ダメちゃんの仔猫的生活

  
  

  
  
 先日、遊びに来た友人さくらが、ダメを撫でながら言った。
「ダメちゃん、“やもめ”になっちゃったね。」
 そう。ダメは男やもめなのである。それも、二回目。
 つくづく、女運のない男である。
 そういえば、ムムが亡くなった直後、姉が訪ねてきた際にも同じことを言っていた。
「ダメちゃん、男やもめに蛆がわいちゃうね。」
 いや、蛆…は、わかないだろうけど。
「アンタ、やめてよね。回虫が出たとか。」
 線虫が出たとか。
 コクシが出たとか。
 男やもめは致し方ないが、虫はゴメンである。
 私の言いつけを守ったのか、その後、ダメは蛆も回虫もコクシもわくことはなく、至って元気に過ごしている。
 我が家の事情を知る人たちからは、しばらく、
「ダメちゃんは大丈夫?元気にしている?」
と、ご心配をいただいていたが、お陰様で、快食快眠快便。幸か不幸か痩せるようなこともなく、相変わらず、ハラの贅肉をゆっさゆっさ揺らしながら、家の中を闊歩している。
 妻に二回も先立たれた男やもめである。人間なら、もっとショボくれていても不思議はない状況なのだが、やはり、猫はたくましい。
 
 
 だが。
 じゃあ何一つ変わっていないのか、と言われると、実はそうでもない。
 うるさくなった。
 輪をかけて、やかましくなった。
 もともと口数の多い男なのであるが、とにかく、よく鳴くのである。
 気のせいか、更に甘ったれになったような感じもする。
「淋しいんじゃない?」
 皆の言うとおり、普通に考えればそうなのだが、実は私自身は、あまり確信を持ってそう言いきれずにいる。
 相棒がいなくて淋しいからなのか。
 それとも、ライバルがいなくなって、人間を独占できる状況になったから、ここぞとばかりに甘えているのか。
 そのへんが、定かではない。
 私の方も、何しろ、ターゲットが一匹だけになったから、やはりついよく目が行くし、今まで二匹に分散されていた猫いじりたい衝動が、彼一匹に集中して発散されることになる。彼の最近の甘えっぷりは、単にそれに応えただけのことなのかもしれない。
 そんなとき、
「子供返りしてるんじゃない?」
と、コメントしてくれた人がいた。
 なるほど。
 そのほうが、しっくりくる。
 人間にすれば四十代半ばの、妻に二回も先立たれた、ハゲデブの男やもめは、現在、元気にコドモ返り中なのである。
  
  
 
 
  
 とにかく、よく鳴く。
 私の近くを、離れない。
 元からストーカー猫ではあったのだが、このごろは、自分が寝ていない限りは、私のいるところに必ずついて来る。
 PCをいじっていれば、椅子の下にいるし、座卓の前でお茶を飲んでいれば、背後に寝そべっているか、下手をすると膝の間に入って寄りかかってくる。(この暑いのに。)
 布団を敷けば、一直線に走って来て、私の枕の横でスタンバイする。
 そして。
 モンダイは、彼がついて来られない場所に、私が行った時である。
 具体的には、人トイレとお風呂。
 自分が同じ部屋に入れない、と思うと、途端に大声で鳴き始めるのである。
 
 
 以前書いたことがあるが、もともと彼は、便所猫の血筋である。人トイレにも抵抗なく進入して来る。
 それが、ムムが亡くなって以来、私がトイレに入ると、1分もしないうちに鳴き始めるようになった。
 当初は、やはり淋しいのだと思った。不憫に思い、ドアを開けて入れてやる日々が続いた。
 それが、気が付いてみると。
 いつのまにか、彼にとって、人トイレに入ることは、単なる既得権益と化していたようなのである。
 最初に述べたように、彼は快食快眠快便で、至って元気である。痩せもしないし、どう見ても、悲しみに打ちひしがれているようになど、見えない。
 が。
 なぜか、トイレに入れてもらうことを要求する。
 しかも、入れてやると、トイレマットの上に寝そべって、すっかりいい気分でくつろいでいたりするのである。
 あるとき、あろうことか、トイレマットの上で「ゴロン」をして腹を出した時には、さすがの私も、これは何か違う、と思った。
 これが、淋しくてコドモ返りしている猫の行動、なんでしょうかね。
 
 
 以下は、「やらせ写真」である。
 試しに、私がトイレに入り、個室のドアを閉めてみると、案の定、外で鳴き始めた。
 
 
 ドアを開けてやると、
 
 

  
  
 私がいつもと違ってカメラを持っているので、多少警戒気味であるが、トイレマットに座ってくつろぎ始めるダメ。
 
 

 

 
 
 ちなみに、この写真では、彼はドアの方を向いているが、普段は反対側の壁を頭にしていることが多い。
 
 
 これを果たして、可愛いと見るべきなのだろうか。
 不憫と考えるべきなのだろうか。
 それとも単なる、迷惑なヤツなのか。
 結論が出ないまま、結局毎日、関東の連れナントカ、の日々が続いている。
 
