マリア・マグダレーナ

 これは夢だろうか。

 まどろみから覚めかけた私の額を、オリーヴ色の美しい二つの瞳が、まっすぐに見下ろしている。

(ああ、玉音ちゃん…)

 玉音ちゃんが私の枕元に座って、私をじっと見つめていた。

 しかも、彼女の顔は、中世の宗教画に描かれる光輪のような、硬質なきらめきを放つ透明の円に縁どられているのだ。

 何年ぶりのことだろう。いや、初めてのことかもしれない。彼女は私のすぐ近くで、だがわずかな高みから私を見下ろしている。朝のやわらかな光が、彼女の白い被毛の上に、霧のような儚い陰影をゆらめかす。

(何と愛らしい…。)

 玉音ちゃん、君はやっぱり、天使だったのだ。あの日、悩める私に神様が遣わしてくださった、小さな白い天使。優しい天使――。

 そのとき、天使が口をきいた

「ニャ!!」

 あ、はい。すみません。起きます。ご飯にします。

 

 玉音は結局、歯科病院に四回通院した。

 一回目が四月十六日、紹介された当日である。

 歯科病院は繁盛しているようだった。ひっきりなしに患者が来る。ただし、みんな犬だった。実際、私が訪れた四回で、玉音以外の猫と遭遇したことは一度もない。

 玉ちゃん怖いだろうな、と、気が気ではなかったが、結局、その待合室で一時間ちょっと待った。事実上予約なしで、無理やり入れてもらったのだから仕方がない。

「玉音ちゃん、お入りください。」

 この病院では、患者をペットの名前で呼ぶらしい。なお、飼い主(女性)の方は、一律「おかあさん」である。

 結論から言えば、その日は診てもらえなかった。私のミステイクである。ネットに入れていかなかったため、キャリーから出そうとした瞬間に玉音が脱走を試み、

「これじゃ無理ですね。」

ということになってしまった。

 全くもって、お恥ずかしい限りである。ミツコ先生がそのままでも器用に扱ってくれるのに慣れてしまい、ネットに入れるという知恵が働かなかった。そもそも、玉音のような猫を、剥き身のままで、初めての動物病院に連れて行くのは、マナー違反でもあろう。

 とはいえ、一時間半の待ち時間が全く無駄になったというわけではない。代わりに、いろいろな症例の写真を示され、「こういう感じですか?」と私が問診を受けながら、病気の説明と、手術の説明をしていただいた。

 実は、午前中、ミツコ先生に言われて、三月二十三日の血液検査の結果を写メしていったのだが、それが役に立った。かなりの貧血で、全身状態も良くないということを、歯科の先生も理解してくださったのである。それを前提にしての、手術の話だった。

 この状態だと、麻酔は、ちょっと動かしたらすぐ覚醒する程度の、ギリギリに弱いものしか使えない。このため、併せて、痛み止めを三か所から流す。

 ただし、実際に手術を行うかの判断は、当日、詳細な検査をしてからとなる。検査の際には、まず軽く鎮静をかける。(そのままでは検査できない。)

 ミツコ先生からも、下手に麻酔をかけると腎臓に負担がかかるから、手術できるかは分からないよと言われていたので、全て想定の範囲内だった。

 抜歯は「全顎抜歯」と「全臼歯抜歯」があり、どちらがいいか?と訊かれたが、

「どちらがいいんでしょう?」

 つい、聞き返してしまった。

 色々説明をしてもらったが、要するに、前歯がまだ保てるなら、一度に全部抜かずに様子を見るのもアリだ、ということのようである。その後、口内炎が進行するようなら、その時点で残りを抜く。

 悩んだが、全顎抜歯にした。今後必ず悪くなると決まったわけではないとはいえ、そもそも完治する病ではないのだから、その可能性は高い。二回も手術するのは可哀想な気がした。

