また、つまらぬものを…


 
 
 ↑これ。
 人間ではなく、猫のために作曲された音楽なのだそうだ。
 昨日、店頭で見かけ、つい衝動買いしてしまった。
 写真では見えにくいが、下部の赤いシールには、「ユーザーの声」が記載されていて、曰く、
「この曲をかけたら、十秒もしないうちに、猫が急に静かになってリラックスしはじめたんです」
 と。
 なるほど。凄い効果である。
 だがきっと、それはうちの猫どもには効かないだろう。私は百パーセントの確信と共にレジに向かった。じゃあなぜ買ったんだ!?という突っ込みはナシにしてほしい。私自身も、心からそう思っているのだから。 
 
 
 で。
 気になる効果はと言うと――。
 
 
 アタシが眠くなっちゃったよ。
 
 

 
 
 音楽は、よくある安眠を誘う系の環境音楽に近い。
 とにかく静かで、あまり抑揚がなく、ゆったりとしている。
 だが、よく聞いてみると、その音楽に効果音のような音が混じっている。私の耳には、猫のゴロゴロ音や、チャクチャク音や、遠くから聞こえる鳴き声に似ているように聞こえた。また、秋の夜長を鳴き通す虫の声みたいな音も聞こえた。注意して聞けば、もっといろいろな音が聞こえてくるかもしれない。
 ひょっとして、猫にとって重要なのは、音楽の方ではなくて、この効果音なのかもしれない。それを環境音楽に混ぜることで、人にも猫にも心地よい音楽を作りだしたのだ、と考えるのは、穿ちすぎだろうか。
 実は、売り場にはもう一つ、猫が喜ぶクラシック音楽のCDも売っていた。こちらの能書きには、「人間の耳には、少し速すぎると聞こえるかもしれませんが、これが猫にとって心地よいテンポなのです」といったようなことが書かれていた。
 矛盾するじゃないか。
 猫が人間よりアップテンポを好むのであれば、この超絶眠いスローな音楽が、なぜ「猫のための音楽」なのか。
 ちなみに、うちの猫どもは、予想どおり無反応であった。
 
 
 昨日の夜は、夕飯時にかけてみた。猫どもは耳も貸さず、一心不乱に食べていた。
 今夜は、夕食後にかけてみた。リビングで寝ていたダメとアタは、急に音がしたためか、いっとき目を覚ましたが、すぐにまた寝始めた。(玉音は肉眼で見える範囲にいなかった。)
 いずれも、「何ですか?」と言わんばかりに、どちらかの猫がCDプレーヤーを見たりはするのだが、音楽をかけ始める前と後で、態度が変わるようなことは、一切なかった。
 
 
 いや。
 待てよ!?
 それって、当たり前じゃないのかな?
 もともとリラックスしている猫に、リラックスできる音楽を聞かせたところで、そりゃあ、何も起こるわけがないじゃないか。
 強いて言えば、昨夜、猫たちが一心不乱にご飯を食べていたことが、音楽により食欲と集中力が高まった、という効果を実証したものなのかもしれない。
 だとしたら、日常使いとしては、食事時にかけてやるのが正解なのだろうか。
 
 

  
 
