続・ダメちゃん病院へ
今日はダメちゃんのCT検査の日であった。
が。
結論から言えば、検査はできなかった。病院に着いてみたら、呼吸状態が悪く、熱もあって、とても検査のできる状態ではなかったのだ。
何故、そんなことになってしまったのか。原因は、完全に私の不徳の致すところである。
以下、私の懺悔録として経過を書く。
かかりつけの先生から検査専門病院について説明を受けたとき、
「ただし、遠いんですよねえ。」
「どこですか?」
「××です。」
「え、私、××に勤めてるんですよ。」
偶然にも、所在地が私の職場の近くだった。今思えば、この時点で私はすでに、その病院に行くことを、日々の通勤と同様に考え始めてしまっていた。
私自身は、毎日、地下鉄とバスを乗り継いで通勤している。それがいちばん所要時間の短いルートだからだ。だが、会社の人と話していて「どこに住んでいるの?」と訊かれ、私が自分の住所を言うと、まず間違いなく、
「じゃあ、バス一本だね。」
と、言われる。
実は、地元の鉄道駅から××駅までバスが通っているのだ。ちなみに、私の職場は、××駅の一つ手前のバス停が最寄りである。
職場の近くであるから、その検査専門病院の近辺について、私は半端に土地勘があった。それゆえ、先生からもらった病院のパンフレットにある「××駅から徒歩十分」というアクセス案内についても、
(猫を連れてるし、実際は、絶対にもっとかかるな。)
と、はっきりと予測できた。
また、パンフレットに掲載された簡単な案内図からも、病院と、××駅と、バス停との距離感が大体分かったので、
(職場最寄りのバス停から行くのが、いちばん歩く距離が短い。)
ということにも、一瞬で気付いてしまったのである。
そう。最初から、私はそこに、バスで行くことしかほとんど考えなかったのだ。
もちろん、普段の通勤どおりに電車とバスを乗り継ぐことも、検討はした。だが、駅から病院までの距離に加え、途中で乗り換えがあるというリスクを無視できなかった。乗り換えをするくらいなら、多少時間が延びても、同じ乗り物に乗りっぱなしの方が、むしろ猫の負担は少ないのではないか、と、考えたのだった。
さて、バスで行くとなると、問題になる点が二つある。
一つは、自宅から地元駅まで、どうやって行くか。
十四年前にダメちゃんが我が家に来た時は、地元駅から家まで、キャリーケースを下げて歩いたのだが、その時点でさえ、腕が抜けるかと思うくらい重かった。歩いて行くことは考えられない。
最初は、地元駅までの二停分をバスで行き、駅前で乗り継ぐことを考えたのだが、時刻表を確認すると、どうにもタイミングが悪い。困ったなと思っているうちに、ふと気付いた。
(何だ。自転車で行けばいいじゃん。)
駅前には、時間貸しの駐輪場がある。駐輪場からバスターミナルまでは目と鼻の先だ。自宅から地元駅までは、徒歩で十二~十三分くらいだから、自転車だったらあっという間である。天気予報によれば暑くなるようだし、なるべく戸外にいる時間を減らすためには、この方法がベストだと思った。
もうひとつの問題は、キャリーケースをどうするか、ということである。
箱型の大きいキャリーケースにするか、リュック型の方にするか。
リュック型は、アタゴロウや玉音にはちょうどいいが、大猫のダメちゃんには、ちょっと小さめだ。猫は体が柔らかいから問題なく納まるには納まるが、体を伸ばせる箱型の方が落ち着くのではないか。
でも、箱型だと、いちいち自転車の荷台にくくりつけるのが面倒だな。
そう思ってちょっと悩んだのだが、よく考えたら、それ以前の問題であった。
バスで行くなら、膝に乗せられるキャリーにしておいた方がいい。バスの座席は足元が狭いし、通路にはみ出すことができないから、床置きはできないと思っておいた方がいいだろう。となると、必然的にリュック型を選択せざるを得ない。
こうして三日の間に方針を決め、時刻表を調べ、念のため駐輪場からバスターミナルまで歩いてみて乗り場を確認し、さらに前夜には、自転車のタイヤに空気を入れ直すべきかも確認して、ちょっと遠いけどこれで頑張ろう、と決めて、当日に臨むことにした。
ここまで読んで下さった方は、私がやる気満々で検査の日を迎えた、と思われたかもしれないが。
実はそれが、そうでもないのだ。
前回もちらりと書いたが、本当に検査に連れて行くべきなのか、私は最後まで悩み抜いた。