 手術は正午からである。

「通常、お預かりして、夕方迎えに来てもらうのですが、この状態なので、院内で待ってもらうことになると思います。」

 一日休暇を取らなければならない。だが、休暇を取るのはやむを得ないとしても。

 嫌なことを言われたな、と、思った。

 飼い主が待合室で待機していたところで、手術中に何かあっても、何ができるわけじゃない。それってつまり、万一の時、死に目に会えるようにってことだよね、と、つい思ってしまったのだ。

 

 手術は二十二日に決まった。予約が取れる、直近の日程を選択した。

 手術まで一週間。

 私は必死だった。食べさせなければ。この一週間の間に、体力と体重を、少しでも回復させなければ。とにかく、手術を無事に乗り切らせなければならない。

 翌十七日。総合栄養食ちゅーるを爆買いし、併せてワンラックキャットミルクの五十グラム缶を購入した。

 総合栄養食ちゅーるは、一本が十三キロカロリーである。シリンジで与えられるのは、一食につき二本か、頑張って三本が限度だろう。ちゅーるは一袋に四本入っているから、だいたい一日一袋計算である。カロリー換算して、五十二キロカロリー。全然足りない。

 猫ミルクは一グラムがだいたい五キロカロリー。添付の匙の容量がおよそ二グラムだから、一食につき二匙混ぜると二十キロカロリー。一日二回で、四十キロカロリー

 どう頑張っても、一日百キロカロリー程度にしかならないのだが、まずはそこを目標とした。(玉音の体重だと、本来、一日二百キロカロリーが目安である。)

 朝晩、玉音を押し入れから引きずり出し、ネットに入れ、顔だけ出した状態でシリンジ給餌する。無理やり口にシリンジを押し込んで食べさせるわけだから、一回一回が闘いである。

 一週間経つころには、玉音はすっかり私に不信感を抱いたようで、私を見る目が、道端でたまたま目が合った野良さんのそれとそっくりになっていた。

 ちなみにであるが、毎度わざわざネットに入れていたのは、私が玉音をネットに入れる練習を兼ねてのことである。ついでに、「ネットに入れられる=ご飯」という刷り込みを作っておけば、“本番”にちょっと油断してくれるかも、という期待もあった。

 そう。私自身にとって何よりのプレッシャーは、「当日、玉音をネットに入れなければならない」ことだったのである。

 そして、手術当日を迎える。

 

 手術そのものについては、あまり書くことはない。

 練習の甲斐あって(?)、捕獲・ネット収納はつつがなく行われ、病院にも早めに到着し、事前の検査も、おそらく、予想より良い状態だったのではないか。

 まず、犬歯は抜きますか?と訊かれた。見たところ、犬歯だけはまだ抜かなくてもしばらく保ちそうだとのことだった。(既述のとおり、抜いてみたら結局、腐っていたのだが。)

