エンゼルケア
今朝、天使が私のもとを飛び立った。
玉音は帰らぬ猫になった。
享年七歳九か月。
そろそろ治まるかと思った出血がまた増えてきて、はっきりと赤い色をした唾液が、口から滲み出るのを見たのが、十一日水曜日の夜。
翌木曜日、急遽、歯科病院に玉音を連れて行った。結果、まだ治っていない手術創からの出血と言われ、二週間後の経過観察を予約した。この時点で、傷は半分くらい「ついている」とのことだった。
それなのに、さらに出血が増えた気がして、心配になって、かかりつけの動物病院に連れて行ったのが、十四日土曜日。
ミツコ先生は一目見て、「下唇が切れてる」とおっしゃった。
なぜ切れたのかは分からない。
歯科病院の先生には、拭くくらいなら大丈夫だから血汚れを除いてやりなさい、ただし、後ろから前に拭くこと、と、指導を受けていた。後ろから前。それは守っていたつもりだったのだが。
また玉音に、痛い思いをさせてしまった。
血を止めるためには縫合するしかないが、縫合はできない。縫い合わせる肉がないから。
玉音は貧血である。出血により貧血がさらに進むことは、ミツコ先生の懸念するところでもあった。でも、今できることは、ただしっかり食べさせること。それだけ。
玉音は、しっかり食べてくれていた。
経鼻カテーテルで、毎日、アぺ缶を一缶。
ほんの気持ち程度だが、体重も戻っていた。
給餌が終わって、ネットから逃げるときのジャンプも、力強いものになっていた。
だから。
出血さえ止まってくれれば。そうすれば、食べた分を、ロスなく回復に振り向けられる。
手術から三週間で半分治っているのだから、あと二週間、次の歯科病院の診察までには、ほとんど傷は治っているかもしれない。
出血さえ止まってくれれば。
給餌の際に、玉音を抱き上げ、ネットに入れて床に降ろす。
降ろしたとき、いつものように香箱座りの状態にならず、横寝になってしまうことに気付いたのは、日曜日のことだったか。
元気がない感じはしていた。
それでも、給餌はしっかり入るし、ジャンプも力強い。
痛みで元気がない、ということなのか。
出血は相変わらず続いていた。
月曜日。
仕事で朝早く家を出なければならず、まだ暗いうちから朝の投薬・給餌を始めていた。
元気は振るわない。だが、出血は減っているような気がした。
夜。
帰宅して玉音の様子を見ると、エリカラに付いた血の量が、明らかに少ない。
やっと、下唇の傷が塞がったのだ。
少しだけ安堵した。
これでようやく、正しい回復ルートに戻った。給餌は順調に入っている。もう二、三日したら、また元気が出てくるのではないか、と。
しかし。
深夜、物音に飛び起きた。
玉音が鳴いてる。
嘔吐だった。ただし、前回と違い、胃酸の匂いはあまりしない、飲ませた流動食がそのまま出てきたような嘔吐だった。
チューブは無事だった。
だが、玉音の定位置であるマットレスの陰は、掃除はしたものの、おそらく匂いとコルクマットの湿りとで、寝られる状態ではなかったのだろう。玉音は、這い出してきて寝そべった寝室の床から動こうとしなかった。
嘔吐はその一回のみで治まり、呼吸も乱れていない。玉音のいる場所は、私が寝ていた布団の角をはねのけた、正にその位置だったので、はねのけた角はそのままに、私が布団の上に斜めになって寝直した。
寝直すときに時計を見たら、一時四十六分だった。
朝一番の給餌までに、三時間以上ある。
その間に胃が落ち着けば、食べられるかもしれない。
朝。
本来なら、四時半に起きて投薬なのだが、私が寝坊した。五時近かった。
急いで、ちゅーるに混ぜた粉薬を、玉音の上唇に塗ってやる。
舐めない。
いつもなら、ちょっと怒ったようにその場を立ち去りながら、ぺろんと舐めとっているのに。
舐める気力もないのだ。
薬は、食欲増進剤(お腹を動かす薬)と、吐き気止めと、ガスオールである。薬が入っていない状態で食餌を与えることに若干のためらいはあったが、恐る恐る、一回目の給餌を試みた。
五時半を回っていたと思う。四十五分くらいか。
給餌は入った。ほんのちょっとでも…と、あまり期待を抱かないようにして、玉音がモゾモゾし始めたところで、早めに止めた。結果的には、三十ミリリットルまで入った。
給餌後、何だか(自分の)足が冷たいなと思ったら、パジャマのズボンの膝下が濡れていた。よくみると、床も濡れている。
玉音が失禁していたのだ。
一回目の発作が起こったのは、その後である。
食後、何分くらい経っていたのか。今朝のことなのに、もう記憶が曖昧だ。三十分後くらいか、もっと前だったか。
苦し気に息をつき、声も立てていたかもしれない。印象に残っているのは、まるで歩くように、四本の足を動かしていたことだ。長時間ではなかった。せいぜい一、二分か。私はただ、背中をさすっていた。「玉ちゃん、しっかり。」と声をかけながら。
ほどなく発作は治まり、その後は、落ち着いていた。
失禁。発作。嫌な予感がないわけではなかった。でも、それでも私は希望を捨てていなかった。
再縫合後の、あの苦しい夜を乗り越えたのだ。今回だって乗り越える、と。
玉音は落ち着いていた。
鼻の穴が血で塞がり、口呼吸になってしまっているため、呼吸音は大きいが、規則正しい。飲ませた流動食も、嘔吐することはなく、二時間以上が経過していた。
職場には、八時二十分頃に休むと電話した。
二回目の給餌をしたのが、その電話の前だったか後だったか。
