可愛いお嫁さん


 実は、先日、「Casts安暖邸」に、三たびお邪魔した。
 リトルキャッツ代表のYuuさんがいらっしゃる日だったので、久々にお話をさせていただいた。
 話は自然、我が家の猫どものことになったわけだが、このとき、私の聞き違いでなければ、たいへんビックリすることを、Yuuさんはおっしゃった。
「ムムちゃんは、きれいになると思ったのよね。」
 あまりに意外な発言に、その刹那、私は返事に詰まった。
 聞き違いだろうか。
 もちろん、将来どうなるかを予測するのは人の勝手である。だが、Yuuさんのその言葉には、言外に「ほら、私の予想したとおりになったでしょ」というニュアンスが含まれているように感じたのだ。
 それとも、その言葉には、何か別の意味があるのだろうか。
 だが、絶句する私に説明するように、Yuuさんは続けてこうおっしゃったのだ。
「ムムちゃんは、ちょっと毛が長いでしょ。」
 毛が長いとは、通常「ゴージャス系」を意味する。「この猫は毛が長くてみっともない」という言い方は、普通されないと思う。
 Yuuさんの目には、ヨメがきれいに見えているのだろうか。
 Yuuさんは全ての猫に温かい愛情を注ぐ方である。が、だからといって、猫の美醜を見誤る方ではない、と、思うのだが。
 その後も色々とお話をしたのだが、結局、その言葉だけは消化不良のまま、私は「Cats安暖邸」を後にしたのだった。


 後になって、ふと気付いた。
 Yuuさんが見ているのは、私がブログに掲載した写真だけである。
 私は写真が下手だが、それでも、世間サマの目にさらすとなると、少しでも写りのよい写真をセレクトして掲載する。
 つまり、Yuuさんの見ているヨメは、実物より四割増しくらい可愛くなっているわけだ。
 なるほど。それなら納得がいく。


 しかし。
 その点は解決がついたにしても、実は、更に問題がある。
 何を隠そう、最近、私自身、ヨメが可愛く見えてきてしまっているのだ。


「可愛い」とか「可愛くない」という評価には、多分に主観的な判断が含まれる。
 最近、ヨメは、けっこう飼い猫らしい態度をとっている。今日なんぞは、床の上に正座していた私の膝に前足と胸を寄りかけて、ゴロゴロ言っていたくらいだ。
 まあ、せっかく甘えてもらっても、何しろこいつは未だに爪を切らせないので、チクチクしてあまり快適ではないのだが。
 このときは、ついでに、私の膝に登ってきて、四つ足で立ってゴロゴロ言っていた。
 どうせなら、座ってほしいものである。


 何か、客観的に、ヨメが「可愛いか、可愛くないか」を判断する方法は、ないものだろうか。
 23日には、我が家に友人たちが集まって、ホームパーティをすることになっている。友人の誰かが、この問題をジャッジしてくれないだろうか。
 しかし、今回ウチに来る友人たちは、みな、無類の猫好きである。猫であれば、とりあえず全部可愛いといった手合いだ。
 さらに、いくら友達とはいえ、ヒトんちの猫を、正面切って「ブス」と言えるものだろうか。
 彼女たちのジャッジは、はっきり言ってあてにならない。


 むしろ、身内の方が、その点は遠慮がない。
 しかし、困ったことに、母や姉は、実家の猫たち(特にりり)を可愛がるあまり、どうも、ダメとヨメに対して、微妙な対抗意識があるようなのだ。
 いや、もちろん、うちの猫どものことも、可愛がってはくれている。しかし、「可愛さ」に関する判断が、厳正に中立であるかは、保証の限りではない。


 まあ、ね。
 飼い主である私が可愛いと思うのならそれでいいじゃない、という意見もあるのだが。
 でもさ、ドラマや小説によれば、これまで反目し合っていた嫁姑関係で、姑が急に嫁を可愛いと認識し始める時って、たいてい、姑は老い先が短いっていう設定なんだよね。
 次のシーンで、突然、倒れちゃうとか。


「お義母様。…お義母様!? …お義母様!! お義母様!!!」
 …ピーポーピーポーピーポーピーポー…(F.O)


 イヤだな、それ。


 そのためにも是非、私にもヨメにも関係ない第三者が、実物のヨメを見て、
「可愛い」
と、客観的な立場から認定してほしいと切望する。
 あ、でも、それは無理だな。
 そんなカンケイない人が現れたら、ヨメの奴、あっという間に幻の猫になってしまうに違いないもんね。
 
 
 

アタシだって、アンタに介護なんかして欲しかないわ。