 また、驚くというより、拍子抜けしたのが、

「一時間半くらいかかるので、外出しますか?ここで待っててもいいですけれど。」

と、言われたことだった。つまり、普通に手術できる状態だということだ。

「ここで待たせていただきます。」

 何しろ、長期戦を覚悟して、本を二冊と、お茶とおにぎりまで持参していたのである。結局、一冊目の本の最初の方を読んだだけだったが。

 こうして、手術は無事終わり、手術と検査の結果説明を受けたのは、前回の冒頭に記したとおりである。

 問題は、手術後の自宅療養であった。

「三週間は、固いものを食べさせてはいけません。ドライフードなら完全にふやかしてから。モノは、当面は何でもいいです。食べられるものを食べさせてください。」

「舐めて食べられるような…?」

「そうです。お刺身でもカニカマでも、すりつぶしてあげるとか、あとは、ちゅーるとか。」

「あ、ちゅーるなら食べます。」

「じゃあ、ちゅーるをあげてください。ちゅーるなら、口元に持っていけば舐められるでしょ。」

「今、強制給餌なんですけど。シリンジで。」

「シリンジは駄目です。固いから。」

 あ、そうか。確かに。

 実は、私自身は、いずれにしても強制給餌となることを前提に、そこまでの話を聞いていたのだ。シリンジが使えないとなると、どうしたものか。

 看護師さんが助け舟を出す。

「指であげて下さい。指なら軟らかいですから。」

 まあ、噛まれる心配もないわけだしね。

 でも、玉音ちゃん、私の指から食べてくれるかなあ。

 薬は、鎮痛剤(オンシオール)を三日分だった。ごく少量なので、ちゅーるに混ぜて鼻にちょっとつけてあげれば、自分でぺろっと舐めるから、と言われた。

 薬はまあいいとして、今考えると、私は最初から給餌に自信がなかった。正直なところ、手術前から全く自分で食べようとしなかった玉音が、術後は自分から食べるようになるとは思えなかった。だが、痛みが治まれば、食べるようになるのかもしれない。そういうものなのかもしれない。

 そんな希望的観測に縋る形で、その場はそれで済ませてしまった。

 それが良くなかったのだ。「できません」と、はっきり言えば良かった。

 なぜ言えなかったのだろう。ただ、私が気弱だから。それしか理由を思いつかない。

 

 この続きを書くのは、はっきり言って辛い。

 あまりに自分が愚かすぎて。

 恥ずかしさ、情けなさ、玉音に対する申し訳なさ。そして罪の意識。

 自分の駄目さに向き合うのは苦しい。

 でも、こうして自分を公開処刑するのが、せめてもの償いだと思って書く。

 

 続く一週間。

 案の定、玉音は食べようとしなかった。薬は教えられたとおり、ちゅーるに混ぜて鼻のあたりにつけ、舐めとらせるようにしたが、それだって場所が悪いのかなかなか舐めてくれない。いわんや、指にちゅーるをつけて口元に持っていったって、全力で頭を後ろにひっこめるだけで、頑として口を開けない。

 だが、FIV発症の可能性を指摘されたことで、私には、何が何でも食べさせなければという焦りが生じてしまっていた。

 今考えれば、なぜそんなことをしてしまったのだろう。

 口を開けさせるために、私は彼女のほっぺたを押して、無理やり口を開けさせた。大丈夫かな?という危惧が、脳裏をよぎらなかったわけではない。だが、口の中に指を突っ込んで歯茎に触るわけではないのだから、ギリギリ許容範囲内だと、自分で自分を納得させた。

 もう、これでお分かりだろう。

 これが悪かったのだ。そんなことは、ちょっと考えれば誰にでも分かることなのに。

 こうして口を開けさせる。ただしシリンジは使えないので、開いた口の中に、ちゅーるを絞り出す。

 口に入ったちゅーるを、玉音はすんなりと嚥下した。吐き出しはしなかった。飲み込めたのだから、これは「食べられた」に入る、と、私は自分に都合の良い解釈をした。

 ちゅーるを使っていたのは、四月二十四日までで、二十五日の夜からはアぺ缶に切り替えている。アぺ缶は液体なので、シリンジを使わざるを得ないのだが、これは「シリンジそのものは口に入れず、水鉄砲方式で外から口の中に噴射する」という方法で解決した。(と、自分では思っていた。)

 左手で玉音の後頭部をつかみ、親指と中指で両頬を押して口を開かせ、右手に持ったシリンジから液体を注入する。あるいは、ちゅーるを絞り出す。

 ちゅーるは一食に二本程度(一日四本くらい)、アぺ缶は一食に六十ミリリットル程度(一日に三分の二缶くらい)を、給餌できていたと思う。

 だが。

 私が異変に気付いたのは、二十七日の夜である。

 歯科の先生からは、給餌の際に口の中を確認するように言われていた。(本来なら、術後三週間くらいで診察があるのだが、玉音の性格では連れてきても診られないだろう、ということで、自分でよく見るようにと指示を受けていた。)とはいえ、こちらも給餌に必死で、じっくり観察できるわけではない。出血していたり、妙に黒くなったりしていないか、見える範囲で見てはいたのだが。

 その少し前から、何となく違和感はあった。だが、そもそも猫の口の中を見慣れているわけではない。まして、術後の状態について、何が異常なのかの見極めは難しい。

 だが、そのときは、明確におかしいと思った。

 白いものが見えたのである。

 そしてまた、玉音の口から血が滲んでいることにも、遅ればせながら気が付いたのだった。

 

