グッド・アメリカンの敗北


    
   
 10月のはじめに姉から来たメール。
 りりの予防接種に行ってきた、という報告であった。それに付け加えて、
「4.85kgで、減量の指導を受けてしまいました。」
 と。
 目標体重は4.5kgで、「満腹感サポート」のサンプルまで貰っちゃったそうだ。
 ああ、ついに来たか、という感じ。
 もっとも、こちらは万年ダイエッターのダメちゃんを抱えているので、特別な感慨はない。
 それより、「満腹感サポート」を勧められたという辺りで、
(ほーら、やっぱり、兄妹だけに、やること同じじゃない。)
と、「ダメ・りり生き別れ兄妹説」にさらなる裏付けを与えられたような、ヘンな満足感すら感じてしまったものである。
 しかし、その後の、
「ところで、ダメちゃんは『満腹感サポート』でダイエット成功したの?」
という、素朴にして鋭い質問に対しては、答えに窮した。
 したとも、言える。
 していないとも、言える。
 一つだけ確実に言えるのは、つい最近まで、「満腹感サポート」は彼の常食であったということである。
「禁煙なんて簡単だ。私はもう何百回もやっている。」という、マーク・トウェインの言葉を思い出した。
 
 

(なな【白】と、りり【キジ】。2012年12月)
 
  
 で。
 ダメちゃんはダイエットに成功しているのか。
「しているとも言える、していないとも言える」という微妙な表現を使うのは、以下の理由からである。
 確かに、一時期の、7kg近い大デブからは脱却した。
 そして、一時期は、5kg台前半まで、落とした。
 その後、また戻って、現在は6kg台前半である。
 この「戻って」であるが、「それってリバウンドじゃないの?」という指摘は、微妙に当たらない(と、私は思っている。)
 ダイエットが効き過ぎて、あまりにも体重が落ちてしまったので、怖くなって「戻した」のである。ちと戻し過ぎた感はあるのだが。
 確か、アタゴロウが家に来てしばらくしてから。早春の頃だったと思う。ダメを動物病院に連れて行った際に、あまりに体重が落ちているので、先生や助手さんにびっくりされたことがあった。
 そのとき、
「やりすぎでしょうか?」
と、見送りに来てくれた助手さんに、帰りがけに尋ねると、
「いや、べつに、ガリガリってわけでもないですよ。」
という答えが返ってきた。
 これまで、「太っている」としか言われたことのなかった家主にとって、この言葉は衝撃であった。
 その後も、まだ体重が落ちそうな気配であったので、心配になって、少しずつカリカリの量を増やしたのである。
 ついでに、ずっと食べさせていた「満腹感サポート」の在庫がなくなったのをきっかけに、大量に残っていた、ムムの“遺品”の「減量アシスト」を消費するため、しばらくそちらに切り替えることにした。(註:私の調べた限りでは、ドライフードのカロリーの低さにおいて「満腹感サポート」は断トツである。「減量アシスト」は普通のダイエットフード並み。)
 さらに、つい最近、「減量アシスト」がなくなったので、今は、「エイジングケア・ステージI」のみを食べさせている。
 とはいえ、「エイジングケア」一本だと、少々カロリーオーバーな気もするので、そろそろまた「満腹感サポート」を購入し、半々くらいにしようかな、と、思っていたところであった。
 つまり、かなり確信犯的なリバウンドであるのだ。
「今度、ダメちゃんの『満腹感サポート』を買う時に、りりの分も一緒に買っておくね。」
と、姉には返信した。
 ただし、
「年齢的にはオヤジメシの方がいいと思うんだけどね。こんど、先生に相談してみる。」
と、ちょっとした留保をつけておいた。
 
 
 その「こんど」とは、昨日のことであった。
 年に一度の、ダメちゃんの体重測定、もとい、予防接種の日である。
 どうやらオッサン、妙な勘が働いたらしい。毎度、抵抗ゼロであっさりとキャリーに収まる奴が、さてそろそろ捕獲するか、と、私が彼を見た瞬間、物も言わずに座卓の下に逃げ込んだものである。
 と言っても、もちろん、そんなことは、完全に想定の範囲内である。
 更なる避難場所を探そうとする彼の腰をすかさず掴んで引きずり出し、キャリーに押し込めて、玄関を出ようとしたところ、
(うっ…、重い。)
 油断が過ぎたのか、一瞬、持ち上がらなかった。
 何故だろう、いつになく重い感じがする。
 これはヤバイかも…と、暗い予感が胸に満ちてくるのを感じつつ、重たいペダルを踏んで、動物病院へと自転車を走らせた。
 結果。
 6.35kg。
 先日、自宅のヘルスメーターで測ったときには6.2kgであったので、やっぱり、少しずつ太りつつあるのかもしれない。
 だが。
 叱られるのを覚悟したのだが、先生は特に何もおっしゃらなかった。
「もう少し痩せさせた方がいいでしょうか?」
 たまりかねてこちらから尋ねると。
「いや、まあ、これくらいならいいでしょう。6キロ台前半なら、そんなに太り過ぎじゃないですよ、小太りくらいで。」
 そっか…。良かったんだ。
 ついでに、フードのことも相談してみたが、特にどちらでも良いようだった。
 まあちょっと、上昇傾向でもあるし、やはり予定どおり、「満腹感サポート」を混ぜて食べさせるようにしようかな、と思った。兄妹ともども。
   