当たり前であるが、CT検査をしたって、「MASS」の正体は分からないのだ。
火曜日の通院の後、ダメはしばらく過呼吸になっていた。午後になり呼吸が落ち着いても、気持ちは落ち着かなかったらしく、その日はついに、長時間ひとところに座ってくつろぐ姿は見られなかった。
今考えれば、痛かったせいも大きいと思う。だが、その時点で、そんな彼の姿は私に、どのみちこの子には手術は厳しいのではないか、という迷いを生じさせた。
それならばなぜ、検査を受けさせるのか。
ここで検査を見送れば、自分が後々後悔することになると思った。だが、後悔するのは私の問題であって、彼の問題ではない。それは単なる、私の自己満足ではないのか。
もっと言えば、「どうしますか」と訊かれて「やります」と答えたのも、単に、医療費をケチっていると思われたくないという、虚栄心の表れに過ぎないのではないか。
本当に労力を惜しまずに彼のために尽くせるだけの覚悟が無いから、お金をかけることで、愛情深い飼い主であるという体裁を取り繕いたいだけではないのか。
本当に、どうするべきなのか分からなかった。
その悩みのどん底が、木曜日の昼間くらい。
先生に電話しようとしてみたり。
友人さくらに愚痴メールを送ろうとしてみたり。
だが、いずれも寸前で思いとどまった。それが本当の意味での「相談したい」という気持ちではなく、誰かの意見に流されることで決断することの重みから逃れたいという、ずるい感情であることが分かっていたからだ。しかも、幸いなことに、木曜日は動物病院の方が休診だった。
やっぱり行くべきだ、と、覚悟が決まったのが木曜日の夕方過ぎ。気になってネットで色々見ているうちに、手術ができる可能性があるなら、それに賭ける価値はあるような気がしてきた。
そしてもう一つ。
気にして見ているせいかもしれない。ダメちゃんの呼吸が、やや悪くなっているように思えたのだ。気管が圧迫されているという状況を考えると、腫瘍が良性であったとしても、取らないことには、彼の呼吸は楽にはならない。やはり、手術ができる・できないの見極めは必要なのだ。
そんな心の揺れの反動で、私は職場で、半ばネタ的に「××の病院にCT検査に行く」「検査には十万かかる」話を吹聴していたのだが、どうやらその辺りで、金銭感覚がおかしくなっていたらしい。
金曜日に、本社で研修があった。もうずいぶん昔に書いた話なので、覚えている方は少ないと思うが、本社の近くに少し大きめのペットショップがある。猫山愛宕朗指定ブランド「猫じゃらし産業の猫じゃらし」を売っている店だ。
研修の後、昼休みの時間を利用して、その店に立ち寄った。目的は猫じゃらしだけでなく、痩せ過ぎのダメちゃんを太らせるために、ジャンクでもいいから口当たりの良いドライフードを、混ぜ込み用に購入することであった。
で。
「何かお探しの物でも…」
と、店員さんに心配して声をかけられるほど、売り場で真剣に悩みながら吟味していたのだが。
あれがいいかも、いや、やはりあっちの方が…などと次々に籠に放り込むうちに、気が付いたら、結構な量を買っていたらしい。レジで、
「四千九百九十九円です。」
と言われてはっとした。
やべえ、買い過ぎだ。
とはいえ、そこで「やめます」とも言いにくい。さらに、次にいつ来られるか分からないという気持ちも手伝って、素知らぬ顔でお金を払い、レジ袋からはみ出す猫じゃらしの穂先をどうやってごまかそうかと考えつつ、店を後にして職場に戻ったものである。
ちなみに、その日購入したものの中でいちばん高価だったのは、「ニュートロ」のドライフード千八十円である。あとは、細々したフードだのおやつだのの寄せ集め。そして、「ニュートロ」は結局、イマイチ彼の好みに合わず、近所のスーパーで購入した「モンプチ・ナチュラルキッス」(ちゅーるのちょっと高級版みたいなもの)をかけて食べさせている。
そして、ついに当日を迎える。
不運にも、ここ数日で一番というくらい、暑い日になってしまった。このため、キャリーに保冷剤を入れるか考えたのだが、やはり、やめた。狭いキャリーの中、保冷剤を入れると、常に体の一部が接触することになってしまう。行程の大半はバスの中である。バスは冷房が効いていて、私などは半袖だと寒くなってしまうくらいだから、ずっと保冷剤に接触しているのでは、冷やし過ぎてしまうかもしれない。