 

(手術結果の説明書。赤斜線の部分が全て縫合部位である。)

 

 ただ、後悔しかない。

 自分の愚かさを呪う。

 食べないなら、点滴をするから連れてこい、とは言われていた。食欲が通常の三分の一以下だったら相談するように、と、説明書に記述もあった。

 正直、私は玉音の食欲の「ある」「ない」が分からなくなってしまっていた。もともと遊び食いで食の細い子だということもある。私の手を怖がり、私のちょっとした動きで食べるのをやめてしまう子だとうこともある。

 歯科の先生は、玉音が、食欲があるなら自分からちゅーるを舐める・ないなら舐めない、という前提で話していたのだろう。だが、私は、玉音が私の指を舐めないことを「食欲がないから」と考える感性さえ失っていた。

 さらに踏み込めば、多分、私は、「口内炎さえ治ればすべて解決する」という方向に、物事を解釈したかったのだ。このため、食べられないのは術後で口が痛いからだ、手術の傷が癒えれば自分で食べられる、と、思い込んでいた。回復させるためには食べさせなければならない。だから今が頑張りどころだ、心を鬼にして食べさせなければ、と。

 おそらく、歯科の先生も、玉音が口さえ開けないという想定はしていなかったのだろう。口が痛いだけなら、食欲はあるはず。鼻先にちゅーるを差し出されれば反射的に舌がでるだろう、と。(ついでに言えば、私は、亡きダメちゃんも含め我が家の猫たちに、ちゅーるをパックから直接舐めさせたことは一度もない。私にとって、ちゅーるはおやつではなく、固形のフードが食べられないときの代替食の位置付けだからだ。それを先生に言わなかったことも、話のすれ違いに繋がったのかもしれない。)

 歯科の先生には、その後、今更のように、

「全身状態が悪くて、食べられなかったんですね。」

と、言っていただいた。明らかに、落ち込む私を気遣っての発言である。

 要するに、歯科の先生の認識と私の認識は、はじめから全く嚙み合っていなかったのだ。

 であるなら。

 最初に玉音が口を開けなかった段階で、すぐ相談すればよかったのに。

 なぜ、あんなことをしてしまったのだろう。

 自分が愚かだから。

 玉音の痛みや苦しさを思いやる、優しさと感受性に欠けているから。

 ただ、自分に都合の良いように、自分が楽なように、物事を考えようとしていたから。

 介護者として、完全に失格である。

 そのツケを払わされるのは、私ではなく玉音なのに。

 

 実は、この間に一つの「事件」があった。

 手術直後くらいからだろうか。猫トイレの砂のちらばりが激しくなった。

 最初は玉音だと思った。エリカラが引っかかってトイレをうまく使えずに、やみくもに砂を掻いてしまっているのだろうと。

 だが、やがて、それでは説明がつかないことに気付いた。玉音がトイレに行けば、エリカラが引っかかって音がするため、まず間違いなく分かる。ところが、玉音がトイレに行っていなくても、いつの間にか砂が飛び散っていたりするのだ。

 そう。犯人はアタゴロウであった。

 そういえば最近、アタゴロウがトイレに行くのをよく見るな、と思い始めた矢先、二十四日日曜日の夜である。そのアタゴロウのトイレが「空振り」であることに気付いた。その都度、砂に座るのだが、立ち去った後も砂が乾いているか、ほんの少ししか濡れていないのである。

