憧れの王子様





 今年も、コタローくんのお写真をいただいた。
 相変わらずの王子ぶり。スタアのブロマイドって感じ。
 コタローくんの飼い主さんは、義理堅い方で、毎年「うちの子記念日」に、コタローくんの写真を送って下さる。彼との出会いのきっかけに、私が少しばかり引っ掛かっているので、感謝して下さっているらしい。
 実際には、私は何もしていないので、面映ゆいような、申し訳ないような。だが、これほどその縁を大事に考えていらっしゃるということは、コタローくんがどれだけ愛されているか、ということである。
 写真を見れば、それは完全に納得できる。こんな王子様なら、誰だって夢中になるに違いない。
 
 
「やっぱり、アタシがもらっときゃよかった」
と、冗談半分に、友人にメールした。
 コタローくんは、ダメちゃんとほぼ同い年である。(ダメちゃんの方が推定3カ月早く生まれている。)
 ついでに、コタローくんがかの家にお婿入りした、その一週間後に、私はミミさんを家に迎えている。その三ヶ月後、結局、ミミさんのお話し相手にと、ほぼ同い年のダメをもらって来たのだから、あのとき最初からコタローくんを我が家に迎えるという選択肢もあった、と言えるのである。
 そうしたら、完璧な王子様とお姫様のカップルが出来上がっていたのだ。
 しかし。
 まあ、ね。
 我が家には、ダメちゃんが最も相応しかったのだろう。
 そう思わないと、ダメちゃんの立場がない。テキトーな飼い主には、辛抱とド根性だけが売り物の、無駄にデカいトラネコあたりが、我ながらしっくりくるような気がする。
 
 

 
 
 そう。私だって、私なりにダメちゃんを愛しているのだ。
 
 

  
  
 しかし、である。
 コタローくんのような猫なら、世間の人々に対して、
「アタシの恋人です」
的な言い方をしても、何となくさまになる。
 何か、こう、特別な絆で結ばれた人と猫、と言おうか。
 また、飼い主の女性について言えば、それは、
「人間の男なんか、レベル低くて問題外」
と、言外に匂わせているかのような、何かひどくカッコいいものさえ、感じさせるではないか。
 が。
 じゃあ、私が、
「アタシの恋人は、ダメちゃんです。」
と、世間サマに向けて言い放ってみたら、どうなるか。
 それって、
「私は淋しいオンナです」
と言っているのと、ほぼ同義語にならないか。
 いやだなあ、それ。
 ダメだって、キジトラとしては、ハンサムな方である。
 大きくて、手足が長く背が高い。しっぽだって太くてりっぱだ。
 でもねえ。
 残念ながら、彼には、王子様オーラが皆無、なのである。
 まあ、テキトーに飼われている庶民だから、仕方のないことではあるのだが。
 
 
 今日、母に会った。
 母は、きわめて自然な口調で、
「甘ったれのダメちゃんは元気?」
と、訊いてきた。
 あああ。
 やっぱり、ダメだ。
 ダメちゃんがハンサムであるということは、一応公認の事項なのだが、だからといって、彼がカッコいいと思っている人は、誰もいないのである。
 コタローくんの飼い主さんは、コタローくんのことを「優しい猫」だと言っていた。
 ダメちゃんだって、優しくないわけじゃない。
 だが、彼に冠する形容詞は、あくまで「甘ったれ」なのである。
 
 
 この違いって、一体何なのだろう…。
 
 

 
 
 思うに、女子にとって王子様とは、やはりGuardianなのだ。
 自分を守ってくれる人。甘えさせてくれる人。そして、癒してくれる人。
 つまるところ、オトコの包容力である。
 おとぎ話の王子様は、財力と権力と、美貌と優しさと、完璧なマナーと、そして敵を打ち破る強さを併せ持った存在である。
 このうち、財力と権力は、その出自から引き継ぐものである。
 美貌は個人の資質だが、まあおそらく、歴代の王妃様(もしくは、子をなす寵姫)は、選りすぐりの美女であったろうから、血統から受け継ぐものでもあるだろう。ついでに言えば、徳川の将軍様やその一族は、顎の華奢な人が多かったと聞く。それは、庶民と違って柔らかいものを食べていたからだ、という話を、ずっと昔にテレビで観た。
 つまり、良い暮らしから生まれる高貴な顔、というのも、実際にあるのだ。
 問題は、その先。
 優しさ。マナー。強さ。強さは、小さい時から、剣術のご指南役がついてみっちり仕込まれるわけだし、女性に対する優しさやマナーは、日頃の教育により叩き込まれるものだ。
 つまり、何が言いたいかと言うと。
 財力と権力には関係ない猫の場合、結局、王子オーラとは、教育と生育環境からしか醸成されないものなのではないか、と、いうことである。
 
 
 飼い主さんの愛情を一身に受けて、大事に育てられたコタローくんと。
 家主が夜中までほっつき歩いていて(じゃない、仕事だ)、また休日はいつまでも寝ていて、ごはんさえ定刻に出て来ないような家で、テキトーに育てられたダメちゃんと。
 前者が王子オーラいっぱいの「優しい猫」で、後者が、ノーブルさとは無縁な「甘ったれ猫」になってしまったことは、思えば当然の帰結である。
 そうか…。
 ダメちゃんが王子になれなかったのは、元を糺せば私のせいなのだ。
 彼が、私の顔を見れば「メシ!メシ!」とわめくばかりで、ちっとも私を癒してくれないという不満は、要するに、自業自得なのだった。
 
 
 じゃあ、仕方がないや…。
 
 
 ごめんね、ダメちゃん。王子様にしてあげなくて。
 もっとも、彼ももう、今さら王子様になりたいようなトシでもないだろうけどね。
 
 
 
 
 
 
Rさん、いつもお写真をありがとうございます!