大魔王の伝言

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 東京のお盆は、七月だという。

 ただしこれは、明治時代の改暦の混乱の名残に加え、東京の人の多くはお盆時期になると地方の実家に帰るという事情から、便宜的に行われている「後付け」の習慣だと聞く。

 そのせいだろうか。

 東京に住んでいると、お盆が七月なのか八月なのか、実際のところはよく分からない。私自身が(実家の家族も含め)お盆に何もしない人だからなのだが、周囲の人たちの話を聞いていても、今一つはっきりしない。むしろ、東京でも八月にやる人の方が多いような気もする。

 今年も迎え火をどうする、送り火をどうするといった世間話にぼんやり耳を傾けていたのだが、八月のお盆が過ぎてから数日経って、遅ればせながら気が付いた。

(そういえば、今年はダメちゃんの新盆だったんだな…。)

 他の猫の時もそうだが、特に何もしなかった。

 いやむしろ、今年はコロナの関係でなるべく買い物に行かないことにしたのを口実に、骨壷の横に置いている花も、春先からすでにドライフラワーに代わっている。

 供養や追悼といった感情も至って軽薄で、時折、骨壷をポンポンと叩いては

「ダメ、ミミやムムに会えた?」

と、話しかける程度だ。不真面目なものである。

 つくづく、自分は、情の薄い人間なのだなと思う。

 結局、ペットロスと言えるような精神状態には一度も陥らず、彼のいない生活が、すんなりと、ごく普通に定着してしまった。

 あんなにいつも、一緒だったのに。

 彼がいたときは、まるで生活の句読点でもあるかのように、何かにつけ彼の毛皮にすり寄っていたのに。一つやり終えると背中にくっつき、次に何か始める前には、さて、と頭をゴッツンコする、といった具合に。

 そんな私が、一日に一度だけ、彼の不在を強く感じる瞬間。

 それは、帰宅した時である。

 横着アタゴロウは、もとより絶対にお出迎えに来ない奴である。玉音ちゃんは、ダメがいた時には、一緒に見えるところまで出てきたりしていたのだが、どうやらそれは単に、おじさまを慕って行動を共にしていただけだったらしい。ダメがいないと、私が帰宅したところで、物陰から出てきやしない。

「お前ら、お出迎えくらいしろよぉ。」

 私が文句を垂れても、二匹ともどこ吹く風である。だが、私はそれ以上強く言えない。彼等が私の帰宅を別に喜ばない理由は分かっている。原因はひとえに私の側にあるからだ。

 つまりそれは、私が「帰宅してもすぐに夕飯を出さないから」である。

 だが、ダメは、それでも必ず出迎えに来た。思えば律儀な男であった。

 

 

 一事が万事。この一件からも分かるように、奴らはどうやら、こう見えてけっこうドライな性格であるらしい。

 いや、言い方を替えよう。

 情の薄いのは、私だけではなかった。

 奴らもすでに、おじさんがいなくて淋しいという感覚を失ってしまっているようだ。

 甘えん坊になったと思ったのも最初だけ。強いて言えば、アタゴロウはこのところ、私が家にいるとやたらに構えと言ってくるが、それも「淋しいから」というより「暇だから」というテイストが強いように思う。

 玉音に至っては、もうもう、おじさまがいなくなってアタシの時代が来た、と言わんばかり。

 急激にデレた。

 まずは、私に対して「要求」をするようになった。ごはんをもっとくれ、だの、尻を叩け、だの、撫でろ、だの。

 それも、声に出して言うのである。短く「ミャ」と鳴くのが可愛くて、こっちもデレデレしてしまうのだが、冷静に考えると、お前それ、自分が可愛いって分かってやってるよね、ってやつ。

 そうこうしているうちに、驚いたことに、今度は自ら寄って来るようになった。

 食事時に「お代わり」を言いに来る。私が台所にいると、遠慮がちな目をして物陰からそーっと覗きこんでくるのだが、これも冷静に考えれば「お前、それ分かってやってるよね」だ。しかも、お代わりをついでやろうと皿のある場所まで行ってみると、実はまだほとんど口をつけていなかったりする。要するに、単に私を使役しに来ているだけなのである。

 私が食卓の椅子に座って食事をしているとき。リビングにいる玉音と目が合うと、椅子の下まで歩いて来る。そして、尻を出す。「叩け」である。

 私が食事を続けていると、尻を持ち上げたまま振り返って

(やっぱり、お邪魔だったかしら…)