が。
第一の誤算は、駐輪場に空きがなかったことである。
以前に利用したこともあるし、いつも近くを通って見ているので、どこかしら空いているだろうと高をくくっていた。が、さすがに土曜日の真昼である。買い物客のものだろうか、見渡す限りぎっしりで、探してもどこも空いていない。
駅前の駐輪場は、駐輪「場」というよりは駐輪「スペース」であり、駅前の広場や道路の何箇所かに分散して設けてある。炎天下、自転車を押して歩き回った末に時間切れで諦め、申し訳ないと思いつつも、駐輪スペースの横に違法駐輪してバス乗り場に向かった。
「ダメちゃん、ごめんね。バスに乗れば涼しくなるからね。」
そう言いながら、何とか予定のバスには乗り、座席も確保できたのだが。
第二の誤算は、バスの冷房が効いていなかったことである。
駐輪場所を探しまわっているうちに遅くなり、バス待ちの列のやや後ろの方になってしまった。都バスに乗ったことのある方なら分かると思うが、都バスの中で、一人掛けの座席は主に運転席の後ろ側、縦に一列に並んだ四席程度である。車両によっては後方にもあるが、ない場合もあるし、あってもタイヤの上で足元が狭かったりする。
私がバスに乗りこんだ時、運転席の後ろ側の一人掛け席に空きがあった。良かった、と、ホッとしつつ、私はすかさずそこに滑り込んだ。最初からそこを狙っていたし、だいいち後部座席を確認している余裕はなかった。
が。
運の悪いことに、ルートの大半は、私の座った右側面が南に当たっていた。よく考えれば想像はついたことなのだが、普段乗らないバスなので、私は運行ルートに対しあまりイメージがなかった。一人掛けの席に座らなければならないという条件からはやむを得ないことだったとはいえ、このため窓際の私は、ずっと窓からの熱気に当てられることになった。
キャリーは足元に置くことができたので、ダメちゃん自身が日光に晒されることはほぼなかったのだが、それでも暑かったのかもしれない。私自身はずっと暑いと思っていたのだが、自分が日光に当たっているせいなのか、本当に気温が高いのか、今一つ分からないでいた。途中で、自分の席の上の空調の吹出口が閉じていることに気付いたのだが、立ち上がっても私の身長ではギリギリ手が届かない。最終的には、手にスマホを持って、そのスマホで無理矢理少し押し開けたのだが、驚いたことに、そこから流れてきたのは単なる風であった。
生ぬるくはなかったので、一応、冷房していたのだと思うが、相当弱かったのではないか。その風が冷たいとは最後までついぞ感じなかった。扇風機と同じである。
それでも冷気は下に溜まるのだから、私よりダメちゃんの方が涼しいことを祈りつつ、結局、バスには四十五分足らず乗り、一度も寒いとも涼しいとも感じないままに、職場近くの停留所で降車した。
そこから先は、迷うこともなく歩いて行けたのだが、そこも炎天下である。病院の待合室に入って、ようやくほっとした。一時の予約であったが、到着は十二時四十分過ぎ。家を出たのが十一時半だから、一時間以上が経過していた。
受付を済ませると、
「検査の前に診察がありますので、このままお預かりします。」
と言われ、キャリーケースごと動物看護士さんにお預けした。
しばらくして、
「猫山さん、お入りください。」
呼ばれて面談室に入ると、担当だという男性の獣医師さんは、自己紹介もそこそこに、
「この子、呼吸状態が相当悪いのですが。」
と、切りだした。
口を開けてハアハア言っているという。
「いつもそんな感じなんですか?」
「いえ、いつもは、たまに興奮したりすると息が荒くなる程度で普通です。」
そこで、思い当った。
「先日の通院の後も、しばらくハアハア言ってましたし、去年、足の手術を日帰りでしたんですけど、その後もしばらく過呼吸でした。多分、緊張しているんだと思います。」
言いながら、情けなくなった。
つい先日のことではないか。この事態は、容易に想像できたのだ。それなのに私は、彼が帰宅後に過呼吸になることは予測していたが、病院に着いた時点でそうなるかもしれない、という、当たり前の予測ができなかったのだ。
獣医師さんはうなずきながら、
「移動のストレスですね。移動中はどうでしたか?」
「すみません。敢えて覗いてみなかったので…。」
