続・賢者の扉


 
 魔法暦××××年――
 
 
 とある村に、アタゴロウという少年がいた。
 山のてっぺんで拾われたみなし児である。
 アタゴロウは、村の長老のもとで育てられ、かつて「伝説のキジトラ」と呼ばれた長老直々に、あらゆる武術の手ほどきを受けた。
 やがてアタゴロウは、村で並ぶ者なきわんぱく者となった。その武術の腕前はすでに、時として師である長老を凌ぎ、いずれは長老の「智」をも受け継ぐべき者と目されていた。
 
 
 アタゴロウの顎の下には、不思議な黒斑があった。
 
 

 
 
 この意味不明の黒斑は、彼が神に遣わされし者である証拠だと、村人たちは囁き合った。
 
 
 
(想像図)
 
 そんなアタゴロウ少年を、突然の不幸が襲う。
 村に原因不明の伝染病が発生し、これを呼び込んだとの疑いをかけられたのである。
 彼は村はずれの独房に投獄された。
 養父である長老にも、彼を救う手だてはなかった。
 
 

 
 
 彼は週ごとに沐浴の儀式に神殿(*)へと連れ出され、あるいは、村の泉に吊るされて“足浄め”の戒めを受け、体じゅうに膏薬を塗りたくられた。
 
 

 (*)当時の神殿は病院を兼ねていたと言われている。
 
 
 彼の接触した寝具も、衣類も、全てが熱湯に投げ込まれ、あるいは焼却され、村人たちは不浄なものを見るような目で彼を見た。
 やがて呪いが解けたとされ、長老の許に帰された後も、この経験は、アタゴロウに、それまでになかった強い信念を与えた。
 自分はやがて、この地から旅立つべき者である、と――。
 
 
 そして、1年の時が流れた。
 
 
 
 
■ 続・賢者の扉 〜黒斑の勇者編〜  
 
 
 

  
 
 アタゴロウの暮らす村のはずれには、常に閉ざされたままの巨大な扉があった。
 扉の隙間から見える「向こう側」は、暗黒の世界である。
 この扉は、魔女が村へ出入りするための扉であると言われていた。
 そう。扉の向こうは、魔女の領域。寒さと闇とが支配する、恐怖の異界――。
 少年アタゴロウは、もちろん、他の子供たちと同様、その扉の向こうへ出ようとすることを禁じられていた。
 扉から一歩でも外に出たら最後、扉は閉ざされ、二度と村に戻ることはできないのだと。
 そうやって、「向こう側」に出たきり、とうとう扉を開けることができず、消えてしまった女の話を、村人たちは子供らに繰り返し語って聞かせた。
 だが、アタゴロウは知っていた。養父である長老が、毎日、夕刻になると人知れず扉の向こうへ出かけ、冷たい岩の上で何か儀式めいたことを行っているのを。
 そして、それは常に、村に谷間の冷たい風が吹き込む時刻――魔女が村に入って来ると言われる時刻――であった。
 扉を開けることができなかった女の話――それが、アタゴロウが生まれる前に亡くなったとされる長老の妻のことであると知ったのは、いつごろのことであっただろうか。
 養父は、長老は、扉の向こうの世界に、何をしに行っているのか。
 まさか、長老は、そこで亡くなった妻と逢っているのか。
 死者との邂逅――それは、生ある者にとって、絶対に冒してはならぬタブーであるはずだ。
 そして、何より。
 長老はいつも、決して開けられないはずの扉を自ら開き、村に戻って来るのである――。
 
 
 やがてアタゴロウ少年は、一つの誓いを胸に秘めるようになった。
 自分はいつか必ず、あの扉の向こうへ行き、養父が決して明かそうとしない、この世界の謎を解いて見せるのだ、と。
 
 

  
 