 さてはまた尿道が詰まったか、と、ドキリとした。

 便秘の可能性も考えたが、糞は一応出ている。だいいち、座ったときの体勢から、尿の方であることには間違いない。

 そうこうしているうちに、アタゴロウが大きな声で鳴き始めた。撫でてやったら、手に水滴がついた。見るとうすく赤い色がついている。

 血尿である。

 翌日、急遽、午前中に休みを取り、病院に連れて行った。

 結論から言えば、膀胱炎であった。抗生剤の錠剤が出た。

 おくすり猫が二匹になったわけだが、アタゴロウは薬を飲むのが上手なので、こちらは全く苦にならない。症状としても、その夜がピークだったらしく、すぐに軽快した。

 おそらく、ストレス性のものだったのではないか。

 なお、この通院の際に、ミツコ先生から紹介されたことをきっかけに、玉音のフードはちゅーるからアぺ缶に切り替わった。

 亡きダメちゃんの闘病中は、玉音のアトピーが見るも無残なほど悪化した。それと同じだ。一匹が闘病していると、別の猫がストレスで体調を崩す。

 アタゴロウには可哀想な一件であったが、後述するように、この「事件」が、後で大きな意味を持つのだ。

 

 

 

 四月二十八日。

 連休直前なのに職場には申し訳ないと思ったが、休みを取って、玉音を歯科病院に連れて行った。

「口から出血しているみたいなんです。」

 歯科の先生は、玉音の口内を一目見て、愕然とした様子だった。

これはひどい。縫った部分が全部はずれてる。壊死していますよ。ほら、骨が見えてるでしょ。」

 骨!

 やっぱり、そうだったのか。

 白いものが見えたときに、まさかと思ったのだが。

 先生は、私にも分かるように玉音の下顎の部分を示して見せていたが、私はあまりのショックに直視することができず、思わず顔を背けてしまっていた。

「すみません。私が無理やり食べさせていたんで、それが悪かったんだと思います。」

「何を食べさせていたんですか。」

「最初はちゅーるで、あと、アぺ缶と。」

 私は、玉音の口にちゅーるを絞り出したこと、アぺ缶を水鉄砲方式で飲ませたことを説明した。

 先生は険しい顔で、私のしどろもどろの説明、というより弁解を聞いていた。

「シリンジは口に入れてません。でも、どうしても口を開けてくれないんで、無理やり開けさせました。」

「どうやって!?」

 鋭い口調だった。

「――ほっぺたを押して。」

「あー。」

 先生だけではない。看護師さんたちも、私を除くその場にいた全員が、異口同音に、そう言ったきり絶句した。

 その時になって、ようやく私は気が付いたのだ。たとえ直に触れていなくたって、手術後の縫合部に圧力をかけたら、傷が開いてしまうことなど、当り前じゃないか、と。

 なぜそれが、分からなかったのだろう。

 無言の非難。いや、非難というより、呆れ・失望・困惑、そしてもしかしたら軽蔑――をいっぱいに含んだ沈黙。その場の空気が、耐えがたいほどに重かった。

「すみません…。」

 消えてしまいたい。

 恥ずかしいを通り越して、もう、申し訳ないという思いしか、心に浮かんでこなかった。

 玉音にも。また、手術をしてくれた先生たちにも。

 ややあって、先生は言った。

「でも、もう一回縫うことはできませんから。今後は、頭を掴むようなことはしないでください。」

「すみません。」

 縫えないとなると、どうなってしまうのだろう。恐ろしくてその先は訊けなかった。

 こんなことになってしまったのは、百パーセント私が悪い。私には、もはや、何も言う資格はない。

 だが。

 一つだけ、勇気を奮い起こして、私は言ってみた。

「あの、もう鼻チューブにした方がいいんじゃないかって、言われたんですけど。」

 誰に、とは敢えて言わなかったが、もちろん、私にその知恵を授けたのは、ミツコ先生である。

「ああ、チューブね。」

 先生はすぐに察してくれた。

「チューブも、鼻と、食道から入れるのとあるけど、どっちがいいですか?」

 ミツコ先生には感謝しかない。ここでやっと、玉音の病状は、回復に向かって動き出すのだ。あまりにも理不尽な、苦しい回り道の後に。

 

