猫のマッサージ指南


   
  
 先日、ふと立ち寄った書店で「癒し、癒される猫マッサージ」という本を、何となく買ってしまった。
 実は、何年も前に「にゃんこマッサージ」というDVDも購入しているのだが、そもそも家で映像を鑑賞する習慣がないため、ほぼお蔵入りとなっている。家に帰って確認すると、著作者は同じ先生であった。つまり、同じような内容の本とDVDを、両方購入してしまったわけである。
 そこだけ聞くと、まるで私が猫マッサージのマニアのようだが、別にそういうわけではない。ただ、素人ながら似たようなことはする。
「猫って、肩が凝ってるよね。」
 はじめて猫を飼い始めた時、家族でそんな話をしていた。
 人間の肩と同様、猫も肩甲骨の周りを揉んでやると、気持ち良さげにすることに気付いたのだった。
 背骨の周りを、強めになぞってやっても良いようだ。
 調子に乗って初代のジン子姐さんにやっているうちに、猫を撫でていると、つい、肩甲骨まわりを揉み始める癖がついてしまい、それはダメちゃんに対しても続いている。
 が。
 理論に基づいた正しいマッサージは、DVD購入後も、さっぱりやったことがない。
 自分だってエステだのマッサージだのには滅多に行けないのだから、猫にそこまでしてやることは、過剰サービスだ、というのが、今のところの言い訳ではある。
 
 
 だが、本を買ったことで、少し考え直した。
 どうせ毎日、猫をいじっているのだから、ついでに奴等の体にも良いような触り方をしてやれば、お互いのためというものではないか。
 本のタイトルにも「癒し、癒される」とあるではないか。
 そういえば、DVDを買った時にも、同じようなことを考えたのだった。それなのに、我ながら、なぜ今までやってこなかっただろう。
 本をパラパラとめくりながら、久しぶりにDVDが観たくなって、PCで再生してみた。
 
 
 久しぶりに観て、思いだした。
 このDVD、何といっても笑えるのは、様々な高級猫がモデルとなって登場する中で、オリエンタルショートヘアの子だけが、必死になって鳴きながら逃げようとしていることである。
 先生も、カメラが回っているので余裕の笑顔を繕いつつ、左手は結構しっかりと、オリエンタルちゃんをつかまえている。そこを何とかすり抜けようとするオリエンタルちゃん。見るからに、息詰まる攻防戦なのである。
 他の猫、どっしりとしたペルシャくんなんかは、いかにも面倒くさそうに、されるがままになっているのに。
 そして、DVDと本に、共通して使われるキーワード。
「猫の『まんざらでもない』という顔を確認しながら行ってください。」
 この「まんざらでもない」は、DVDで先生が語るところを聞くと、「まん」と「ざら」の間に軽い「溜め」があって、
「まん〜ざらでもない」
と、聞こえる。
 では、DVDの猫たちが本当に「満更でもない」という顔をしているかというと、何度も登場する、されるがままのペルシャくんなどは、ひたすら面倒くさそうに無表情で、ただし、嫌がっている様子もなく、
(なるほど。これが「まん〜ざらでもない」顔なんだな。)
と、これからマッサージされるべきダメちゃんのために、私はしっかりと認識したのだった。
 
 

(「にゃんこマッサージ」DVD)
  
  
 ずいぶん昔のこと。「癒し、癒される〜」とは全く別のもので、「猫のマッサージのしかた」という絵本を、兄にプレゼントしたことがあった。
 当時、私は実家暮らしで、実家では「母がキライだから」という理由(今となっては信じられないが)で、猫を飼うことなど考えられない状況だった。
「猫のマッサージのしかた」は、はっきり言えば、かなりブラックな本である。猫好きが読んだら、気分が悪くなること請け合い、という類のものだ。
 兄は沖縄で最初の猫を飼い始めたばかりだった。私は、からかい半分・やっかみ半分で、そのブラック絵本を贈ったのである。
 本当にかなり前のことなので、先程、ダメモトでネット検索してみたら、ちゃんと出てきた。著者はアリス・M・ブロックという、何と女性であった。
 うろ覚えであるが、この本は確か、
「あなたの猫が緊張しているように見えたら、マッサージをしてあげましょう」
といったような導入で始まる。
 そして、見開き1頁ごとに、様々なマッサージ法が紹介されていく。
 が――。
 読み進めて行くうちに、どうもおかしいことに気付く。
「こったところを よく もみこんで、 ひつようとあらば ぺちゃんこになるまで、 ネコを のばします。」
「ちからをこめて ネコを はずませ、おうかくまくに あめあられと れんだを あびせます。」
 といったように、頁が進むにつれて、表現がどんどん過激になっていくのだ。
 そして。
 その過激なマッサージは、ぐったりした猫に「ついでに、ハンカチ(タオル?)をかぶせてあげましょう」で終わる。
「猫は当分、そのままでいるでしょう。」というような結びだったように記憶している。
 この作者は、どこから、こんなアイディアを思い付いたのだろう。
 あくまで私見にすぎないが、これは、「猫はマッサージをする必要がない」という前提から生じた逆転の発想ではないか。
 人間が触ると、猫はいつもふにゃっとしていて柔らかく、野良さんはともかくとして、室内飼いの家猫は、寝てばかりいてお気楽だ。
 毎日、ストレスにさらされつつあくせくと働き、肩凝りだの腰痛だのに悩まされている人間から見れば、実に羨ましい生活である。その人間は、時間とお金の問題で、そうそうマッサージなんかには行けないのだ。
「いいよねえ、猫は。」
 日常、猫飼いの家庭で繰り返されるこんな会話が、そのブラックユーモアの下敷きにあるような気がする。
 だが、実際には、猫も肩が凝っている。ただし、それは人間のようにPCの使い過ぎで目が疲れているためではなく、鎖骨が退化しているため、体と前足を繋いでいる筋肉の負担が大きいから、だそうである。少なくとも、今回購入した「癒し、癒される〜」の本には、そう書いてあった。
 