キャリーは足元に置きっぱなしで、バスもそれなりに混み合っていたし、体勢的に途中で覗き込むのは難しかった。だが、それは言い訳に過ぎない。要するに私は、彼を放ったらかしていたのだ。
「もしかして、移動中、暑かったですか?」
「ええ。暑かったかもしれません。」
「そうでしょうね。発熱しています。」
あああ。
これも容易に想像できたことだ。バスが予想外に暑かったのが誤算だったとはいえ、彼は通院すると、大抵、興奮のせいか体温が高くなるのだ。
ああ。やはり保冷剤を入れておくべきだった。
「今、酸素室で休ませています。どんな様子か、ご覧になりますか?」
「はい。」
酸素室の中のダメちゃんは、ハアハアと開口呼吸するとともに、よだれをダラダラと流していた。私を見て鳴いたが、鳴いたとたんにさらに呼吸が荒くなった。
「ほら、今、ニャアって言ったら、また苦しそうになったでしょう。」
面談室に戻ると、獣医師さんははっきりと言い切った。
「この状態で検査するのは危険だと思います。」
それから、リスクについての説明が続き、
「最悪、検査中にお亡くなりになる可能性もあります。それでも、そのリスクを踏まえた上で、飼い主さんがどうしてもということでしたら、検査はさせていただきますが。」
こうまで言われて、「やってください」と言える飼い主がいるだろうか。
「でも、すぐに連れて帰るのは…。」
「ええ。もう少し休んで、落ち着いてからにしましょう。ただし、一つお断りしておきたいのですが…。」
何だろう。怖い。
「その間、状態が急変したりしたら、救命措置をさせていただいていいですか?」
「もちろんです。お願いします。」
多分、手続き的な問題もあり、後からトラブルにならないように、そう訊くのだろう。だが、この言葉は、私を打ちのめした。
「もう一度、会っておきますか?」
「はい。」
単なる親切だったのだろうが、まるで「お別れをしておけ」と言われているように聞こえた。涙が出そうだった。
もちろん、状態の急変などはなく、大体四十五分くらい経ったところで、
「呼吸も落ち着きましたよ。もう少ししたらお帰りいただけます。」
ほっとした。
「バスの時間は、大丈夫ですか?」
「いえ、タクシーで帰ります。」
幾らかかるか分からないけど、検査費用よりはずっと安いはずだ。
「その方がいいと思います。では、こちらでタクシーを呼びましょうか?」
「お願いします。」
かくして、受付で診察料と酸素室の利用料を払い、タクシーを呼んでもらって、帰宅することと相成った。
ダメちゃんの呼吸が落ち着くのを待っていた一時間、待合室で考えていた。
結局、検査自体が無理だったのだ。つまり、何もできないのだ。
ごめんね、ダメちゃん。
もう、後は、残された時間を、ただ静かに暮らそうね。
そんなふうに考えていた。考えていたら、本当に、涙が出た。
タクシーの中、キャリーの天面の窓から手を入れてダメの体に触ると、体温は平常に下がっていた。彼はキャリーの中で頭を動かし、私の手に応えた。
タクシーの運転手さんはさすがにプロだ。なるほど、こう行くのか、という道を通ってすいすいと走り、想像していたよりずっと早く我が家に到着した。煙草の匂いが少し残っていたのが気になったが、冷房はばっちり効いているし、当然ながら運転手さん以外に知らない人もいないし、騒音も振動もない。快適な環境である。
最初からこうすれば良かったのだ。
そう思ったとたん、先程とは別の後悔の念が湧いてきた。
タクシーという方法も、当初、全く考えないわけではなかった。だが、日頃あまりタクシーを使わず、自分で運転もしない私には、一体いくらかかるのか皆目見当もつかず、ついつい敬遠してしまっていた。要するに、ケチったのだ。
だが、この快適さ。ダメも落ち着いている。ということは、最初からタクシーで行けば、検査はできたのではないか。
となると。
再チャレンジをするべきか、しないべきか。話は振り出しに戻ったのである。
そうこうしているうちに、自宅に着いた。
所要時間は、乗る時に時計を見なかったので定かではないが、多分、二十分くらい。料金は三千円ちょっとだった。
何と言うことだ。
昨日のフードの買い物の、三分の二しかかからなかったのだ。
昨日の買い物は、ほとんど私の気晴らしに過ぎなかった。ケチところを間違っている。そこにお金をかけるより、こっちにお金をかけるべきじゃないか。私は何をしているのだろう。