 今、この記録を書くために記憶を手繰り寄せていて、ふと気付いたことがある。

 ミツコ先生が私に、鼻チューブ、即ち、経鼻カテーテルを勧めてくれたのは、いつのことだったか。

 電話で話したような気がしていたが、確認すると、該当する通話記録がない。となると、私が病院を訪れた際である。つまり、アタゴロウが血尿をして、診察に連れて行ったとき、もしくは、その翌日、アぺ缶の追加購入に立ち寄ったときである。

 つまり、もし、あの時、アタゴロウが膀胱炎にならなかったら、玉音はまだ、食べることができずに、苦しい思いをしていたかもしれないのだ。あるいは、とうの昔に、命さえ危なかったかもしれない。

 天の配剤、とでも言うのだろうか。

 アタゴロウには、本当に可哀想だったけれど。

 

(ちなみに、アぺ缶はこれ。玉音の場合は一日一本が目安である。) 

 

 だが、経鼻カテーテルの効果が表れるのは、もう少し先の話である。

 玉音は歯科医院でカテーテルを設置してもらった。同時に、縫える部分は再縫合してもらった。(再縫合は無料にしていただいた。)

 カテーテルの使用説明を受けた後、居合わせた看護師さんに、唐突に

「頑張りましたね。」

と、言われたが、これは多分、私が投げやりにならないようにと、予防線を張られたまでのことだ。経鼻カテーテルを使っても、結果的に、その日はほとんど食べさせることができなかったのだから。

 多分、その再縫合の日の夜が、玉音にとって最も苦しい時期だったのではないか。

 

 その夜、おそらく、玉音は眠ることさえできなかったのだと思う。

 ぐったりと蹲ってはいるが、じっとしているのも辛いようで、頻繁に歩き回っては場所を変え、また力なく座り込む、を繰り返す。

 だが、歩き回るその足取りが覚束ない。ふらつき、姿勢を低くし、十分に立ち上がる力さえないように見えた。

 経鼻カテーテルからの給餌は、やってはみたものの、一度に十ミリリットルが限度だった。流し込み始めると、すぐに口をくちゃくちゃ言わせ始める。説明書きに、「口をクチャクチャしたら終了」とあったので、怖くてそれ以上、続けられなかった。

 夜が更けてくると、今度は、やたらと鳴き始めた。それも、可愛らしい「ニャ」とか「ニャ―ン」ではない。先日のアタゴロウもそうだが、切羽詰まった猫の、かすれたような低めの大声で鳴くのである。

 声は大きいが、顔つきに生気がない。弱っていることが一目で分かる。

 私は心配で、うろつく玉音を追いかけるように、傍に行っては、何をするでもなく座って付き添っていた。何も手に付かない。風呂に入るタイミングさえ逃した。

 そうしているうちに、疲れが出てきた。

 玉音に付き添う姿勢が、座位から腹這いになり、横寝から、さらに仰向けにになった。朦朧とし、時折うとうとしながら、それでも、玉音が場所を変えるたびに、近くに行ってまた横になる。朝までこれを続けよう、続けなければ、と、靄のかかった頭でぼんやりと考えながら。

 日付が変わり、すでに二時頃だったか、いや、三時近かったか。

 玉音がふと立ち上がり、よろめきながら、食卓の椅子の下まで行って立ち止まった。そして、しわがれ声で私を呼んだ。

 リビングの床を這うようにして、食卓の下に座り直した私は、そこで私を待っている玉音を見て、はっとした。

 玉音は私の方にお尻を向け、その尻をわずかに持ち上げていた。

「玉ちゃん、お尻叩くの?」

 そう、玉音は私に、腰パンを要求していたのだ。そうやって、精一杯の力を振り絞って、私に甘えようとしているのだった。

 その時、私が何を思ったか。

 今だから言える。これがいつか、笑い話になることを望む。

 その時、私は思ってしまったのだ。この子は、もう朝を迎えないのかもしれない、と。

 涙が出そうだった。

 やせ細った玉音の腰を叩くには、やや躊躇があった。あまりにも肉付きが薄すぎて、叩いたら壊れてしまいそうだった。

 軽く、本当にごく軽く、しっぽの付け根を指でとんとんと叩く。そのまま、背中を何度も撫でた。すると玉音は、今度は私に頭を向けてきた。反対の手をそっとエリカラの中に差し込んで、耳の後ろを撫でてやった。

