退院確定


  
  
 そして、一夜が明け――。
 アタゴロウの運命が決まる日がやって来た。
 すっかり安心し切って、押入れで爆睡していた(と、思われる)アタゴロウを引っ張り出し、彼が何が何だか分からないできょとんとしているうちに、キャリーバッグに詰め込み、自転車を走らせて病院へ。
 待合室に入ると、受付のお姉さんに、開口一番、
「おしっこ出ました?」
と、尋ねられた。
 面会の時も、名前を言わなくても分かってもらえていたので、顔を覚えられているなとは思っていたが、ここまで知られているとは思っていなかったので、少々驚いた。
 まあ、大きな手術だし、入院していたのだから、医療以外のスタッフの間でも情報共有されるよね。
 と、冷静に考えて、そこでやめておけばいいのに、ついつい、
(やっぱり、アタゴロウは可愛いからな〜。)
 などとニヤついてしまうところが、完全に親バカである。
 名前を呼ばれ、診察室に入ると、今日は院長先生の他に、女性の獣医さんと看護士さんも出てきた。女性二人がアタゴロウを押さえ、先生が傷口を丹念に検分する。
「傷は問題ないですね。順調です。」
 内腿の擦りキズのようなものについても尋ねてみたが、
「ああ、それは手術の後遺症みたいなものです。内出血の痕ですよ。」
とのことであった。
 排泄も食事も問題ないため、
「じゃあ、このまま退院にしましょう。」
 よかったー。
「そうしてください。もう、おうちが嬉しくて喜んじゃってるんで、とても病院に帰れとは言えません。」
「まあ、そうでしょうね。」
 院長先生も笑っていた。いつもクールで真面目な表情を崩さない方だが、本当にほっとしたような、力の抜けた笑顔だった。先生も嬉しいんだな、と思った。
 
 
 ところで、これは余談であるが、院長先生が傷を調べているとき、女医さんが何気なく、
「やっぱり、おかあさんがいると頑張れるわね。」
と、おっしゃった。
「入院中は、ご迷惑かけちゃいましたか?」
 心配になって尋ねると、
「いえいえ、ケージの中ではちょっと暴れますけど、ケージから出すと治療中は頑張る子ですね。早く終わらないかな、って感じで。」
 これは、どう理解したら良いのだろうか。
「猫の鑑」である、おじさんの教えを守ろうとしているのか。
 いや、おそらく、単に、ケージから出されるとビビリで動けなくなるだけ、ということだろう。
 でも、せっかく「頑張る子」と言ってもらったのだから、ここはやはり、おじさんの教育の賜物ということにしておこう。
 
 

(トイレに歩み入るところ。このときもエリザベスカラーが引っ掛かる。)
  
 
 そのまま薬を処方され、思いのほか短時間で終わったので、ちょっとだけ遠回りをして、かかりつけの先生のところに寄った。
「退院してきました。」
と、昨日からのことを報告し、せっかくなのでキャリーの蓋を開けて見せると、先生は、
「置いてかない、置いてかない。見るだけだから。」
と、アタゴロウに言い聞かせながらキャリーを覗き込む。
 ほら、元気な顔してるでしょ?と、顔を見せたのだが、後から思うに、どうせなら傷口を見ておいてもらった方が良かっただろうか。
 いずれにせよ、キャリーの中のアタゴロウを見ての先生のコメントは、
「ずいぶん、あちこちぶつかりましたね。」
だった。
 エリザベスカラーが、すでにボコボコだったからである。
 ついでに、もらった薬も見せて、
「液体の薬って、初めてなんですよね。まあ、味も悪くないってことでしたから、ちゃんと飲んでくれるとは思いますが。」
と言うと、
「これは猫用の薬ですよ。同じ薬でも、犬は錠剤なんです。猫が飲みやすいように、敢えて液体に作った薬だから大丈夫。」
と、力強い励ましをいただいた。
 併せて昨夜の様子を話し、もの凄い甘えようだったことを伝えると、
「でしょう!? ほらね。」
「ホント。セオリーどおりでした。」
 その後、先生がつぶやいた言葉を、私はきっと、一生忘れない。
「ま、奴らも少し苦労してもらった方が、スリベタにはなるわね。」
 獣医師としては不適切発言かもしれないが、たいへん飼い主の心に寄り添った意見だと思う。
 
 

(魅惑のおしりハゲ) 

 
 と、いうわけで。
 アタゴロウくんの運命は、午前中にさっさと決まり、後は家の中でゴロゴロするだけとなった。
 カラーを付けているので、何かと不便そうではあるが、拍子抜けするほど普通に生活している。ただし、今日は一日、私にべったりであった。
 私の方も、今日はアタゴロウを甘やかすために休んだものと割り切って(というより、それを口実に)、ほぼ何もせずに、猫どもとベタベタしながら一日を過ごした。ちょうど寒くなってきたところなので、膝に乗ってくれると、こちらも暖かくて快適である。
 心配していた「抱っこ」であるが、お尻を下に、膝の上に座らせても、特に痛そうでもないし、傷口に重みがかかっているわけでもないようだ。なので、シリンジでの給水も再開した。
 薬も、夕食後、つつがなく飲ませた。
 夕方、アタゴロウは、たまたま洗面所にいた私の目前でおしっこをした。気持ち良いほど勢いのよい「ジャー」という音を立てて排尿していたが、ハラハラするほどトイレの縁ギリギリに出していたところを見ると、まだ狙いが少しずれているようだ。察するに、ペニスがない分、彼がこれまで感じていたよりも後ろに出るのではないか。
 なお、直後にシステムトイレのトレーを引き出し、尿の色を確認したが、着色はなかった。昨日の尿は茶色っぽかったが、きれいになった。血尿がほぼ止まったのではないかと思う。
 
 
 抜糸は、来週の金曜日。
 その前に、「週明けの月曜日か火曜日に見せに来てください。」と言われている。同じ週に二日も休みを取るのは気が引けるなと思ったが、良く考えたら、月曜日は体育の日でお休みである。丁度良かった。
 あとは、今後の通院の際に、危険を察知したアタゴロウと猫追物になる懸念だけが残っている。
 何しろ、大きなカラーを付けているくせに、ワンジャンプで洗濯機に飛び乗るほどの元気があるのだから。さすがに、洗濯槽には入ろうとしないけど。
 入っちゃうと、多分、カラーが引っ掛かって、飛び出して来られないだろうからね。 
 
 

(お食事の図。良く見ると玉音ちゃんもいます。)