名前の話


 
  
 私には、驚くほどネーミングセンスがない。
 子供のころに飼っていたセキセイインコから始まり、最新のアタゴロウに至るまで、響きが良く、洒脱で、その子の性格をよく表し、そして、ちょっと知的な香りのする名前――などというものを、自身でつけることのできたためしがない。
 ダメちゃん然り。
 ダメちゃんの本名は、大治郎である。
 なぜダメちゃんなのか、よく尋ねられるのだが、その際には、
「ダメちゃんという名は、彼の賢さの証です。」
と、答えることにしている。
 その由来は――
 彼が我が家に来たばかりの頃のこと。
 礼儀をわきまえない少年は、明け方3時(4時だったかもしれない)から、うるさくメシをねだって鳴き、家主を起こした。
 寝起きが悪い家主は、癇癪をおこして叫んだ。
「オマエなんか大治郎じゃない。ダメ治郎だ!!」
 怒りの治まらない家主は、その後も、彼をその侮蔑的な名で呼び、嘲弄した。とはいえ、普段から口の悪い家主にしてみれば、それはほんの冗談のつもりだった。
 が。
 覚えてしまったのである。
 二日、いや、一日だったかもしれない。何度か呼んでいるうちに、彼は、
「ダメ」
と呼ばれると、振り向くようになっていた。
 もう、訂正はきかない。
 それ以来、彼は「ダメちゃん」と公称されることとなったのであった。
 
 
 その、大治郎という名の由来。
 これは本当に、考えに考えてつけた名である。
 当時、我が家には、先住のミミさんがいた。せっかく雄雌カップルで飼うのだから、きちんとカップリングされた名前をつけたいと思った。
 それも、純日本風の名前を。
 できれば、何か渋い小説などから、名前をもらいたい。そこそこ有名で、だが、ちょっと本を読んでいる人でなければ知らないような名前がいい。
 そうやって辿りついたのが、「三冬と大治郎」だった。
 言わずと知れた、池波正太郎の「剣客商売」に登場する夫婦である。(敢えて「鬼平犯科帳」は避けた。)
 ミミさんは、その時点ですでに「ミミ」であったので、それを愛称とし、本名は「三冬」である、という設定にした。
 が。
 最初の計算違いは、大治郎があっという間に「ダメちゃん」になってしまったことであった。
 そして、もうひとつ。
 私はやはり、ミミのことを「三冬」と呼ぶことができなかった。ミミはやっぱりミミだった。彼女が亡くなり、お寺で名前を書く時も、やはりミミであった。
 だが、何と言っても、いちばんの失敗は、二匹とも、全く剣客には似合わない性格であったということだろう。
 ミミは、大人しくしとやかな正真正銘のお嬢様。ダメは優しく気弱な草食系男子猫。
 自分でつけておきながら、ダメを「大治郎」と呼ぶのは、あまりに気恥かしくて、とてもできない相談であった。
 
