令和二年 大晦日
何と。
驚いたことに、もう大晦日である。
散々サボっておいて、大晦日とお正月だけ更新しようというのも、ずいぶん虫のいいハナシのようにも思えるのだが。
だが、その他の日はともかく、お正月を無視するというのは、ブロガーとしては廃業宣言も同様な気がする。
いやもう、廃業した方がいいだろうとか、つーか、もう事実上廃業してんだろう!!とか、色々思いは巡るのだが、巡り巡っても、じゃあもういっそ、きっぱり完全に辞めてしまおう!という決心には至らないので、とりあえず、現状維持のまま年越しさせていただくことにした。
世の中はコロナ一色で、ステイホームの年越しである。
私も悩みに悩んだのだが、やはり実家には行かないことにした。
二年連続の欠席である。
そう。
私にとって、こういう年越しは、初めてではない。
昨年もそうだったのだ。
ダメちゃんがいたから。
秋が終わり年末が近付くとともに、「去年の今頃は…」と考えることが多くなっていた。
抗がん剤治療で通院したこと。
酸素ハウスをレンタルしたこと。
ちゅーるを大量に買い込んだこと。
サバ缶とマスカルポーネチーズが常備だったこと。
ダメちゃんが食べてくれそうなものがないかと、キャットフードの売り場や、鮮魚売り場をうろうろしていたこと。
はじめて投薬器を買ったこと。
そして元旦。ホットカーペットの上で、一日一緒に過ごしたこと。
何もかも、ものすごく昔のことのような気がする。
何しろ、今年は大変な年だったから。
ダメちゃんとのお別れは、私の人生の一大事であったはずなのに、それ以上に、世の中が大変になってしまったから。
それだけではない。
すぐ足元に目を落とせば、もうひとつ、劇的な変化もあった。
玉音である。
まるで別猫のように、甘えん坊さんになった。
いや、相変わらず、逃げはするんだけどね。
彼女が甘えたいときに、遠慮なく甘えてくるようになったということ。
皮肉なことに、ダメちゃんが去ったことで、玉音はのびのびと自由に暮らせるようになったのだ。彼女自身は、ダメちゃんを慕っていたにも関わらず。
その過程を細やかに記録しておきたいと思っていたのだが、結局、何も書かないままに時間だけが過ぎていってしまった。
そして今日。大晦日。
事件が起こった。
朝、私が布団の上に起き上がって、スマホをいじっていたら、玉音がやってきたのだ、布団の上に。
それだけ?と言われるかもしれない。
だがこれは、画期的なことなのである。
仔猫の時は別として、彼女は、私に撫でてもらいたい時でも、布団(マットレス)の横までしか来ない猫だった。絶対に布団の上には乗って来なかったのだ。
それが、大晦日になって、ついに勇気を奮い起こしたらしい。
もちろん、単なる偶然かもしれない。彼女の方は何も考えていなかったかもしれない。
だが、私には、その行為が彼女の一年の総決算であるかのように思えたのだ。
令和二年。
ダメちゃんを失った、ダメちゃんのいない一年。
そして、コロナの一年。
いや。
一年ではない。年を越しても、それらはまだ続くのだ。
だけど。
悪いことばかりでは、なかったよね。
いつもべったり寄り添ってくれるアタゴロウと、
日々こうして、ちょっとずつ距離を詰めてくる玉音ちゃんと。
ただ、一緒にいるだけで幸せだって言える。
君たちのお陰で、こうして、楽しいこともあったよ、って言える。
ありがとう。
本当に、ありがとう。来年もよろしくね。
ところで、これはさくらから聞いた話。
ツィッター?で、「医学的な根拠はないけど、コロナに効きそうな気がするもの」 というお題が上がったら、「猫」という回答が頻発したそうな。
実際のところ、猫がコロナに効くかどうかは、分からない。(多分、効かない)
が。
確実に、コロナ鬱の予防には効く。
少なくとも、私には効いた。
そして、ダメちゃんロスによる鬱の予防にも。
みなさまも、猫でも吸って、心穏やかによいお年をお迎えください。
吸う猫がいない方のために、以下に、今年の最高傑作写真を載せます。
これを見た姉の感想。
「まあ、玉音ちゃんったら、飼い猫みたい。」