よいお年を
大晦日だし、ちゃんと書こうと思ったのですが…
大掃除疲れで、もう、眠くて断念しました。
ごめんなさい。
とりあえず、今日は、この状態まで行きました。
ひとつだけ、 書いておきたいこと。
昨日、動物病院にチビを連れて行ったときのこと。
帰り際、「あ、そうそう」と、先生に呼び止められ、
「亡くなった、あの子のことなんだけど…」
先日、セミナーがあって、日本高度獣医療学会(?)の高名な先生方とお会いしたのだという。
その際、その場にいた二人の先生に、ムムの症例について訊いてみてくださったのだそうだ。だが、先生方の答えは、お二人とも、
「そんな例は、見たことがない。」
だった。
「毎年、1000件以上も開腹手術をなさっていて、頼まれれば何でもやりますというような方々ですけど、ほとんど目を点にしているような反応で…。」
日本の獣医学の権威にさえ、経験のない症例だったのだ。
であるから。
結局、原因は分からず終いだった。
先生も、ずっと気にしてくれていたんだな、と、有難く思うと同時に、私自身は、それを聞いて、何か肩の荷が降りたような感じがしていた。
防ぎようが、なかったのだ。
防げなかった、とは、言わない。
だが誰も、そんな病気の存在は知らなかった。それでは、事実上、防ぎようがないではないか。
私にミステイクがなかったとは言わない。発症してから亡くなるまで、全てが後手に回り、本来なら治せたはずの感染症を、死に至る病にしてしまった事実には、変わりはない。
だが。
そもそもの原因を作ったのは私だ、という重さだけは、わずかながら除かれた。
そんな私が、また新しい猫を飼うことは、本当に良いことなのか、という迷い。
この4ヶ月間、譲渡の話が流れるたびに、心を揺らしてきた迷い。
後から気がついて、ひっかかってはいたけれど、後からくどくど言うのもはばかられて訊きそびれていたこと――発症のちょっと前、ムムが油拭きのボロ布を食べて、それがそのまま排泄されたこと――も、この機会にお話しした。
確かに、それで腸管を傷つけ、そこから細菌が入ることはあり得る。だが、亡くなった時、腸管はきれいだったし、だいいち、そのくらいで、あんなに膿は溜まらない。
先生は、あっさり否定してくれた。
私に考えついた原因は、それだけ。
だから、もう、分からない。
そう。つまり、防ぎようがなかったのだ。
ありがとうございました、と、お礼を述べて、新しい猫が入ったキャリーケースを下げて、病院を後にした。
昨日は一日中、怒りまくっていたダメが、やや不本意そうな表情ながらも、チビ猫の接触を許している。
案外、簡単に陥落したな、と、ほっとしながら、ふと思った。
もしかしたら彼も、ずっと、「ひとりよりふたり」と、思っていたのかもしれない。
猫だから、新しい同居猫を、最初から素直に歓迎はしないけれど、本当は、ずっと仲間を求めていたのかもしれない。
だが、これで。
このまま、このチビが我が家に落ち着けば、私たちは新しいスタートを切れる。
ダメも、私も。
新しい年が、明けるんだもの。
ブログを読んでくださっている皆様に、ひとつだけお願いがあります。
どうか、ムムのことを、忘れないでやってください。
私たちは、新しい生活を始めるけど。新しい猫とのトリオで、日々を綴っていくことになるけれど。
そんな猫がいた、ということだけでいいです。
ムムの生涯は、あまりにも短かったから。
その分、多くの方に覚えていてもらいたい。それで、ムムの生涯が、2倍にも3倍にも、膨らむ気がする。
あ、涙出てきちゃった。
ごめんなさい。湿っぽい話は、これで終わりにします。
どうか皆様、よいお年を。
大晦日の大猫vsチビ猫の様子は、明日にでも、書きたいと思います。
(2011年12月30日撮影)