と、不安そうな顔をして私を見る。これもゼッタイ、分かってやっている。

 寝起きであるとか、布団を敷いた後に、私がマットレスの上や端に座って髪を乾かしたりしていると、マットレスの側面に自らの体側を付けるようにして座る。それも、私の手がギリギリ届くくらいの距離感で。「撫でて」もしくは「お尻叩いて」のポーズだ。

 もちろん、これらはみな、少しずつの歩みではあるのだが、これまで五年以上もかかっていたものが、ダメがいなくなってからの進歩のスピードがあまりにも顕著なのだ。これまでの五年分を、半年でやり遂げたくらいの感覚ではないか。

 おじさまがいなくて淋しいのだ、と、無理に解釈できないこともない。

 だが。

 いいややっぱり、違うと思う。

 おそらく彼女は、これまで遠慮していたのだ。あるいは、諦めていたのだ。

 我が家の猫順列において自分が最下位であると知っていた。だから、雄二匹を押しのけて私に甘えることなどできなかったし、私の関心も自分の上にはないと思っていた。

 また、ダメとアタゴロウのベタベタな親密さを目の当たりにして、猫同士の関係においても、自分の入る場所はないと感じていた。

 ダメがいなくなったことで、彼女の順位は繰り上がった。そういうことだ。

 そう考えると、気弱な玉音ちゃんが不憫でならず、いっそう愛しくなってしまう。

 いやまて。ひょっとしてこれも、分かってわざとやっているのか…?

 

 

 

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 そして、昨夜。

 ついに、私達の関係は、新たな段階を迎えた。

 何と。

 聞いて驚くなよ。昨夜、ついに――

 

 玉音ちゃんのブラッシングに成功した

のである!!

 

 

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 事の起こりは、そう、七月頃だろうか。

 玉音ちゃんの背中を撫でていて、どうも触り心地が悪いと感じた。

 このブログにも何度か書いているが、玉音にはナゾのアレルギー?があり、しじゅう、あちこちにハゲができる。そのハゲの部分には、よく見ると乾いたカサブタがついていたりする。

 おそらく、カサブタが剥がれて粉々になったものが、被毛に絡むのであろう。彼女の毛皮は、時として粉っぽい。粉っぽいなと思って全身を良く見ると、必ずどこかしらに、カサブタつきのハゲがある。

 それゆえ、

(また、どこかハゲたか。)

 その時もとっさにそう考えたのだが、しかし何か、釈然としないものがあった。

 彼女のハゲは、顔周りと前脚、ときどき横腹といった辺りによくできるのだが、今回は何だか、背中全体がザラついているのである。

 それに――。

 何だか、覚えがあるのだ。この感触。

 と、思い当たった瞬間に、目も眩むような既視感が、彼の幻影を伴って、鮮烈に立ち上がったものである。

 ああ。これは――、

 抜け毛だ!!

 ハッとして、思わず手元を見た。

 ここにも、強い既視感があった。

 玉音の背中を、首の後ろから尾の付け根に向かって、毛並みに沿って撫でていた私の手。その手の行きつく、彼女のしっぽの付け根には、背中から抜けたおびただしい量の白い抜け毛が、さながら初雪の午後の吹き溜まりのごとく、ほんわりと絡みついていたのである。

(――ああ、ダメちゃん。)

 彼と同じである。何故か背中にやたらと抜け毛が多いため、背中を撫でていると、いつのまにか抜け毛取り大会になってしまう男だった。即ち、うっとりと背中に触れるスキンシップではなく、ちょっとでも多くの抜け毛を尻尾の付け根に集めるための、力をこめた掌マッサージに変貌してしまうのである。

 果たして玉音は、おじさまと同様、抜け毛取りマッサージを許した。そしてそこには、ビー玉くらいの白い抜け毛ボールが発生した。

 それを見て、普段、妻には無関心な黒白男が、抜け毛ボール目当てに寄ってきたことは、言うまでもない。

 ビー玉大の抜け毛ボールを見て、私はまた、感傷に耽った。

 ダメちゃんだったら、ピンポン玉くらいイケたのにな。

 いや、ピンポン玉は、ブラシを使った時だったかもしれない。だいいち、ダメと玉音では、そもそも体表の面積が違う。比較すること自体が間違いではないか。

 やはり彼は、余猫を以って代え難い猫だったのだ。

 

 

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ダメちゃんの毛玉ボール、もとい、本体でした。(耳が見えるでしょ。)
 

 

