手で触れることができる夜

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 この部屋には悪い気が充満している、と、不意に思った。

 私は障子を開け放ち、和室の掃き出し窓を全開にした。冷たい夜気がゆっくりと部屋の中に流れ込む。私は畳の上に座って、ただじっと、無数の冷たい指のようなその空気の流れが、ひんやりと頬を撫でていくのを感じていた。

 そのとき、生ぬるく淀んだ部屋の中に滞留していたのは、死の気配だったのか。

 それとも、その清々しく冷たい夜風に乗って、死の使いが、音もなく部屋の中に歩み入ったのか――。

 

 ダメは元旦から調子が落ちてきていた、

 もとより自分から食べることはなくなっており、猫ミルクを朝晩、シリンジで強制給餌する日々であったが、元旦の朝から、そのミルクも嫌々するようになっていた。

「ダメちゃん、口開けて。」

 シリンジを犬歯の横から差し込もうとしても、歯を食いしばるようにして(実際には、もう歯はないのだが)、シリンジを拒否する。

 何とかなだめすかしながら、飲ませはしたが、食欲がないことは分かった。

 元旦ではあるが、実家には行かないことにした。行ったら夜まで帰って来られないと分かっていたからだ。

 思いがけず全く外出しない日となったわけであるが、あまり気ぜわしく動きまわるのもどうかと思い、その日は一日、普段やらない繕い物などしながら、ダメの近くに座って過ごした。

 ダメはずっと、ホットカーペットの上で寝ていた。ホットカーペットが心地よいのか、時折、横寝の姿勢で長々と体を伸ばしている。それは本当に気持ち良さそうに見える光景だった。

 天気が良かったので、日向ぼっこもできた。元旦のブログに載せた写真は、やらせでも何でもない。気が付いたらあの配置で、アタゴロウとふたり、日だまりを満喫していたものである。

 ただし、時折起き上がって、水を飲んだりトイレに行ったりする様子を見ると、彼の体力が衰えていることは明らかであった。足腰が弱っているため一度では目的地に辿り付けず、途中で座り込んでしまう。このため水とトイレを近くに設置したが、水はともかく、トイレはどうしても、洗面所にあるいつものモノを使おうとする。彼自身が用を足した後の砂も入れたし、一度はその新トイレの上に立たせて場所も教えたのだが、それでも、新しいトイレには見向きもしない。

 一度、彼が歩き始めたところで、抱き上げて新トイレの方に運んでやったのだが、即座に拒否し、よろめきながら飛び出してきた。正確には、飛び出そうとしてよろけた。それを見て、さすがの私も彼に謝りつつ、洗面所の猫トイレまで運び直してやった。

 もう、歩く力がないのに。

 その意思を悟ってから、私は、彼がトイレに行く時の送迎係を務めることにした。

 彼はよくトイレに行く。ステロイドの影響で多飲多尿となっているからだ。しかし、トイレに行くにも水を飲むにも、移動に難儀するようになったせいか、尿の量は、年末頃より若干減っていた。我慢しているのだろうか。不安と共に、そんな彼を不憫に思った。

 

 一月二日。

 朝、目を覚ますと、ダメがいない。

 その前日あたりから、ダメは夜、私の布団に来なくなっていた。夜中もホットカーペットの上、座卓の下の定位置にいる。

 だが今朝は、布団の中から目を凝らしても、ホットカーペットの上に彼の姿はない。起き上がってリビングを見渡しても、どこにも見当たらない。

 どきりとした。

 野生動物によくあるように、死期を悟って身を隠したのでは?という恐ろしい疑念が、脳裏を掠めた。

 いや違う、きっとトイレだ、と、思い直して洗面所に行ってみると、果たしてその推測は当たっていた。猫トイレの前の床の上に、ダメは座っていた。その目の前で、アタゴロウが悠々とトイレを使っていた。

 ほっとしつつ、彼を抱き上げてホットカーペットの上に連れ戻す。(後から気付いたのだが、この場面は、ダメ自身がトイレから出たとことでへたり込んでいたのではなく、トイレの前まで辿り着いたらアタゴロウが使用中だった、という可能性もあった。だが、その後、彼がトイレに戻りたがったり、ホットカーペットの上に粗相をしたりなどのことはなかったので、やはり出た後だったのだろう。)

 その日は、さくらとRさんと三人で、毎年恒例の猫初詣に行く予定であった。八時頃に、さくらから時間の打ち合わせのメールが届いた。

 その時点で、私はまだ迷っていた。ダメが弱っているのであまり出掛けない方が良いような気もしたが、一方で、むしろそういう時だからこそ、きちんとお参りに行くべきではないかという気もする。さくらにそう返事すると、