 玉音はいつものとおり、小走りするように、テーブルの下で何度も場所を変えた。移動する都度、振り返って、私がついてくることを確認する。そして、期待を込めた背中を私に向ける。

 鼻にチューブが入っているため、玉音は鼻を鳴らすような、ちょっと鼾のような呼吸音を立てていた。私が撫でていると、その呼吸音がことさら大きく聞こえた。

 いや、そうではない。じっと聞き耳を立ててみると、彼女は呼吸と共に、かすかに喉を鳴らしているのだった。

 

 もう寝よう、と、思い立った時には、もう三時を回っていたと思う。

 寝なければ。明日も玉ちゃんにご飯を食べさせるのだから。

 玉音の定位置である、寝室の壁に立てかけたマットレスの横に座布団を並べて、敷布団の代わりにした。枕と掛け布団を押し入れから出して、部屋着のまま潜り込んで寝た。

 翌朝。

 恐る恐る覗き込んだマットレスの陰に、玉音はいつもどおりに座っていた。もう鳴いてはいない。元気ではないが、落ち着いていた。

 その日は雨だった。リビングに置いていた座卓を寝室に移し、パソコンを持ち込んで、一日、玉音と一緒に過ごした。玉音は時折、リビングの方へ移動したりもしていたが、一日の大半をマットレスの陰で過ごしていた。私から逃げることはなかった。撫でてやると、大人しくされるがままになっていた。喜んでいるように見えたのは、気のせいだろうか。

 いや、おそらく、気のせいではない。玉音は急に、驚くほど甘えん坊になった。これまでの逃げっぷりが嘘のように、私を怖がらなくなった。自分から私のそばに来て、声に出して私を呼ぶ。あまつさえ、私が手洗いを使っていたり、別室でアタゴロウと戯れていたりすると、わざわざ探しに来るのである。

 経鼻カテーテルでの給餌には、その日のうちに慣れた。ただし、相変わらず一度に流し込めるのは五から十ミリリットル程度で、一日トータルで四十ミリリットルにしかならなかった。

 それでも、苦しむ様子もなく、確実にお腹に入ってくれる。ありがたいと思った。玉音の食事の安定。そして心の安定。長い暗闇の果てに、やっと光が見えてきたのだ。

 

 あの夜。

 玉音は本当に、神様の近くまで行ったのかもしれない。

 天国の門をくぐり、光まばゆい御前に畏まった玉音は、穏やかな眼差しで見下ろす神様に向かって、こう訴えた。

「あたしはもっと甘えたかったんです。でも、できなかった。いつも他の猫がいたし、家主はあたしに無関心で、出掛けてばかりいたから。せっかく飼い猫になったのに。それが心残りです。」

 神様は、厳かに微笑んだ。

「お前の時間はまだ終わりではない。もう一度、チャンスをあげよう。思い切り甘えん坊になって、素直に心を開いてごらん。さあ。」

 玉音は目を開いた。

 見慣れた室内の光景が目に映った。深夜だというのに、リビングの照明はまだ煌々と灯り、床の上で、家主が寝そべったままうたた寝をしている。

 玉音はゆっくりと立ち上がって、ふらつく脚で食卓の椅子の下に進んだ。そのまま、腰を落として振り返ると、低い声で家主を呼んだ。

 

 前夜まで降り続いた雨が止み、久しぶりに明るい日差しが降り注ぐ朝だった。

 朝寝のまどろみから目覚めた家主は、オリーヴ色の美しい二つの瞳が、自らを見下ろしていることに気付いた。

 朝のやわらかな光が、エリザベスカラーの縁にゆらめきながら、家主の額の上に、透明な陰影を降り注ぐ。

 罪深き女が、天使に出逢った瞬間だった。

(何と、愛らしい…。)

 女は思わず、天使に向かって手を差し伸べようとした。

「ニャ!!」

と、天使は言った。