 ここで、現代社会を生きる読者諸氏のために、若干の解説を加えておこうと思う。
 我が家の間取りは、LDKと私が普段寝ている和室が南側にあり、北側には玄関と洋室が2部屋ある。リビングと玄関の間に、ガラスを嵌め込んだドアがあり、これがいわば、南北の境となっている。
 アタゴロウが我が家に来てしばらくの間、私は彼を、北側のゾーンには行かせなかった。何しろチビっ子であるから、やたらな所に潜りこまれると捜索不能になるからである。
 折しも季節は真冬。暖房効率を考慮してリビングと玄関の間の扉は閉め切りである。万が一、チビが北側のどこかに潜りこんで出て来なくなった場合、この扉は、開け放しにしなければならないことになる。それはあまりに寒い。
 一方、ダメはもう大人であるし、今までも別段不都合なく、家の南北を行き来して暮らしていたので、行きたいと言えば、扉を開けて北側のゾーンにも行かせてやっていた。
 ついでに彼は、空錠を掛けさえしなければ、自分の頭で扉を押し開けて戻って来ることができる。従って、ドアのラッチボルトがドア枠に触れる程度に軽く閉めておけば、彼の気の済むまで北側に行かせたまま、放置しておくことも可能である。
 猫どもは普段、基本的に私のいる部屋にいるし、特に冬の期間中は、寒い北側に好んで出ることはあまりない。しかし、例外的に、ダメは私が帰宅すると、必ず玄関に突進する。そして、玄関のタタキでゴロゴロする。
 仔猫のアタゴロウは、自分は扉の向こうに行ってはいけないということを理解していた。だが、時折ふらりと北側の部屋に散歩に行ったり、玄関に突進してゴロゴロしたりするダメを、じっと眺めていた。
 彼の心の中に、コドモの自分には禁じられた北側の世界への好奇心が育っていたことは、想像に難くない。
 ちなみに、この「頭で扉を押して開ける」が、亡きヨメには、どうしてもできなかった。
 なぜできなかったのか。今もって謎である。彼女は反対側からなら、ドアの隙間に前足を差し込んで、ドアを引き寄せて開けることができたのに。(2010年12月3日の記事「賢者の扉」参照)
 
 
 扉の外への冒険を志すアタゴロウ少年にとって、最大の難関は、いかにして、「向こう側」から扉を開け、元の世界に戻るかであった。
 だが、たゆみない鍛錬と試行錯誤の末、彼はついに、その方法を体得した。
 彼の体得した、その技とは――
 
 

  
 
 扉のすぐそばで立ち上がり、
 
 

 
 
 伸びあがって扉を押し、
 
 

  
 
 開いた隙間をくぐり抜ける、というものであった。
 
 

  
 
 彼は常に、伸びあがる練習を積んできた。
 その努力が今、こうして実を結んだのである。
 
 

 

  
 
 アタゴロウが扉を開けられるようになったことを、私はもちろん、喜んでいるのであるが、同時に、少々複雑な思いもある。
 先述のとおり、ヨメは最後まで、玄関側からこの扉を開けることができなかった。
 自分の体で押し開ける、という方法に思い至らなかったのである。
 そのヨメができなかったことを、アタゴロウがやっている。
 そこに、納得がいかない。
 どうしても、ヨメよりもアタゴロウの方が賢いと、考えたくないのである。というより、アタゴロウが賢いというイメージを、どうしても持てないのである。
 馬鹿な子ほどかわいい、という。
 転じて、可愛いからバカだと思いたいのかもしれない。
 だが、敢えて言うなら、扉を押すのに、何も伸びあがる必要はない。ダメのように、歩きながら頭で押せば済む話なのである。アタゴロウの行為は無駄な労働に過ぎない。
 それともこれは、彼の演じる「華麗なる扉開け」パフォーマンスを彩る、振付の一環なのだろうか。
 
 

(内側から扉を開けて外に出るヨメ)
 
 
 そして、ある夕刻――
 顎の下に神の印を持つ少年は、ついに、禁断の地へと足を踏み入れた。
 
 
 彼は暗黒の世界を覗き込み――、
 
 

 

 
 
 彼の目に映ったのは、とても言葉に言い表せない光景――
 想像を絶する、荒涼たる世界であった。
   
  
 あまりの衝撃に、彼は一瞬にしてHPもMPも使い果たし、 
 
  

 
 
 あとはただ、倒れ込むように村へと帰り着いたのだった。
 
 

  
 
 抜け殻のようになった少年を、長老は抱擁した。
 自分には何もかも分かっている、というように。
 
 

 

  
  
 え、ええっ!!?
 そりゃあんまりだよ、ダメちゃん。
 否定はしないけど。(できないけど)
 
 

 

  
  
 いや、それ、意味違うと思うけど。
 
 
 こうして世界の秘密を知った少年は、ついでに、尊敬する長老様が単なるオッサンだったことも、知ってしまったのだった。
 しかし――
 
 
 冒険を知ってしまった若者には、もはや、安住の土地はない。
 彼の体が、心が、魂が、新たな冒険を求めるのである。
 
 
 こうして、少年は勇者となる――。
 
 
 
 
 

 
 TO BE CONTINUED....