 こうして「手ブラ」を施した玉音ちゃんの背中は、いつものようなツヤピカフカの美しい白毛皮に戻った。

 キング・コングエステサロンにも、ついに新メニューができたのである。

 だが、そのツヤピカフカ毛皮も、一週間もすると、再びうっすらとザラついた感触に戻ってしまった。

 玉音は実は、抜け毛の多い猫だったのである。

 なぜ五年もの間、それに気付かなかったのか。

 答えは簡単である。私が玉音ちゃんを撫でなかったから。

 いや、そうは言っても、これまでだって全然撫でなかったわけではない。お尻を叩いたついでに、背中をナデナデくらい、多少はやっていた。それでも、特に抜け毛が多い印象はなかった。何しろフカフカ毛皮だから、意外にこの子は抜け毛が少ないんだな、と、ちょっと不思議に思っていたくらいなので、その辺りは微妙に不可解である。

 まあ要するに、昨年までは、そこまで本気で長時間撫でることができなかった、ということなのだろう。

 私と玉音ちゃんとの間にあった距離は、自覚していた以上に遠かったのだ。

 

 

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 こうして、玉音ちゃんの抜け毛を認識してから、私は

(いつかはブラッシングを…)

と、彼女の隙を窺うようになっていた。

 何しろ、デレてきたと言っても、未だに、私が何かうろんな動きをすると、一瞬にして逃げ出す猫なのだ。撫でろと言って近くに来るくせに、私の方から膝を進めると

(寄らないで!)

とばかりにさっと身を引く。

(手を伸ばせば、届くでしょ。)

 いやいや、届くには届くけど、そこだと腕が疲れるんですけど。

 と、まあ、やっぱり、一定の緊張感は残した関係なのである。

 軽く事情を説明しておくが、いかに私がだらしなくて散らかし魔だとはいえ、猫のラバーブラシは、普段はその辺に放置はしない。うっかり踏むとキケンだからだ。そして、その定位置は、ピュアクリスタル(給水機)の後ろの籠の中である。ここは、食卓からは遠い。

 玉音が私にデレるのは、圧倒的に食卓の下が多い。それも、私の方が呼ぶのではなく、彼女の方が気が向くと私を呼ぶ。そして、私がすぐに行かないと、簡単に諦めてどこかに行ってしまう。

 という事情なので。

 彼女に「手ブラ」をしてやる機会は、その後何度もあったのだが(というより、撫でるたびに「手ブラ」になっていたのだが)、なかなか本物のブラシに辿り着かなかったのである。

 正直、試してみるのが怖いような気もあった。

 ブラシなどという怪しいものを見せたら、彼女は即座に逃亡し、その後、二度と撫でさせてくれなくなるのではないか。

 これまで散々、辛酸をなめさせられているお陰で、私は必要以上に疑り深くなっているのだ。

 できることなら、彼女に悟られぬうちに既成事実を積み上げて、ブラシの心地よさを覚えてもらいたい。

 彼女が私に「手ブラ」をさせ、良い気分になって油断しているところを、彼女に見えないように反対の手でサッとブラシを捉え、気付かれないくらいのソフトタッチで触れながら、いつのまにか手ブラから本物のブラシに移行する。そうしてあとはなし崩しに――というのが、私の思い描いた作戦であった。

 と。

 ここまで書くと、私の猫記を読み慣れた方は、

(でもそこで想定外のことが起こったんでしょ?)

と先読みなさることだろうけれど。

 ふっふっふ。

 意外や意外、今回に限っては、作戦どおりの筋書きで事が運んだのである。

 昨夜。

 布団を敷いて、マットレスの縁に座って髪を乾かしていたら、そこに玉音ちゃんがやって来た。マットレスの側面に体側を付け、私にお尻を向けて。

 撫でてやりましたとも。ええ。

 撫でているうちに、ふと気付いたのだ。ここからなら、ちょっと腰を浮かせれば、ラバーブラシに手が届く、と。

 それだって賭けではあったのだが、私が身動きしたことで彼女が警戒して逃げたなら、それはそれでよくあることだ。駄目なら駄目で良いではないか。

 右手で彼女を撫でつつ、そっと腰を浮かせて、一瞬にしてラバーブラシを左手で掴む。彼女はちょっと顔を上げてこちらを見たが、左手を即座に自分の体に引きつけて彼女の視界に入らないようにしていたためか、私が何食わぬ顔で撫で続けると、また頭を降ろして撫でられ体勢に戻った。

 そうして――後は計画どおりである。

 唯一違ったのは、彼女が、自分を撫でているのがブラシであって私の手ではない、と気が付いても、驚きも逃げもしなかったこと。

 やはり、ラバーブラシの魅力は、人間の想像以上だったのだ。

 背中を擦り、左の横腹を擦り、かなり腹に近い所まで行ったが、なぜか右側はやらせてくれなかった。

 右側の体側がマットレスから離れたところで、マットレスと脇腹の間にブラシを入れ、脇腹を擦ってみるのだが、どうしてもゴロンしてくれない。そのまま垂直の状態でブラッシングを続けたが、やはり体勢に無理があり、鬱陶しがってやがて逃げてしまった。

(何で、片側だけ拒否するんじゃい!)

