初詣・その他


 
 
 今日は、実は、朝から夕方まで、寝っぱなしだった。
 正確に言えば、昨日の夜から、である。
 昨日、さくら・こっこと三人で初詣に行き、その後、こっこ宅で新年会(鍋)。その後、予想はしていたことなのだが、体調急降下で、時間はあったのだが何もせずに、入浴だけして寝てしまった。
 そして、今日である。
 そんなわけで、夕方起き出してくるまで、ほぼ何もしていないのだが、午前中に一度食事を摂った後、布団の上に座っていたら、アタゴロウが遊びに来た。そのときに撮った写真である。
 
 

  
  
 猫を遊ばせながら写真を撮るのは難しい。今回の目的は「アタゴロウくんのヒゲが前を向いているのを撮る」ことであったのだが、この一枚で、一応お分かりいただけるだろうか。
 本物は、もっと凄い。ヒゲが前向き水平になっていたりする。何が彼をそれほどまでに熱くするのか、一度訊いてみたいものである。
 
 
 で。
 初詣である。
 例年どおり、神田明神様にお参りした。
 が。
 何しろ、三が日である。参道の坂道の下から並ばされ、お参りするのがやっと。とてもお祓いどころではなかった。
 境内に入り、最初ははるか彼方に見えていたお社殿が、
 
  

 

 

 
  
 だんだん近づいてくる。
 近づくにつれ、カーン、コーンという音がひっきりなしに耳に入ってくるのだが、これは、お賽銭が投げ入れられる音。
 私たちが前から4〜5列目まで近付いたころ、突如、
「ザラザラザラザラザラ…」
という音が響き、前列から
「おおーっ!!」
と、どよめきが上がっていた。
 一体、誰がどれほどのお賽銭を注ぎ込んだのか、見えなくて残念だった。
 
 
 その後、こっこは準備のため一足先に帰宅し、さくらと私は、これも例年どおりの猫初詣へ。
 こちらの神社は、ほどよく空いていて、落ち着いた、いい雰囲気だった。
 相変わらず、お犬様方がおおぜいお参りに来ていた。
 石段の上で、ダックスが5匹(2家族?)、並んで記念撮影をしているのが壮観であった。
 
 

(猫初詣)
 
  
「何かさ、初詣に行っても、お願いする内容が変わってきたよね。」
 後刻。こっこ宅でお手製の鍋をつつきながら、そんな話になった。
「前はいろいろ煩悩があったけど、とりあえず、健康で過ごせますように、とか。」
「旅行に行くにしても、『充実した旅になりますように』より『無事に帰って来られますように』だよね。」
 だが、欲がない、という表現は、当たらない気がする。
 野心がなくなった、というのは正しいが、それ以上に、「健康」や「無事」の大事さ・ありがたさが、身にしみるようになってきたのである。それは、自分自身のことでもあるし、親兄弟のことでもあるし、友人、そして、ペットのことでもある。
「とにかく、元気で働けなかったらアウトだもんね。」
 そう。勘違いしてはいけない。われわれはあくまで無産階級なのだ。
「今年は何かと物入りだから、ちょっと節約しようかと思って。」
「いいわよん。貧乏オッケー。付き合うわよ。」
 何しろ長い付き合いだ。これまでにも、“貧乏な遊び方”は、さんざんしてきている。時間軸をちょっと巻き戻せばいいだけ。
「それに、お金がなかったら、おうちで遊べばいいんだよ。」
 おうちがあって、猫がいる。それだけで人生は結構、楽しいのである。
 
 
 やっぱり宅飲みはいいね、またやろう、と言いながら、お開きとなった。
「じゃあ、次は『バー大治郎』へどうぞ。いや、ホストクラブでもいいけど。」
「ダメちゃんがマスター?何かそこ、すぐに『お客さん、看板ですよ』って、追い出されちゃいそうだよね。」
 いや、それよりも、従業員(ホスト)の接客がなっていないのが問題であろう。
 
 
 おまけ。大治郎くんの意味不明の寝方。
 
 

 

 
  
 何ゆえ、そうまでしてそこに顎を乗せたいのか、理解不能である。