入院五日目


 
 
 今日もまだウーシャー怒っていた。
 
 
 熱は九度四分。昨日とほとんど変化はない。
 食事は「百パーセント」だそうだ。何でも、昼間、目を離したすきに、食器の中のカリカリの山の、真ん中部分がへこんでいたのだという。どうやら、人間の見ていない隙を狙ってこっそり食べているらしい。
 ウンチも出たという。
 が。
「おしっこをしないんですよ。ですが、膀胱を押してやるとジャーッと出るので、詰まっているわけでは決して、ない。膀胱が回復していないのか、あるいは、環境のせいなのか。」
 トイレには申し訳程度に砂が入れてあったが、それでも駄目らしい。
「それと、血尿が出るんですよ。」
 血尿?
 それって、傷が治っていないということではないのかな?
「膀胱炎でしょうね。ただ、膀胱炎はストレスでもなりますから、入院ストレスのせいなのか、そこが何とも言えない。」
 入院ストレスか。なるほど、多分、それだろうな。(単なる飼い主的勘だけど。)
 で、傷は?
「傷は順調に治っていますよ。ただ、おしっこを出したり、ウンチが出たりすると、ちょっとだけ出血しますね。」
 ううむ。
 血尿に、傷口からの出血。
 なかなか厳しい状況なのだろうか。
 しかし、院長先生の口調からは、「この子には入院そのものが厳しい」というニュアンスがはっきりと感じとれるのだ。
 院長先生は、私の方を探るように見ながら、
「ひとつの方法として、一度家に帰って様子を見るとか。」
 ああ、やっぱり。
 でも、かなり不安だ。いや、帰って来てくれるのは嬉しいのだが。
 ただ、いろいろ質問してみると、だからといって、何か特別に家庭で行うケアがあるわけでもないらしい。傷口を舐めさせないこと、他の猫に舐められないようにすること、気を付けるのはそれくらいだという。
 と、いうわけで。
 木曜日の夜、いったん退院することになった。
「木曜日の夜に連れて帰ってもらって、一晩様子を見て、金曜日の朝にまた連れてきてもらうということで、いかがですか?」
「様子を見るって、おしっこが出るか、とかですか?」
「そうですね。」
「出血しちゃったら?」
「少しなら特にすることはありません。傷はだいたい治ってますから。」
「大量に出血しちゃったときは?」
「夜間救急を利用してもらうことになりますね。」
 ちなみに、その夜間救急であるが、玉音を保護したときは、我が家から歩いて二分くらいのところにあったものが、既に、歩けない距離のところに移転してしまっている。滅多に利用しないとはいえ、残念なことだ。
「お迎えは、このくらいの時間でもいいんですか?」
「いいですよ。」
 それなら、金曜日に休暇を申請すればいい。ちょうどその後は三連休だ。そのまま退院になったら、しばらく家で見張っていられる。
 なお、明日は休診日のため、面会もできないそうだ。
 明日と明後日の二日間で、熱が下がり、出血も止まってくれると良いのだが。
 
 
 面会を終えて時計を見ると、思ったより早く、まだ六時五十一分だった。そこで思い付いて、その足で、かかりつけの先生のところに報告に行った。
 診察時間をちょっとだけ過ぎてしまったが、幸いまだ入口は開いていた。
「ちょっとご報告に来ました。」  
「なに?退院したの?」
「いやいや、さすがにまだです。」
 木曜日にいったん家に戻ることになった旨を説明し、血尿と出血のことを話すと、
「あー、出血ね。ポタポタって出るんでしょ。それは仕方ないかな。当分続きますよ。」
 え、そうなんだ。
「その辺は、傷の治りが遅いですから。大きな血管はないけど、細かい血管がたくさんあるから、ちょっとしたことで出血しちゃうんですよ。」
 そういえば、先生は最初から、傷の治りは遅いと警告してくれていたのだった。
「じゃあ、この程度は、想定の範囲内ってこと?」
想定の範囲内というか…なる子はなりますね。」 
 何だ。
 驚くようなことではなかったんだ。
 血尿についても、入院ストレスかもしれないという話をすると、さもありなん、と、大きく頷いていらっしゃった。
 ついでに、
「私を見てシャーって言います。怒ってます。」
「捨てられたと思ったんでしょ。」
 即答である。
「何をいまさら、って?」
「そう。八つ当たりですよ。その子により、捨てないで〜ってスリベタになる子もいるし、怒る子もいるし。ま、落ち着くまでは、しばらくそんな感じかもね。」
 ああ。分かるなあ。
 いかにもアタゴロウらしい。
 こいつは、普段は無邪気で天真爛漫なのだが、実はその辺り、ちょっと屈折しているところがあるのだ。対して、玉音の方が、不安だと素直に頼ってくるような可愛さがある。意外に女子力が高いのである。
 色々な意味で、納得した。
 やはり、かかりつけの先生は、何かと融通がきくし相談しやすい。ついでに、
(木曜日の夜に何かあったら、お願いしていいですか?)
と、言ってしまいそうになって、はっと気が付いた。
 木曜日は、こちらの病院が休診なのである。
 アタゴロウのやつ。
 相変わらず器用な奴だ。
 
 
 ところで。
 このようないきさつで、昨日の私の悩みは、実に消極的な解決を見た。
 仕事帰りに二軒の病院をハシゴして、さすがに疲れた私には、自宅までの最短ルートを外れてケーキを買いに行く気力など、もはや残っていなかったのである。
 ついでに言えば、次回木曜日は、自転車ではないけれど、アタゴロウを連れているから、結局タクシーで帰宅することになる。その後は、首尾よく行けば退院だ。
 三日間、毎日朝晩ケーキを食べる、などという大それた野望は、やはり、所詮絵に描いた餅に過ぎなかったのだった。