芸猫

  

 
 
「アーティスト」という映画を観た。
 4月初旬から公開されている作品なので、今更という感じではあるのだが、まだ結構、観客は入っていた。
 評判の高い作品ではあるのだが、個人的には、いやぁ不思議な映画だった、という感じ。
 舞台が1930年頃のハリウッドだし、当時のサイレント映画風に作ってある、にもかかわらず、センスは完全にフランス映画。
 むしろ、ゴダール作品を思い出したのは、私だけだろうか。
 これはこれで、面白かったけどね。
 中でも、秀逸だったのは、主人公が飼っている犬。「アギー」くんは、犬のアカデミー賞金の首輪賞」を受賞したんだそうな。確かに、凄い名演技だった。
 犬の演技で泣く、という評判も、まんざら嘘じゃない。
 ところが。
 私から見て、この映画の何がフランス的だったかって。
 エンディングクレジットを眺めていて気が付いた。アギーくんは、ちゃんとキャストに名を連ねていたが、その役名は
「The dog」
 何と、名前がなかったのである。
 確かに、サイレントだから、主人公がいくら犬の名を呼んだって、観客には聞こえないのであるが。
 ハリウッド映画だったら、絶対に、この犬には名前があったと思う。
 これだけ名演技で、ストーリーにも直に絡む役なのにね。
 フランス人は合理的なんだろうか。
 それともこれは、フランス人らしい、ちょっとしたヘソ曲がりなんだろうか。
 いずれにしても、アギーくんには、ちょっとお気の毒な感じがしたのであった。
 
 
 アギーくんのような名優でなくても、犬にはちょっとした「芸」ができる子が多い。古典的なところでは「お手」とか「お座り」とかいったような類である。
 が。
 猫の芸というのは、あまり聞かない。
 以前「こねこ」というロシア映画(1996年)を観たが、この映画では、猫も演技し、芸をしていた。この映画の猫たちの演技は、「世界一の猫つかい」と呼ばれる、猫サーカスの主催者の主導によるものだと聞いたが、一般家庭で一般人が躾をしていて、他人様にお見せするような芸を持っている猫というのは、あまりいないような気がする。
 たまに、「喋る猫」とか「二足歩行する猫」などもいるらしいが、それにしたって、訓練で身につけさせる犬の芸とは、根本的に違うような…
 だが、他人様に披露できるかは別として、飼い主的に「ちょっとした芸」だと思っているものは、各家庭、結構、それなりにあるのではないだろうか。
 聞いた話だが、「やかんが沸くと教えてくれる猫」なんかもいるらしい。これなんかは、ほとんど芸と呼んで差し支えないような気がする。
 この他にも、例えば「呼ぶとお返事をする」なんていうささやかなものも、家族にとっては、当家ご自慢の「芸」のひとつだったりする。
 ちなみに、実家の初代猫ジンちゃんは、「お返事をしない」のが、ある意味、芸だった。たまに、うっかり「ニャン」なんて返事をしてしまうと、彼女自身、しまったという表情をしていたものである。
 
 

(ジンちゃん) 
 
  
 そのジンちゃんであるが、実は本当に、家族が呼ぶところの「芸」を持っていた。「ちょうだいな」という芸である。
 彼女の前に、おやつを握った手を差し出すと、前足でチョンチョンと、その握りこぶしをつついてくれる。それが「ちょうだいな」。
 可愛いので、家族の中ではそれが「芸」と認定されたわけだが、本当は、ちょっと違う。
 本当に芸なら、おやつが入ってなくても、握りこぶしを差し出したらチョンチョンしてくれても、いいはずではないか。
 だが、彼女は、おやつを持っていない人間には、見向きもしなかった。
 それに、ね。
 同じことを私がやろうとすると、彼女は、チョンチョンどころか、前足と口を使って、力づくで私の指を開かせそうとするのである。
(ちなみに、これは「ちょうだいな」に対して「よこせ」の芸と言われていた。)
 要するに、彼女の態度は、芸をすることによりご褒美を貰おうとするそれでは、ぜんぜんなかったわけである。
 
 
 ついでに、もうひとつジンちゃんの思い出を述べれば。
 彼女の、ごはんの催促の仕方が、秀逸だった。
 何が秀逸かって、相手によって、方法を変えるのである。
「欲しい時には、ちゃんと言いなさい」
という、厳しい躾をしていた姉に対しては「ニャーン」と鳴く。
 猫に優しい、大好きな「お母さん」に対しては、普段とは別猫のように可愛らしい表情で振り向いて、悩殺視線を送る。
 が。
 私に対しては。
 単に、皿の前に座って澄ましているだけである。
 私が彼女にベタ惚れだったので、完全にバカにしきって、私に媚びるようなマネは一切しないのである。思えば、可愛げのないオナゴであった。
 だが、その高飛車ぶりが愛しくて、喜んでカリカリを出していた、私も私だ。
 この、容赦のない使い分け。
 こっちの方が、よっぽど「芸」と言えるのではないかと、私は思うのだが、どうだろう。
 
 

 
  
 そもそも、動物の芸は、たいてい「餌で釣る」方法で訓練を始めるものだと、聞いたことがある。
 定められた行動をする→餌をもらえる、という、条件付けである。
 だが、最終的に「ごはんをゲットするためにある行動をする」ということが、果たして芸にあたるのかは、結局のところ、人間の主観的な判断に過ぎないのではないか、という気がする。
 映画のアギーくんは、ピストルで撃つ真似をすると、死んだふりをする。彼はこの後、褒めてもらうのかもしれないが、少なくともその場で食糧を得るための行動ではないから、これは明らかに芸である。
 犬でも猫でも、ご飯を要求して鳴き声を立てる。これは、芸ではない。
 朝、お腹が空いているダメちゃんは、私を起こすため、私の顔をつついたり、舐めたりする。これだって、芸ではない。
 となると、人間の手を「ちょうだいな」していたジンちゃんだって、単に指を広げさせるためだけにやっていたのだから、これを一般的な意味で「芸」と呼ぶのは、やはり、ちょっとどうかと思う。
 では、ジャンプをするたびにお魚をもらう、イルカはどうなのか。
 魚をもらうこととジャンプをすることが直接結びついている点で、ジンちゃんの「ちょうだいな」と、さして変わらないではないか。
 だが、イルカのジャンプは「芸」である。
 その境界線は、どこにあるのだろう。
 