 
 私がミミを「三冬」と呼べなかった理由。
 それは、彼女が私に、「ミミ」と呼んでもらいたがっている、と、信じるに足る理由があったから。
 ミミは最初からミミであった。私が飼う前から、その名前であったのだと思う。
 思う、というのは。
 誰も彼女の本名を知らなかったからだ。
 ミミは、当時の私の職場の近くにあった、鳥屋さんの外猫だった。厳密に言えば、飼われていたわけではない。つまり、ノラさんである。
 と言っても、最初から野良だったわけではなく、大きくなってから捨てられた猫だった。大人しい性格ゆえ、餌やりさんのご飯にあぶれて商店街に流れてきたところを、猫好きだった鳥屋のおばさんに助けられたのである。
 その鳥屋さんが、亡くなった。
 店は閉店し、彼女は店の外の、古いガラスケースの金属枠らしきものにブルーシートを被せただけの小さな小屋で、お隣のブティックのママさんにごはんを貰いながら、何とかその日を凌いでいた。
 だが、後継者のいない鳥屋のお店がそのまま残るはずもない。ミミの小屋はお店もろとも、近いうちに取り壊されることとなった。彼女はまたしても家を失うという憂き目にあったのである。
 そんな時に折よく、成猫を飼いたい通行人が現れた。それが私である。
 事情を知った私は、ブティックのママさんに、彼女を貰い受ける旨を申し出た。猫好きのママさんは、とても喜んでくれた。
「よかったわねえ、ミミちゃん。」
 ママさんがそう呼ぶのを聞いて、ああ、この子はミミちゃんと呼ばれているんだな、と、初めて私は知った。これは確かである。そのとき、私は同じ職場の猫好きの先輩と一緒に行動していて、一緒にその言葉を聞いていたのだから。
 次に私達がそのブティックに足を運んだ時、ミミは鳥屋さんとブティックの間くらいの道端に転がって、日向ぼっこをしていた。
「ミミちゃん。」
 呼んでみると、ミミは嬉しそうに目を輝かせて、私に擦り寄ってきた。
 私がミミを貰い受けると決まってから、目に見えて彼女は、私に親愛の情を示すようになっていた。それは、ママさんが彼女に、
「お前は、あのお姉さんのおうちに行くのよ。」
と、言い聞かせたからだという。それでもまだ遠慮がちであったミミが、名前を呼ばれたときの親しみをあらわにした態度は、明らかにそれまでのものとは違っていた。
「やっぱり、反応が全然違うね。」
と、先輩と語り合った。
 だが。
 ブティックに入り、ママさんに、
「ミミちゃんが…」
と、話し始めたとき、返ってきたのは意外な返事であった。
「あら、ミミちゃんという名前にしたのね。」
 先輩と私は、顔を見合わせた。
「え、この子、ミミちゃんと言うんじゃないんですか?」
「いいえ。この子は捨てられていた子だから、名前は分からないのよ。」
 狐につままれたよう、とは、このことを言うのであろう。
 とりあえずその場はそのままに、ブティックを出た先輩と私であったが、二人とも不可解な思いを拭い去れずにいた。
「でも、ミミちゃんって呼んだ時、明らかに反応良かったよね。」
 先輩が言った。
 そう。
 その場にいたのが私だけだったなら、全て、私の「聞き違い」として終わっていたかもしれない。だが、証人がいるのだ。
 私は今でも信じている。あれはミミが、何か不思議な力を使って、自分の名前がミミであることを、新しい家族である私に伝えてきたのだ。そうまでして、私に、ミミと呼んで欲しかったのだ。
 その彼女を、他の名前でなど、呼べるはずもない。
 
 
 そして、ムム。
 名前の由来というほどのものでもない。
 ミミの次だから、ムム。
「ひねりなし。」
 言い切る私の言葉を聞いて、動物病院のカルテに名前を書き入れながら、先生がずっこけた。
 
 
 愛宕朗の名前の由来は、前に書いた。
 愛宕山で拾われたから。
 ちなみに、ブログ内での愛称が「アタゴくん」や「アタちゃん」ではなく、片仮名フルネームの「アタゴロウ」に落ち着いた訳は、譲渡後のメールのやり取りの際にYuuさんがそう書くのを見て、その残念過ぎる字面が、こいつにぴったりだと思ったからである。
 
 
 ところで、なぜ今頃になって、名前の話など書き始めたかと言うと。
 二〜三日前に読んだ小説の中に出てきた猫のネーミングが、なかなか良くて印象に残ったからである。
 ジェフリー・アーチャーの短編集「15のわけあり小説」から「外交手腕のない外交官」。
 主人公のパーシーは、外交官の家柄に生まれた秀才であるが、性格面で、外交官としての素質がない。赴任先で度々問題を起こしたため、彼は、文書官として官僚人生を終えることとなる。彼はその素晴らしい頭脳ゆえに尊敬はされたが、友人は少ない。そして、彼自身は、外交官として活躍できなかったことから、自分を、家名を下げた失敗者だと感じている。
 そのパーシーの飼い猫――片目で三本脚の、赤毛の猫――の名前は、「ホレイショー」という。
 文中の描写から、パーシーがホレイショーを無二の親友として溺愛しているのが分かる。その猫が、血統の良いブランド猫などではなく、普通の赤毛の猫で、しかも片目で三本脚、という設定が、主人公を、人格に問題があるスノッブな男という類型化から救っている。
 ホレイショーという猫の名前は、パーシーが自らを、孤独な悲劇の主人公ハムレットになぞらえていることの暗示かもしれない。だがそこに、ウザい自己憐憫男の気障な陶酔ではなく、むしろ皮肉なユーモアを感じとるのは、私だけだろうか。
 もし、それが、私の勘違いでなかったとしたら。
 私はアーチャーの、そのネーミングセンスに感服する。
 そもそも私には、文学について、一つの持論がある。私は短編小説が好きなのだが、短編こそ、書き手の力量を測る試金石であり、手が切れるような洒脱な短編を書ける書き手こそが、優れた文章書きである、という。
 ネーミングは小説の一部だ。優れた短編の書き手が、優れたネーミングセンスを持っていることは、理の当然と言っていい。
 
 
 あ、そうか。
 だから私は、ネーミングセンスが皆無なんだ。
 賢いミミさんは、それを見越して、ヘンな名前をつけられる前に、自ら名乗ったのかもしれないね。
 
 
 ミミさんが亡くなって今年で5年。去る5月19日が、彼女の祥月命日であった。