 ブラシに絡んだ白い毛を剥ぎ取って、憮然としつつ毛玉ボール(大きいビー玉大)をこしらえる。だが、

(――あ。)

 気が付いて、つい、感傷的な気分になった。

(ダメちゃんと同じだ。)

 ダメも、決してブラッシングが嫌いではないのに、なぜかいつも、左右どちらかしか、やらせてくれなかった。反対側を擦りたくて、ブラシを持って追いかけ回したことも度々であった。

 猫って、おしなべて皆、そういうものなのだろうか。

 それとも、彼の家で育ったから、玉音がダメに似たのだろうか。そんなことって、あるのか?

 

 

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 続きがある。

 今朝のことだ。

 例によって、目覚めてからも布団の上でサボっていると、アタゴロウが朝食の催促に来た。

 催促といっても、私に対する期待値が低いうちの猫どもは、鳴いたり騒いだりしない。ただすりすりと甘えてくるだけである。

「可愛いねえ。アタゴロウ。キミは非の打ちどころのない可愛い猫だよ。」

 彼が欲しいのはそんな甘ったるい言葉でも、ましてやナデナデなどでもなく、朝食であるに相違ないのだが、とりあえず背中を撫でさせてゴロゴロ言ってくれる。愛い奴だ。

「しかしアンタ、何だか手触りが悪いわね。」

 珍しいことに、今朝は彼も抜け毛小僧なのだった。

 手で強めに擦ってやると、尻尾の付け根に抜け毛が集まった。集まった抜け毛の束が、扇風機の風に吹かれてふわふわ飛ぶ。それを拾い集めると、小豆大の毛玉ボールができた。

「やっぱり、玉音の方が多いわね。」

 小豆大ではやはり小さすぎたのだろう。アタゴロウは自分の毛玉ボールに一瞬で飽きた。立ち去って行く後姿を見ながら、私は内心で、

(やっぱり、まだまだだな。)

と、つぶやいていた。

 亡き大魔王のレベルに達するには、である。

 抜け毛大魔王はピンポン玉。白い魔女は大きいビー玉。

 小豆大の黒い奴は、さながら「使い魔」とでもいったところだろうか。

 

 

 それにしても。

 玉音の毛玉ボールをこんなに何度も作ったのは、今年が初めてである。

 アタゴロウの抜け毛がこれほど集められたのも、今回が初めてである。

(何で今年は、二匹とも抜け毛が多いんだ。)

 本当に量が多いのかは分からない。玉音のことは、そもそも昨年まであまり撫でていなかったし、アタゴロウの抜け毛も、昨年までは、ダメがグルーミングして舐め取っていたということなのかもしれない。

 だが。

 実は私は、この件に関し、内心、密かに畏怖の念を抱いている。

(大魔王、恐るべし。)

 これはもしかして、この正月、志半ばにしてこの世を去った、抜け毛大魔王の超能力の為せる業なのではあるまいか。

 だが、何のため? 

 抜け毛で世界を征服するためか。

 極悪非道な家主を困らせるためか。

 あるいは――。

 私の密かな夏の楽しみである「扇風機にひっかかった猫の毛集め」の趣味を、今年も全うさせてやろうという、大魔王の慈悲の心なのか。

 

 

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ちなみに、扇風機の前面に付いている籠は、保冷剤を入れて即席冷風扇にするためのもの。

私は生協の冷凍食品を冷凍庫に入れた後、残ったドライアイスを入れて束の間の涼を楽しんでいます。

 

 

 いや、たぶん。

 彼の性格から考えるに。

 大魔王は、新盆であるという事実を思い出しもしなかった私に対し、

(ちょっとは真面目に、ぼくを偲びなさいよ。)

というメッセージを、後輩たちに言付けてよこしたのだろう。

 だが、彼がそれを言いに来ていたのが、七月のお盆だったのか、八月のお盆だったのか、その辺は定かではない。

 彼は山梨県の出身で、猫生の大半を東京で過ごしたのだから。

 

 

 

 

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