 
 そして。
 もう一カ所。「お風呂」であるが。
 
 
 ヨメは、私の入浴に付き合う奴だった。
 一方、ダメは決して、私の入浴について来たことはない。
 水がキライだからだ。
 台所にいても、私が洗い物などして、しぶきが飛んでくると、すっ飛んで逃げる。
 だから彼は、私がお風呂に入っている間は、脱衣所近辺で待っていることが多い。
 かつて、ヨメと私が一緒にお風呂に入っていた時なども、途中で扉を開けてみると、脱衣所に座り込んだダメが、仲間はずれの哀愁をいっぱいに込めた目で、恨めしそうに浴室の入り口を眺めていたりした。
 であるから。
 トイレとは違い、さすがの彼も「風呂場に入れてくれ」とは言わない。
 その代わり、風呂場の外で、しじゅう哀れっぽく鳴いている。
「早く出てきてよぉ…」
という感じ。
 と言っても、ずっと鳴きっぱなしなわけではなく、時々鳴いて促しながら、脱衣所で待っているだけなので、大して害はない。害はないから、私も平気で、夏だというのに、ぬるま湯に浸かって長風呂を楽しんでいる。
 上がって見ると、ダメはいかにも不可解そうな顔をしている。
(暑いのに、一体、中で何やってるんだ。)
と、思っているのか、
(溺れているんじゃないかと心配しましたよ。)
と、言いたいのか、その辺は定かでなない。ただ、私の長風呂が、彼にとって大いに不満であるのは、明らかである。
 
 
 そんなある日。
 一昨日のことである。
 
 
 例によって、ぬるま湯で半身浴しつつ、むくんだ脚をマッサージなどして長風呂を楽しんでいた私。
 断わっておくが、決して眠ってはいない。
 だがやはり、普段より、いくらか時間が長くなってしまっていたのかもしれない。
 ダメが時折、外で鳴いているのは聞こえていた。脱衣所近辺で待っているのも、気配で分かった。
 が、いつものことなので、まったく気にかけていなかった。
 そのとき。
 突然、浴室の扉が、外から押し開けられたものである。
 驚いて振り向くと、ダメの不安そうな顔が、そこにあった。
 あまりに私が出て来ないので、意を決して、力づくで扉を押し開けたらしいのである。
「あら、ダメちゃん!」
 が、水がキライな彼は、やはり中に入ることをためらい、
(遅いよ!)
という強烈なメッセージを双眸からきびしく放射した後、踵を返してその場を立ち去ったのであった。
 その気迫に圧倒された私が、即座に風呂から上がったことは、言うまでもない。
 
 
 しかし。
 私はどうも、釈然としなのだ。
 我が家の風呂場の扉は、構造的な問題なのか、閉扉するときには、ドアをきちんとドア枠に押しつけて、空錠をカチッと音がするまできちんとかけないと、少しずつ開いてきてしまう。
 私がお風呂に入る時は、もちろん、ドアをきちんと閉めているから、空錠もかかった状態であるはずなのだ。
 そうでなければ、入浴中に扉が開いてしまう。
 となると。
 もし、私の入浴中に誰かが扉を開けようと思ったら、レバーを下げながらドアを押さないと開かないはずだ。
 リビングのドアなどは、空錠のラッチボルトをドア枠の穴から少しずらしておくことで、ドアを「押せば開く」状態にしておけるので、ダメはよく、頭でドアを押して出入りしている。だが、風呂場の扉では、それはできないはずなのだ。
 実家の初代猫ジンちゃんは、ドアレバーに飛びつき、前足でぶら下がってレバーを下げつつ、体重の微妙な移動でドアを動かして開けるという技を持っていた。だが、そのマエストロな技を持つ猫は、今のところ彼女だけだし、彼女がそれをしたときには、ガタリと大きな音がしていた。
 ダメはどうやって、音もなく扉を開けたのだろう。
 お風呂から上がった私は、浴室のドアを「押せば開く」状態にできるか、何度も試みた。が、やはり、一度も成功しなかった。
 どうしても、扉がゆっくり開いてきてしまうのである。
 それとも、そもそも扉は開いていて、マヌケな私が、ずっと気付かずに入浴していただけなのか。
 いやいや、いくら私がぼんやりしていても、さすがにそれは気付くだろう。
 結局、分からない。
 ダメちゃん、キミ、一体、どんな魔法を使ったの?
 
 
“小さい頃は神さまがいて
  不思議に夢をかなえてくれた”
 …なんて、歌があったよね。
 
 
 コドモ返りしているダメちゃん。
 猫の神様が、彼の切ない夢をかなえてくれたのだろうか。
 
 
 いや、だが。
 いくらコドモ返りしていたって、彼はぜんぜん、小さくなんか、ない。
 この男やもめの女運のなさに同情した神様が、そのへんは大目に見てくれた、ということだろうか。
 ずいぶんと気前のいい神様ではある。
 
 
 

 そんなに暑いのが嫌なら、くっつくのやめたら?