 
 まあ、そんなわけで。
 猫の夕食が終わり、人間の夕食も終わって、クッションの上でくつろいでいるダメちゃんに、マッサージを試みた。
 ツボと経絡とか、そういう難しいのはよく分からないのでパス。
 とにかく、基本的なマッサージをやってみよう、ということで。
 
 
 基本のストローク
 毛の流れに沿って撫でさする。
 
 

  
  
 ピックアップ。
 背中の皮をひっぱって掴む。
 
 

  
 
 そして、どうやらコレが、彼の「まん〜ざらでもない」という顔らしい。
  
  

 
 

 
  
 そう。ここまでは、いつもやっていることと大して違わないのである。
 そして、やっているうちに私は、かつて自分が何に挫折したのか、だんだん分かってきた。
 
 

 
  
 何しろ抜け毛大魔王である。基本のストロークをやっているうちに、こんなことになってしまい、ついつい、そこから抜け毛取りに移行してしまうのだ。
 それに、だいいち。
 本でもDVDでも、「猫がリラックスしているときにやりましょう」と言っているのだが、リラックスしている猫は、体勢を変えさせると、たいてい気分を害して、立ち上がってどこかに行ってしまう。だが、リラックスしている猫が、マッサージに適した位置や姿勢でいるとは限らないのだ。
「ちょっとはじっとしてなさい!せっかくマッサージしてやろうっていうのに。」
と、人間の方が苛々してくるのが関の山である。
 猫のリラクゼーションを追及するなら、マッサージなんぞむしろやらない方がいい、という結論に、自然、達してしまうわけ。
 それなら、どんな効能を期待してマッサージをすればいいのだろうか。
 そうねえ…(と、ページを繰る。)
 あ。
 そうだ。これだ!!
 
  

   
   
 ヨシ、これをぜひ、ダメちゃんに…。
 ところが。
 その「ダイエット」の章には、「ホルモンバランスの乱れによる肥満」「水太りによる肥満」「ストレスによる肥満」の、3項目しかないのであった。
 やれやれ。
 つまり、ただのデブには、つける薬はないってことか。
 
 

 うそつけ。
 
 
 こうして、せっかく本もDVDも購入した猫マッサージに挫折しかけたところで、改めて、「猫のマッサージのしかた」の絵本を振り返ってみると。
 あくまで、うろ覚えである。
 だが、私の記憶では、この過激なマッサージは「あなたの猫が緊張しているように見えたら」やりなさい、と書いてあったと思うのだ。
 ここにきて、私ははじめて、その意味するところに気付く。
「あなたのねこ」、つまり、自分の飼い猫だ。その猫が「緊張している」とき、とは――。
 それは即ち、猫が自分を警戒しているとき。言い換えれば、自分の思うとおりにならない、自分の思いが伝わらないときである。
 そんなとき、通常のマッサージが行えるはずがないではないか。
 そして。
 もっと深読みすれば、飼い主がその過激なマッサージを猫に施そうとする、その瞬間、猫と人間とは、むしろ戦闘態勢であるはずだ。
 となると。
 あれは要するに、猫との闘い方指南であったわけだ。
 ついでに言っておけば、そうであるなら、猫の方がそう簡単に、人間に自分の体を触らせるわけがない。あの絵本は、単に理論を述べているにすぎないのである。
 
 
「猫のマッサージのしかた」の絵本に留まらない。どうやら、猫のマッサージとは、もとより、人間が猫に打ち勝つための、いわば戦闘アイテムであったようだ。
 その証拠が、ここにある。
「癒し、癒される猫マッサージ」の本を購入した際のレシート。
 
 

   
   
 何と。
 攻略本だったのだ。