 
 思うに、動物の場合、その行動が直接、食べ物を「捕る」ことに結び付いていると、それは「芸」にはならない、ということではないだろうか。
つまり、イルカのジャンプの場合には、
「ジャンプをする→人間がそれを認める→人間が魚をくれる」
というように、ジャンプと魚の間に人間の「評価」が介在するが、ジンちゃんの「ちょうだいな」は、少なくとも彼女にとっては、握りこぶしをつつかれて指を開くのは、人間の手の反応、もしくは、人間が彼女の指示に従っているということに過ぎず、そこに人間の「評価」は介在しない。ジンちゃん自身は、人間が彼女を評価して「ご褒美をくれた」とは、露ほども思っていなかったのではないか。
 自身の欲求とは直接関係のない行動をして、それを人間に評価してもらい、ご褒美を得る。
 それを動物の「芸」と呼ぶとしたら。
 猫は、芸なんかしない。
 奴らの頭の中には、そんな発想はないのだ。
 頭だったら、犬に引けを取らないくらい良いはずなのに。労働対報酬という概念が、そもそも存在しないのが、猫なのである。
 
 
 道理で。
 だから、猫という連中は、勤め人の哀しさに理解がないわけか。
 お前ら、アタシの給料でメシ喰ってるっていうのにさ。
 

(朝の出勤時) 

  
 うるさい。お前らの猫頭なんかで、一万年考えたって分かるもんかい。
 
 
 と、ここまで考えて、面白いことに気が付いた。
 動物のある行動が、一般的な意味で「芸」と呼ばれる条件。そこにはもう一つ、
「直接人間の生活に役に立たない行動であること」
というのが、含まれるのではないか。
 つまり、生活密着型は、芸ではないってこと。
 やかんが沸いたら教えてくれる、それはかなり凄いことだと思うけれど、残念ながら、通常、「芸」とは呼ばれない。
 対して、イルカのジャンプも、ライオンの輪くぐりも、犬の「お手」も、別に何か人間の生活に役立つわけじゃない。
 そう考えると、猫はある意味、損をしているような気がしてきた。
 だって、ね。
うちのダメちゃんだって、結構お利口に感心なことをするのですよ。
 でも、それは、絶対に芸とは呼ばれない。
 何をするのかと言えば。
 
 

 
 
 ごはんの時、皿に残ったウェットフードのカケラを、私が指で皿の隅に集めて差し出すと、狙い過たず、その残り物をキレイに舐め取って、食べてくれるのですよ。
 おかげで、我が家は猫ごはんの生ごみゼロ。パーフェクトなエコネコなんである。
 ちょっとしたことだけれど、そんなことしてくれる猫、そうそういないよね。(自慢)
   
 

  
 そういうキミ自身が、もったいないお化けみたいな気もするけど。
 
 
 人間の「評価」を得るために(最終的には、餌のためだったとしても)、芸をする動物たち。
 彼等が、評価を与える側である人間を、自分たちより上位に見ているのかどうかは分からないが、少なくとも、そこには、「人間の言いつけを守れば餌がもらえる」という、一種の信頼関係がある。
 多分、それ故であろう。動物に芸をさせること自体が人間の横暴だと知ってはいるが、芸をする動物とその動物使いを見ると、何だかひどく感動することがある。
 動物と人との間に、何かとても、純粋で、強い絆を見る気がして。
 芸をしない猫を何年飼ってたって、そういう美しい絆は、多分、生まれない。
 でもね、個人的な趣味で言うと、私は自分のために芸をしてくれる犬やイルカよりも、プライドを懸けてお返事をしない、高飛車なジンちゃんに、強く魅かれるのだ。
 カッコよすぎる。
 というより、誰かが書いていたように、猫飼いは、基本的にみんなMなのである。
 それに。
「お手」ができるワンちゃんは、そりゃあ自慢にはなるかもしれないけど、実際に便利なのは、生ごみゼロのダメちゃんの方だもんね。
 
 
 ちなみにヨメであるが、こいつも実は、ヘンな芸?を持っている。
 こいつは、ご飯のときなど、遠くから
「ムム〜! ご飯だよ。」
と、呼びかけても、来やしない。
 ちゃんと近くまでお出迎えに行って、
「ムムちゃん、ご飯だよ。早くおいで。」
と、誘ってやると、ようやく、
 
 

 

 

 

 
  
 やってきて、ぱくぱくとご飯を食べ始める。
 いったい、どういうお嬢のつもりなんだ。
 彼女は明らかに勘違いしている。
 高飛車なジンちゃんがカッコ良かったのは、彼女が美女猫だったからで、この鼻ペチャデコ助がお嬢ぶってみても、私のM性は、ぜーんぜん痺れない。
 
 
 と、いうことを、やっぱりいつか、こいつに教えてやるべきだろうな。
 
 

 
本物のお嬢様は、そんな上から目線はしません。
 
 
 
(※去る4月20日は、ジンちゃんの命日でした。
 そして、5月2日は、私がかってに決めた彼女の誕生日。
 永遠に私のアイドルである、故ジンジャー嬢に愛をこめて。)