抜け毛大魔王伝 エピローグ 〜大魔王よ永遠に〜

 今日は、暑かった。
 夏を思い出させるジリジリ焦がすような日差し。だが、その色は、すでに秋のそれである。
 人(と猫)の営みはそれとして、季節は確実に先へと進んでいるのだ。


 そのこと自体は、特に報告するまでもないことなのだが。
 先日、家主は久々に髪を短く刈った。
 数年来、伸ばしっぱなしの髪であったが、結んでりゃいいや、という横着は、今年の猛暑が許さなかった。
 耐えきれずに切ることにしたのだが、美容院をどうしようか…などと思い悩んでぐずぐずしているうちに、早や秋風が立ち始め。
 9月になってから、ようやく重い腰を上げ、結局、以前通っていた美容院へと足を運んだのであった。


 美容師さんの入れ替わりは激しい。担当してくれたのは、初めて見かける、若いお兄さん。
 話しているうちに、私がその美容院に通い始めた頃、彼はまだコドモだったことが判明。本当に、若い人だったのだ。若いといっても、礼儀正しく愛想もよく、非常に感じのよい美容師クンであった。
「髪、多いですねえ。」
「そう?まだ多い?よかった。安心したわ。」
 髪の長い者にありがちな話であるが、私も、風呂場の排水口に溜まる抜け毛の量に、ひそかな不安を抱いていたクチであった。若い彼の率直な感想に、つい嬉しくなってしまった辺りが、すでにオバサンである。 
 といった具合に、最初のうちは、何となく和やかに世間話などしていたのであるが、やがて私は本を読み始め、会話は途切れた。


 しばらくして、ふと気付くと、美容師さんの表情が固い。
「時間かかってすみません。」
「大丈夫よ。どうせヒマだから。」
 後で気付いたのであるが、実は、私の後にも予約が入っていたので、彼は焦っていたようなのである。
 そして、彼は再び同じことを口にした。
「本当に、髪、多いですねえ。」
 どうやら、それが遅延理由であったらしい。 
「そんなに多い?」
「ええ。取っても取ってもまだあるって感じで。」
 なるほど。
 ロングヘアをショートにするのって、長さより軽くする方が大変なんだな、と、呑気な私は、一つ勉強になったような気分で、アタマもココロもさっぱりと、美容院を後にした。


 ロングヘア、といえば、亡きミミさんである。
 ブラッシングをサボると、すぐ毛玉ができてしまうため、「ミミさんにブラッシングしなきゃ」は、私にとって、ちょっとした強迫観念であった。といっても、ミミは大人しくブラシをかけさせたので、ブラッシングタイムは結構楽しかったし、やり甲斐もあった。
 このため、ショートヘアで毛玉とは無縁なダメのブラッシングは、当時、ほんのついでに過ぎなかった…はずなのだが。


 先日、気付いた。
 夏の終わりごろから抜け毛が減ってきたので、しばらく放っておいたところ。
 こいつ、ショートヘアのくせに、毛玉ができてやがる…。


 もう秋なのに。
 仕方ない。
 ダメをつかまえて、徹底的にブラッシングすることにした。
 毛流のせいか、ダメの抜け毛は、下半身に溜まりやすい。尻としっぽである。尻のあたりに毛玉ができやすく、しっぽはいつも、手で触れただけで大量の抜け毛が付いてくる。
 ただ、春夏と違い、今の季節は、一度徹底的に抜け毛をキレイにしてやれば、以後はそれほど頻繁にやらなくても大丈夫なはず…と、意気込みよろしく、ブラシ攻撃を始めた家主であったのだが…。


 もう秋なのに。
 徹底的って、どこまでやれば、徹底できるんだろう。
 何だか、凄いんですけど。
 もう、きりがない。取っても取っても、まだあるって感じで。


 ん…!?


 ちょーっと待って。
 プレイバック。
 今の言葉…


 取っても取っても、まだある。
 それは先日の、美容師クンの科白。


 同類だったのね、私たち。


 私を担当してくれた歴代の美容師さん達の哀しみが、初めて身にしみた。


 人(と猫)の営みはそれとして、季節は確実に先へと進んでいる。
 夏の終わりとともに、大魔王の世界征服への野望は、はかなく潰えた。
 かつて世界をパニックに陥らせた、彼の強力な武器である扇風機は、すでに片隅に片付けられ、金網に引っ掛かったままの猫の毛を、透明な秋の光が、淡い金色に染め分けている。(早く掃除しろよ)
 しかし、その終局の時に至って、大魔王は人の胸に、強いメッセージを残したのである。
 曰く、人の痛みを知れ、と。(割と良識的なメッセージである)


 さらば、抜け毛大魔王。
 やがて再び夏が訪れ、この束の間の平安も、また終わりのない闘いの怒涛の中に、飲み込まれ消えるのであろう。
 眠れ、抜け毛大魔王。
 あたたかな冬物のカーペットの上に。 …ん!?


 バカーっ!!
 そこで寝るんじゃない!!!
 せっかく干した夏布団が、毛だらけじゃないか!!


 完



大魔王近影
(下っ腹は見ないで下さい)