   

  
  
 診察台にダメを乗せると、先生は毎度お馴染みの台詞を口にした。
「この子、好き。」
 そう。ダメは、先生のお気に入りなのだ。
「うちの子にそっくり。」
 その、先生の猫については、年齢も何も、今一つ良く分からない。
 かつて、ダメちゃんと同じような、丸々と太ったキジトラを飼っていたらしいことは、写真を見たので知っているのだが、かなり前の話だ。その子はもう、亡くなっているのではないか。
 一方、アタゴロウのことも「うちの子と同じくらい」と言っていたから、今、満一歳くらいの猫がいることも分かっている。ただ、「うちの子に似ている」発言は、何年も前から聞いているから、その猫を指すものではないだろう。
 と、様々に思いを巡らすうち。
「うちの子は、こんなにハンサムじゃないけどね。」
「うちの子は、こんなに頭が大きくないし。」
「うちの子は、こんなに筋肉質じゃない。この子はまんべんなく肉が付いていていいわね。」
 などなど。「うちの子」に比べて、ベタ褒めされた大治郎くん。
 先生は本当に、ダメちゃんが好きなのだ。
 飼い主として、もちろん、悪い気はしない。
「よかったねえ、ダメちゃん。勝ったってよ。」 
 そうだ。ダメちゃんは、獣医が認めるハンサム猫なのだ。それに、彼は妹と違って、ダイエット指導なんかされなかった。「満腹感サポート」だって、自主的に食べているのであって、つまり、自らウェイトコントロールを行う、デキる男でもあるのだ。
 だが。
 安堵感と、そして、褒められて嬉しい・誇らしい気持ちの奥に潜む、この冷ややかな思いは何なのだろう――。
  
  

  
  
 ダメちゃんの7年余りにわたるダイエットの日々を、振り返ってみる。
 そういえば、最初に肥満を指摘された時、私の記憶に間違いがなければ、先生はこうおっしゃっていた。
「このくらいの大きさなら、5.5kgくらいでいいんですよ。もっと運動して痩せさせないと。」
 そのとき、ダメは多分、6.5kgくらいだったと思う。今よりちょっと太っている程度。
 いつの間にか、基準が緩くなったのだ。
 つまり、オジサンだからそのくらい太っていても仕方がない、ということか。
 また、別のとき――
 先生は、ダメちゃんの顔を見て、ふとこう漏らしたのだった。
「気のいい猫って顔してる。」
 あれは何歳くらいの時だったか。だが、大人の猫の顔立ちが、そう大幅に変わることはないだろう。
 つまり。
 彼はハンサムだが、あくまで「気のいいハンサム」なのだ。
 気のいいハンサム。
 イメージで言えば、ジミー・スチュワートが得意としたような、正義感の強いグッド・アメリカンの青年、だろうか。
 だが。
 彼はもう若くない。それは先生も認めている。何しろ、
「もう8歳なので、ごはんを変えました。」
と、私が言ったら、
「ああ、シニア用にしたのね。」
と、即座に理解したのだから。
 これらを総合すると、彼を表現する言葉は、次のようになる。
 
 
「顔立ちのキレイな、気のいい小太りのおじさん」
 
 
 イメージとしては、ツヤツヤほっぺに、まつ毛の長いぱっちりお目目の、油の染みたデニムのエプロンが体の一部のように似合う、ころんとしたかわいい雑貨屋兼ガソリンスタンドのオヤジさん、てなとこか。
(西部の田舎町に居そうな感じですね。)
 
 
 いや、私も好きですけど、そういうオジサン。
 であるから。
 その表現は、充分、褒め言葉になっていると認める。嬉しいことだとも思う。
 それなのに――、
 
 
 だが、何だろう。この言いようのない敗北感は。
 
 
 
 

 
 
 
  
※ちなみにですが、ダメの大幅ダイエットは「ウェットフードを総合食に切り替えて増やし、ドライフードを減らす」という方法でした。ドライは「満腹感サポート」、ウェットは「カルカン」を使用。