そのときも、三十ミリリットル給餌できた。そのときはもう、ネットに入れることなく、寝室の床に横寝させた状態のままで流し入れた。何の抵抗もなく、順調に入った。玉音はただ、規則正しく息をしていた。
二回目の給餌の後、私は北側の部屋でアタゴロウに構っていた。ふと、物音に気付き、台所まで戻ると、玉音が寝室から出てきていた。
多分、私を探しに来たのだ。
玉音を追っていくと、玉音はリビングの隅に進み、ケージの中に置いているガリガリサークル(爪とぎ)に入ろうとした。
が。
抱き上げて、ガリガリサークルに入れてやろうとしたが、思い直して近くの床に横たえた。
そのまま撫でているうちに、玉音の体温が低いことに気付いた。バスタオルをかけてやったが、床から体温を奪われるのが心配で、場所を変えることにした。
朝から忙しく動き回っていたため、寝室に私の敷布団がまだ敷いたままになっていた。バスタオルごと抱き上げ、布団の上に移す。バスタオルが体の下になったので端を持ち上げて体を包むようにかけてやり、はみ出した部分に別のタオルを掛ける。
いったん、その状態で様子を見たのだが、触ってみると手足が冷たい。これでは足りない、と思い、さらにその上からブランケットを掛けた。
暑いかしら? それとも、さらに湯たんぽがいるかしら?と、考えながら。
玉音が寝ているのをそのままに、私は浴室で洗濯物を干していた。
そろそろ干し終わる、というとき。
物音に気付いた。
干しかけの洗濯物を手に、寝室に戻ると、玉音が苦し気な声を立てていた。また脚が動いている。ただし、今度は前脚だけ。何かを引っ搔くように、もがくような動きだった。
二回目の発作である。
そして。
あの独特の声と共に、顔を横向きにしたまま嘔吐した。先程入れたばかりの流動食が、エリカラの中に広がった。
慌てて手近なタオルとペットシーツで押さえ、溢れてくる液体を受け止める。玉音は苦しそうに、あの咳込むような、悲鳴のような短い声を断続的に上げている。吐きやすいように、体を少し持ち上げてまっすぐにしてやったり、背中を撫でてやったりしていたが、発作は治まらない。さすがに嘔吐は最初のうちだけで止まったが、それは吐くものがなくなったからだろう。以後は、声を立てながら、口を開けて喘いでいた。舌がだらんと口の横に垂れ下がりそうになっているのが、ちらちらと見えた。
声と声の間は、なぜか口をぴったりと閉ざしている。玉音の鼻の穴は、チューブと固まった血で半分以上塞がっているため、常時、口でも呼吸をしているはずだ。となると、口を閉じている間は、呼吸が止まっているのではないか。そう考えて、口を開けてやろうとすると、自分で口を開けて、喘ぎながら例の声を立てる。それを何度か繰り返した。
やがて。
口を開けたまま、呼吸が止まった。
体の下に手を入れて、胸の辺りを触ってみたが、心拍が感じられない。
亡くなったのだ、と、分かった。
正確に「どの瞬間」とは、もちろん分からない。だが、ダメちゃんの時と違い、呼吸が止まったことは割合すぐに分かった。
チューブを入れて以来ずっと、玉音は、はっきり聞き取れる呼吸音を立てていたから。
寝室には時計がない。リビングの時計を見に行った。八時五十八分だった。
理性で死を認識することと、感情で認識することは、微妙に違う。
初めて涙が出たのは、エリカラを外してやったときだった。
手術の時からずっと。このエリカラを外したかったのだ。それが一つの目標だったのだ。
そして。
もう一つ、外したかったもの。
経鼻カテーテル。
だが、私がカテーテルを抜いたのは、しばらく経ってからだった。
カテーテルは左の鼻の穴から挿入されている。私はまず、玉音の顔の右側をざっと拭いてやり、だいたい綺麗になったところで、ミツコ先生に電話した。そして、抜いてやりたいけど、引っ張って抜いて大丈夫ですか?と、訊いてから、抜いた。
本当は、別に訊かなくても分かっていた。
既に一度、嘔吐のはずみで抜けてしまったことがある。さらに言えば、ムムが亡くなった時にも、自分で引き抜いて外していた。
本当の理由は、チューブを抜くことにためらいがあったからだ。
カテーテル給餌を始めて以来、このチューブは玉音の命綱だった。詰まったり、抜けたりしたらアウトだと言われていた。入れ直せばいいってもんじゃない。また入れ直せる保証はない。だから、くれぐれも気を付けるように、と。
チューブを抜くことは、玉音の命綱を断ち切ることだ。
そんな感覚があった。
ミツコ先生に電話して、他の人に玉音の死を報告したことで、心が決まったのかもしれない。
チューブはすんなりと抜けた。
その後、半日かけて、玉音の顔についたおびただしい量の血の塊を取り除いた。鼻の穴をがっちりと塞いでいた大きな塊は、多分、一時間近く濡れタオルで湿らせて、それでようやく、ポロリと取れた。
何故か分からないが、私は干しかけの洗濯物を放り出して、玉音の顔掃除に熱中した。小さな血の塊も許せない気がして、徹底的に取り除いた。
何故か分からない。
だが、今思い出しても、それはひどく充実した時間だった。
こうして玉音は、元どおりの、綺麗なお嬢さんの顔になった。
夜。
友人さくらが、お花を持ってきてくれた。
玉音の顔を見せ、血の塊がたくさん付いていたのを、半日かけて拭き取ったと話すと、
「自分でやったの? エンゼルケアしてもらったんじゃなくて?」
と、言われた。
エンゼルケア。
そうか。
そうだったんだ。
やっぱり、天使だったんだ。
わたしの玉音ちゃん。