夕方の診療時間が始まるのを待って、かかりつけの先生に報告に行った。
「聞いてますよ。呼吸状態が悪くて、検査できなかったんですって?」
すでに電話連絡が入っていたという。
「みんな私が悪いんです。もう、後悔しかないです。」
かくかくしかじかと経緯を説明し、
「今後、どうしたらいいでしょう。」
先生に疑問をぶつけた。
私なりに、頭の中を整理していた。結局、ポイントは「手術ができるか否か」と、「腫瘍が良性か悪性か」の二点なのだ。となると、考えられるパターンは、シンプルに四種類のみということになる。
良性で、出術ができる。
良性だが、手術はできない。
悪性だが、手術はできる。
悪性で、手術もできない。
「この前来た時より、普段も呼吸状態悪くなってますか?」
「ええ。私が気にしているせいかもしれませんが、息が荒い時が増えた気がします。」
「ああ。もしかして、肺に水が溜まってきちゃってるかもね。」
こんなバカ飼い主のくせに生意気だ、と、自分で自分に突っ込みつつ、私は思い切って自分の疑問点のみに絞り込んで確認してみる。
「CT検査って、腫瘍の形とかは分かるけど、それでは良性か悪性かは分からないんですよね。」
「もちろん、そうです。」
「良性・悪性は、どうやって調べるんですか?」
「人間なら針を刺して細胞を取りますけど、猫に鎮静をかけて細胞を取っても、リスクの方が大きいですからねえ。」
「じゃあ、切ってみないと分からないってことですね。」
「まあ、そういうことですね。」
前回も多分、同じ話をしている。自分の記憶の確認である。
もう一つ、肝心のところを確認しなければならない。
「腫瘍が気道を圧迫しているってことは、良性であっても手術はした方がいいってことですよね。」
「ええ。でも、手術できるかどうか…。」
後半部分は、今は聞かない。
「じゃあつまり、問題は手術ができるかできないか、そこだけってことですよね。もし手術ができなかったら、どうなりますか?」
「対症療法ですね。肺水腫にならないように利尿剤使ったりとか。」
言い方を変えれば、手術をしない限り、気管の圧迫を解消する方法はなく、従って今より楽にはならないのだ。
「やはり、手術ができるかできないかは、確かめたいところなんですね。」
「そうですねえ。」
先生としてもかなり迷うところではあるのだろう。だがやはり、検査することが可能であるなら、やはりCT検査は受けさせるべきなのだ。感情を交えず理屈だけで考えたら、そういう結論になる。
「こういうところもありますよ。」
先生が別の病院のパンフレットを出してきた。
「ここは救急病院で、自前のCTもMRIもあるし、治療もしてくれます。」
「どこですか?」
「△△区です。」
あまり馴染みのない場所だ。今日の病院よりだいぶ遠いのではないか。そんなことを考えつつ、しばらくパンフレットを眺めていた。
「まあ、二、三日考えて。すぐに結論はでないでしょうから。」
「そうします。」
家に帰って調べると、意外なことに、その救急病院とやらは、我が家からタクシーで「十九分・料金三千五百円~四千五百円」と出た。今日の病院と同じくらいか、ひょっとすると、ちょっと近いのだ。
もしかしたら…。
今日の苦い経験を経て、新しい道が開けたのだろうか。
それとも、自分が単なる「懲りない奴」だということなのだろうか。
先生は「二~三日考えて」と言った。今回の失敗に懲りて、もう少し慎重に、ゆっくり考えてみようと思う。
以下は余談である。
笑い話として聞いてほしい。
かかりつけの動物病院に行く前に、駅前まで自転車を取りに行った。そこから自転車で病院に行くつもりであった。
が。
最初からある程度予想はしていたのだが、実際、悪い予想というのは当たるものだ。お約束どおり、自転車はすでに撤去されていたのである。
「この付近の放置自転車は撤去しました」の看板に書き込まれていた撤去時刻は「午後二時三十五分」。私が自宅に辿り着いたのが二時四十分だから、どのみち間に合わなかった、ということだけが救いである。
集積場所が近くだったので、その足で引き取りに行った。
幸い保険証を持っていたので、すぐに引き取ることができた。撤去費用は、五千円であった。
タクシー代の方が安かった。
ホント、何やってんだろうね、私は。
誰か、この話で笑ってほしい。一人でも笑ってくれれば、とりあえずモトはとれる気がする。