怖れよ、愚かな人間よ。
怖いもの見たさ、というものがある。
万人の心の裡に眠る、危険な好奇心。
ただし、映画や小説では、そうした好奇心は、たいていロクな結果を生まない。それも、本体の“怖さ”より、むしろ、「意外な事実」だの「不可思議な現象」だのに巻き込まれて。
今日の私が、まさにそれであった。
今、私の着衣は、理屈では説明できない状態に破損し、私の胸には、血の色も生々しい傷がある。
そして、私を襲った悪魔は、今、私の布団の上で、その黒い背中を舐めている…
事の起こりは、猫どもの夕食前。
鳴き騒ぐ猫どもを見ていて、ふと、軽い恐怖に襲われた。
もしかして、ダメは、また太ったんじゃないだろうか?
きっと冬毛のせいだ、と、自分をごまかして、ずっと見ないふりをし続けてきたのだが、突然、そこで「怖いもの見たさ」が、頭をもたげた。
知らない方がシアワセかもよ、と、理性が私にささやく。
が、私は好奇心に負けた。
こうして、悲劇は幕を開けた。
ダメは、6.5㎏であった。
結果的にいえば、それ自体は“怖い現実”ではなかった。むしろ、先日より100g少ない。満足のいく結果であった。
ついでに、自分の体重もわずかに減っていることが判明。
ついつい、いい気分になった。
驕りは人を大胆にする。
そして、向う見ずにする。
ついでに、ヨメも量ってみよう、と、妙な気を起こしたことが、今思えば、運命の分かれ道であった。
私は、キャットタワーの中段にいる彼女の背中を掴んだ。
必死に足場にしがみつこうとすくヨメを力ずくで引き離し、胸の中に赤ちゃんだっこする。
と。
悪魔は、言葉にならぬ金切り声を上げた。
次の瞬間、私は、目の前にピンク色の星が飛ぶのを見た。
ホワイトアウト。
胸元の寒さと痛みに、意識が戻った。
思わず胸を押さえつつ、見下ろすと、
足元に、ピンク色の星が…。
着ていたカーディガンのボタンが、未だ衝撃の余韻を残したまま、無機質な光沢を放っているのであった。
胸元に視線を移す。
ボタンが、ない。
切れた糸が痕跡となって、二か所。
え!?
二か所…?
よく見ると、物陰にもう一つ、ピンク色の惑星が軌道を外れ、彷徨っていた。
分からない。
あいつは、一体、どういう妖術を操ったのか。
どうやれば、二個いっぺんに、ボタンをちぎり取ることができるのだろうか。
それは一瞬の出来事であったのに。
両後足で一個ずつ?
シュールすぎる。
それとも、あの時、悪魔が口走ったのは、人間の耳には聞き取れぬ、呪いの呪文であったのか。
魔界の謎は、人間には解けぬ。
私に残されたのは、悪魔に傷つけられた胸の痛みと、お裁縫の宿題であった。
胸の上を、冷たい風が吹き過ぎる…。
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ところで、ヨメの体重であるが。
ド近眼の上に動体視力が並はずれて悪い私には、体重計の数値がしかとは読み取れなかった。
と、いう、留保を付けた上で。
どうやら、5㎏をわずかに上回っていたようである。
こいつ、それを私に気付かれまいとして、暴れたんじゃないだろうな…。