」
「毛玉を吐くのは異常じゃないですから。それは関係ないと思いますよ。」
 続けて、食事の注意。
「今、フードは?」
「c/dです。あと、ウェットフードで。」
「ウェットフードも、本当は止めた方がいいですね。」
「でも、水分を摂らせるために、あげた方がいいって聞きましたが。」
「でしたら、療法食のウェットにしてください。後でご紹介しましょう。」
 と、いうわけで、ロイカナのphコントロールと、c/d缶を「お試し」に少しずつ購入することになった。
「それって、健康な子にあげても大丈夫ですか?」
「問題ないです。」
 そこをきちんと確認したことは、私にしては上出来だったと思う。
 アタゴロウはその後、点滴を受け、背中にぷよぷよの小さなコブを作って家に帰った。
 
 

  
  
 ウェットフード問題。
 実はそれは、この数週間、私の悩みの種であったのだ。
 尿道結石の猫は、水分を沢山摂らせる必要がある。そのためには、ウェットフードを食べさせた方が良いと、かかりつけの先生にも言われていたし、実際、そのように書いているサイトもある。
 しかし。
 療法食について色々調べていると、疑問が生じてきたのだ。
 猫の結石には、ストルバイトとシュウ酸カルシウムがある、というのは、最初に受診した際に説明を受けていた。ストルバイトは尿がアルカリ性に傾くと結晶し、シュウ酸カルシウムは酸性に傾くと結晶する。それゆえ、尿のphコントロールは難しい。どちらも結晶しない、実に微妙な数値に調整しなければならないからだ。私が読んだ、獣医師が書いているサイトでは、この微調整を可能とした療法食を「職人技」と表現していた。今はその「職人技」が普通にネット通販で手に入る。恵まれた時代ではある。
 しかし。
 このサイトでは、「だからこそ、決して他の物を与えてはいけない」と書いていた。その職人技のph調整が崩れて、意味をなさなくなってしまうからである。
 私は最初に食餌療法の説明を受けた時、「ドライフードは療法食以外のものを与えない」という意味に捉えていた。事実、水分を摂らせるために、ウェットフードは有効だと聞いていたし、誰にも止めろと言われなかったからである。
 勝手な解釈で、ウェットフードは大半が水分であるから、マグネシウムなどのミネラル分の含有量も少ないため、与えても問題にならないのだというように理解していたのだ。
 だが、この「職人技」の説明を読むと、尿のph調整は、もっとデリケートな問題のように思えてきた。
 ウェットフードだって口にすれば、尿のphには影響するはずだ。その調整が「職人技」レベルの微妙なものであるなら、その成分には気を配らなければならないのではないか。
 そこでまずは、調味料を使っていないものを選んだ。商品名はここには書かないが、やがてその商品が、塩分量が多いということを知り、やめた。
 ウェットフードの中でも「下部尿路配慮」というものがあったので、それも検討したのだが、シニア向けの商品であるため、警戒して成分を調べた。すると、案の定、その「下部尿路配慮」は、シュウ酸カルシウムを想定したものであった。(ストルバイトは若い猫に多く、シニア猫の結石はシュウ酸カルシウムの割合が高いらしい。)
「腎臓の健康に配慮」という商品もあったので、これなら良いのではないか(少なくとも、塩分は安心だろう)と思い、購入してみた。猫たちは美味しそうに食べる。原材料がシンプルなのもなかなか良いと思った。これを常食にしようか。大量購入を検討した。
 しかし、原材料がシンプルゆえに、何がどう、腎臓の健康に配慮なのかよく分からない。商品のホームページを検索してみると、腎臓のために加えてあるのは「焼成カルシウム」であると書いてあった。
 だが、焼成カルシウムって、何だろう?
 インターネットで検索すると、焼成カルシウムを作っている会社のサイトが出てきた。その説明を読んでみると、
焼成カルシウムに水を加えると――強アルカリイオン水になり、除菌効果を発揮します。」
と、あった。
 何ということだ。
 私は天を仰いで歎息した。
 
 
 そういえば、前回、院長先生から、当時与えていたウェットフードの使用を止められた際、
「ウェットフードが好きなら、c/dの缶詰もありますよ。」
と、聞いていたのだ。
 素直に、それに従っておけばよかったのだ。
 帰宅したアタゴロウは、別猫のように警戒した顔をしていた。私と目が合うと逃げた。
 が。
 私も緊張していたのだろう。ついつい、一時間ほどうたた寝をしてしまった。目が覚めると、アタゴロウは普段の顔に戻っていた。私にスリスリもしてきた。やがて、起き出して家事を始めた私の足元に付き纏い始めたので、食事を出してやることにした。
 購入したばかりの「phコントロール」のパウチを開け、中身を少し、いつものc/dドライと一緒に、皿に乗せて出してやる。
 食欲は戻ったらしい。アタゴロウは皿に顔をつっこんでぱくぱくと食べた。だが、途中で残して立ち去った跡を見ると、残っていたのは大半がウェットフードの方であった。
 今一つ、好みに合わなかったらしい。
 彼はさっぱりした魚系のウェットフードが好きなので、違和感があったのかもしれない。それにしても、購入したフードを全て、ためつすがめつしたが、全部が全部、主原料は肉であった。考えてみれば、ロイカナにしてもヒルズにしても、欧米のメーカーである。欧米ではやはり、猫のフードは肉が主流なのだろう。ここにきて、日本のペットフード文化の遅れをしみじみと思い知らされた。日本のメーカーが、療法食を作るレベルまでペットフードに真剣に取り組んでいたら、間違いなく、魚ベースの療法食が市販されていたであろうに。
 せめてもの幸いは、そのアタゴロウの食べ残しを、ダメちゃんが喜んで食べたことである。
 なお、同じフードを夕食にも出したが、今度は作戦を替え、水を足し、スプーンで潰してのばした上に、少しだけ温めてみた。昼間よりは食べたようだったが、やはり残した。残り物は、同じく、ダメちゃんが綺麗に片付けた。
 健康な子にも食べさせて良い、を、確認しておいて、本当によかった。
 
 
 その後、アタゴロウは全く嘔吐をしていないし、様子も普通に戻った。トイレも使ったようである。
 まだ油断はできないが、とりあえず、膵炎の可能性は消えたかな、と思っている。
 できることなら、手術はしたくない。どれか一つでも、彼の好みに合う療法食ウェットが見つかり、長期の食餌療法が可能になることを願うばかりである。