災害避難の心得

 
 

          (天竜いちご作「大治郎君の大猫日誌」より)
 
  
 そしてついに。
 この日が、やってきた。
 この週末は、近所のお祭りの日。
 
 
 思えば、ダメちゃんにとっては、生まれて初めての単独対決である。
 これまでは、そばにミミさん(まったく平気)か、ムム(一緒に逃げるが探究心あり)がいた。
 が、強かった女たちは、もはや、いない。
 この恐怖に、彼は一人で立ち向かえるのか…!?
 
 
 猫は、学習能力の高い動物である。
 ダメちゃんだって、年々、学んではいるのだ。
 彼にとっては7回目の夏祭り。
 当初は、ひたすらおろおろと走りまわっていた彼も、緊急避難場所を認識して走るようになった。
 そして、避難場所の優先順位も、決まったらしい。
 彼にとって、一番の避難場所は、やはり押入れの中、であるようだ。
 次が、北側の部屋。
 ちなみに、北側には部屋が二つあるが、北東側の納戸の方は「猫立ち入り禁止」となっている。彼の本能としては、この部屋の安全度は非常に高いらしいのだが、数年前、仕切りをこじ開けて無理やり潜り込もうとして、私にいたく叱られたので、ここは諦めたものと思われる。
 これも、彼の学習の成果のひとつである。
 
 
 と、いうわけで。
 彼の成長を見守り続けている私としては、今年の彼の進歩を楽しみに、二日間、じっくりと彼の行動を観察したのであった。
 
 
 これは昨日の話。
 朝、「ドーン」と、一発目が鳴った。
 彼の全身に緊張が走り、緊急避難体勢となる。
 彼はまず、押入れに向かい、それから思い直して、北側へ逃げた。
 なぜ避難場所を変更したか。それは、押入れが閉まっていたからである。
 押入れを開けるより、北に向かった方が早いし、安全だ。
 とっさに、彼はそう、判断したのだ。
 素晴らしい。よくぞ学習した。
 (昨年は、慌てて押入れを開けようと頑張り、慌て過ぎてなかなか開けられなかった。)
 
 
 ついでに気が付いたことだが。
 昨年も今年も、彼は私を見ながら逃げた。
 そのことを、昨年、私はやはり、ブログに書いている。
 そのときは、彼の意図がつかみきれず、

(以下抜粋)
「ぼく、ここは逃げるべきだよね!?」
と、確認を求めているようでもあり、
「一人で逃げるのは心細いよ…」
と、助けを求めているようでもあり、はたまた、
「そこでボーッとしてないで、逃げなきゃ危険だよ!!」
と、私を心配してくれているようでもあり。

 
 
 などと勝手な想像をしていたのだが。
 しかし、今年、彼の意思は、はっきりと私のハートに届いた。
 それは、
(何で押入れ開けてくれないのさ!)
という、冷酷かつ気が効かない家主への非難であった。
 
 
 そして、今日。
 彼は、素晴らしかった。
 何が素晴らしいって、まだお囃子が鳴る前に、人々がざわざわしている音を聞いただけで、事態を察して緊急避難体勢に入ったからである。
 いやまだ、走り出してはいないよ。
 ただ、耳をピンと立て、背中に緊張感がみなぎり、スタート前の短距離走の選手みたいなオーラを発しはじめたので、それと知れたのである。
 そして、お囃子の音が聞こえ始めると、すぐに、落ち着いた小走りで、押入れの様子を見に行った。
 
 

  
  
 実は、朝方、少しだけお囃子の音が聞こえ、そのとき彼は押入れを開けて、念のため避難していた。このため、押入れの襖はもともと、彼が通れるくらいの隙間が開いていたのであるが、意地悪な家主は、その後、その隙間を閉めてしまっていた。
 お囃子を聞いて、落ち着いて避難場所に移動しようとした彼は、押入れの襖が閉まっていることに気が付いた。
 彼が、先程、自分で襖を開けておいたことを、覚えていたかは分からない。
 が。
 彼は振り返って、私を見た。
 それは疑いようもなく、押入れが開いていなことへの、そして、彼の困惑を面白そうに見ている家主の不真面目な態度への、不信にあふれた眼差しであった。
 
 

  
  
 そして、この使えない家主にはもはや何も期待しないことに決めた彼は、自力で襖を開けて、静かに暗がりに姿を消した。
 
 

 

 

 

 
  
  
 お囃子は、山車に乗って、何度か家の前を行き来する。
 彼はその都度、押入れに逃げ込んで難を逃れた。
 最後のころ、見ていなかったのではっきりとは分からないが、多分、山車と御神輿が一緒に来て、しばらく家の前で「揉んで」いた。掛け声とざわめきと、お囃子の音が、少し長めに続いた。
 私は、押入れの中で緊張状態のダメの写真を撮ろうと、カメラを持って押入れの襖を開けた。暗いし、衣類の陰になってしまってうまく撮れないので、最終的には諦めたのだが、当然のことながら彼は嫌がり、一度は押入れを飛び出して、再び飛び込み、さらに奥に潜ってしまった。
 さすがに、悪いことをした、と思った。
 彼は怖くて逃げているのだ。至極真剣なのに、人間は全くもって無神経である。
 お囃子の音はまだ続いていたので、お詫び代わりに、私は押入れの襖を閉めてやった。
 
 

(押入れの中のダメちゃん)
  
  
 その後。
 お囃子は去り、私は呑気に風呂掃除をしていた。
 と。
 シャワーの水音に混じり、猫の鳴き声が聞こえてくる。
 あ。
 そういえば、ダメを押入れに入れっぱなしだった。
 だが、彼は、自分で押入れを開けられるはずである。確か以前、内側からも開けていた。
 ま、出たいなら、自分で開けて出てくるだろう。
 別に、窒息したり熱中症になったりするような環境じゃない。
 というわけで、風呂掃除が終わるまで、私は彼を放っておいた。
 掃除が終わり、押入れを開けてやると、彼はキョトンとした顔で、押入れの上段に座っていた。出ないのかな?と思ったら、ストンと畳に飛び降りて、悠々とした足取りで、冷たい床の上に寝に行った。
 別に、急いでも、切羽詰まってもいなかった。
 じゃあ、何で鳴いていたんだ。
 と、考えて、はっと思いついた。
 私が、お風呂場にいたからだ。(お風呂に入っていたわけじゃないけど。)
 
 
 家主がお風呂場にいると、声を上げて呼んでみる。
 習慣は第二の天性、なのか。
 それとも、これも、彼の学習の一環なのか。
 
 
 でもねえ。
 
 
 どうせ学習するなら、「太鼓はうるさいだけで危険はない」ということを、なぜ彼は、いつまでも学習しないんだろう。
 いや…。
 安全に絶対はない。災害非難の心得として、彼の態度はやはり、評価に値するものなのかもしれない。
 
 
 
 
 
ハイ、無駄でした。ムムさんの言うとおり。