 閑話休題
 食事の話題が出たところで、最近の我が家の猫飯事情について書いておく。
 アタゴロウは療法食である。病院でお試しに購入したウェットフードは、最初は食いつきが悪いように思ったが、二回目以降はよく食べている。最初に食べさせたphコントロールのパウチは、お肉ベースのペーストを楕円形の粒に成形したものであったが、以前からうちの猫たちは、この成形したお肉系のウェットフードが嫌いらしい。潰してペーストに戻したら、問題なく食べるようになった。結構美味しいらしく、隙あらばダメが横取りしようとする。
 ダメと玉音は、「無一物」のパウチ(四十グラムまたは五十グラム)を、二匹で仲良く半分こしている。夏になったころから黒缶を残すようになったため替えたのだが、要するに単なる水煮であるはずの「無一物」は、意外に彼等の好みに合ったようだ。
 ただし、一つだけ、落とし穴があった。
 単なる水煮は、単なるほぐし身でもある。これが、何でも舌で舐め取る食べ方のダメには、食べにくいらしい。放っておくと、身の部分を舐め取ることができずに、汁気だけが先に無くなっていたり、表面だけを虚しく舐め回していたりするのに出会ったりする。
 仕方がないので、食べにくそうな時は、一口分ずつつまんで、掌に乗せて食べさせてやっている。食事介助である。
 だが、私とて、いつもいつも、そんなに暇なわけではない。
 食べられそうだな、と思うと、ダメには自力で食べさせておいて、自分は自分の用事をする。特に、忙しい朝は。
 しかし。
 やはり、注意を怠ってはならない。
 ジェントルマンの誉れ高かった大治郎氏であるが、オヤジになって傍若無人になったらしい。自分のご飯が食べにくいと悟ると、ただちにアタゴロウのご飯を強奪するようになったのである。
 アタゴロウは優しいんだか、ヘタレなんだか、それに対し一切抵抗はしない。背後に無言の圧力を感じると、速やかに場所を明け渡す。そして、放置されているダメのご飯を食べ始める――。
 って…。
 おいっ!!
 駄目じゃないか。またシッコ詰まってもいいのか!!
 全く、油断のならない連中である。
 アタゴロウの療法食は、何故かダメの好みに合ってしまったらしい。アタゴロウはたいていいつも、わずかに食事を残すのであるが、彼が皿の前を立ち去ると、ダメはその残り物の皿へと瞬間移動する。お陰で残飯が出なくて助かるのだが、実は、アタゴロウ(と玉音)は、食事中に何か物音がしたりして集中力を削がれると、割合簡単に食事を中断してしまう猫である。であるから、アタゴロウの「残り物」は、必ずしも「余り物」であるとは限らない。後から続きを食べたりする場合もあるのだ。
 猫飯レフェリーは、その辺の判定も行わなければならない。まだ食べそうだな、と思ったら、アタゴロウの皿を、速やかに、食事中のダメの手の届かないところに異動させなければならないのだ。
 
 
 一週間ばかり前だろうか。
 ひどく疲れて帰って来て、とりあえず猫の夕食を出した。
 先述のとおり、最近の猫飯は、ただ支度だけして放っておくというわけにはいかない。ダメと玉音にウェットフード、アタゴロウにはウェットとドライの盛り合わせを出した後、ダメに食事介助し、ウェットが終わったらドライフードを出してやる。続いて、リビングの座卓の下で待っている玉音のところに行ってドライフードを出してやり、集中力のない彼女が食べ終わるのを見届ける。その後、ダメが盛大にドライフードを散らかすのを拾って皿に入れてやり、これも食べ終わるのを見届ける。いずれも、残り物を放置して、アタゴロウがそれを食べてしまうのを防ぐためである。
 その日、アタゴロウは、夕食を三分の二くらい食べ終わったところで、食べるのをやめてどこかに行ってしまった。レフェリーはこれに「余り物」の判定を下さず、残り物の入った皿を、洗面台の上に置いた。
 その後、ダメがドライフードをはぐはぐ食べているのを眺めているうちに、眠気が襲ってきた。
 ダメが食べ終えたところで、残ったドライフードを片付けるところまでは頑張ったのだが、そこで力尽きた。床の上で寝落ちした。
 どのくらい経っただろうか。
 目が覚めた。
 ああ、片付けなきゃ、と、床の上に放置された空の皿を回収し、洗面台に運んだところで気が付いた。
 あ、アタゴロウの残りご飯、出しっぱなしだった。
 ところが。
 その残り物は、すでに影も形もなかった。洗面台の上の皿は、舐めたように、いや、本当に舐められて綺麗になっていた。
 犯人は分からない。
 だが私は、これは大物の犯罪であると確信した。
 そして、猫飯の片付けが終わらないうちに、不用意に眠り込んだ自分を、大いに反省した。
 
 
 あれ…!?
 ちょっと待った。
 
 
 となると、猫の食事時に、例のCDをかけるのは、危険ではないのか。
 猫飯レフェリーが寝落ちする。残り物が放置される。
 後は、奴らのやりたい放題である。
 なるほど。確かにこれは、「猫のための音楽」なのだった。
 
 
 嗚呼。
 また…
 つまらぬものを、買ってしまった。 
 
  


(音楽鑑賞の図)
 

 棚が散らかっているのはご愛嬌。なお、一番上の段にある、緑色の光を発している黒い物体がCDプレーヤーです。