「御守りは代わりにいただいてくるよ。側にいられる日は、いた方がいい。一緒にいてあげて。その方が後悔がないよ。」

 やっちーを亡くして間もない、さくらならではのアドバイスだった。

 結局、彼女の親切に甘えることにした。こうして、私の「引きこもり」の二日目が始まった。

 

 ダメは相変わらずホットカーペットの上で、時折姿勢を変えながら、静かに寝ていた。昨日と何も変わらないように見える。だが、体力はさらに落ちており、どうやら立った姿勢を保つのも辛くなっているようだった。

 これは午前中のこと。ふと見ると、ダメがピュアクリスタル(給水機)の広い方の縁にあごを乗せて、そのまま座りこんでいた。姿勢としては安定していたし、この位置ならいつでも水が飲めるのだから、このままでも良いかもしれない、と、最初は思ったのだが、ピュアクリスタルは縁までの高さが十二センチある。いかに大柄なダメでも、座った姿勢で顎を乗せると、若干顔が上向きになり、これでは水は飲めない。

 そっと胴を持ち上げて立たせてやると、彼は流れる水に舌をつけて、水を飲んだ。ゆっくり手を離すと、また同じ体勢でその場に座りこんだ。

 少し考えて、彼の下に座布団を敷いてやった。これだとちょうど良い具合に、ピュアクリスタルが顎乗せ台になる。座布団を敷くとホットカーペットの熱が伝わりにくくなるが、折しも気温が上がり始めた頃合だったことも幸いしてか、これはこれで快適だったらしい。ダメはしばらくその姿勢でじっとしていた。

 

 私が初詣の約束をキャンセルすることをためらったのには、もう一つ理由がある。

 逆説的に聞こえるかもしれないが、本当のところは、私自身がそのとき、内心、出掛けるのが面倒だという気持ちを持っていたからだ。

 朝一番、ダメがリビングにいないことに気付いた瞬間こそ慌てて起き上がったものの、その後は、何だか妙に体が重く、何もかもが億劫だった。行きたくない本当の理由は、ダメのためではない。その自覚があったから、さくらにお願いをするのが、どうにも後ろめたかったのだ。

 しかも、心の中で、しっかり神頼みだけはしているというのに。

 つまり、実際のところは、さくらの優しい言葉に、サボりの理由づけをしてもらったようなものだった。

 ともあれ、出掛けないことに決めたので、あとは前日と同様に家で過ごすわけだが、どういうわけだか、今日は何事にも全くやる気が出ない。どうしても午前中にやらなければならないこと――具体的に言えば、それはアタゴロウのネブライザーなのだが、この話は後日に譲る――を何とか終えると、あとはもう、ぼんやりと本当に何もしないまま、いつの間にか午後になってしまっていた。

 さすがに自己嫌悪に陥った。

 あまりにも無為に過ごしすぎではないか。それに、ダラダラ・ゴロゴロしていると、さらに体が重くなり、余計に動きたくなくなってしまう。ついでに背中や腰が痛くなったり、うっすら頭痛がしてきたりもする。これはつまり、すでに悪いスパイラルに嵌まり込みつつあるということではないか。

 午前中やらなければならないこと、と、書いたが、この日はこのほかにも、昼間のうちにやらなければならないことがあった。買い物である。

 ダメに飲ませていた猫ミルクが、ふと気付いたら、もう缶の底が見えていた。

 ワンラックの五十グラム缶を、一日およそ八グラムずつ消費していたのだから、まあ当然ではある。そろそろなくなりそうだと気付いたのがつい前日か前々日の話で、それから二回ほどは、ミルクの代わりにカロリーエースを飲ませたりしたのだが、それもあと二~三回分しかない。ミルクがあと一~二回としても、今日か明日には買い足さなければならない。

 幸い、調べてみると、先日のペットショップはお正月も営業しているようだった。

 ここでまたしても、やっぱり明日にしようかな、とか、せっかくさくらにお参り代行してもらったのに…などという言い訳が頭に浮かんだのだが、いや今日行く!と、ほとんどゼロに近いやる気を、懸命に奮い起こした。

 悪いスパイラルを脱したい、という思い。

 いや、もっと突き詰めると、そのときすでに、面倒臭さとはうらはらに、外に出たいという気持ちも、無意識のうちに心の中に芽生えていたのである。脱出願望と言ってもいい。何か、部屋の中にじっとしているのが息詰まる感じがして、外界に出たくなったのだ。

 

 外に出ると、冬のひんやりした空気と、お正月の街の静けさが、思っていた以上に心地良かった。

 そして。

 何故だろう、買い物がこんなに楽しいとは。

 お店に入り、品物を眺め、あれこれ迷いながら買う物を選ぶ。レジでお金を払う、店員さんと、二言、三言、話をする。

 こういうのを気分転換と言うんだな、と思った。

 結局、ペットショップでワンラックのゴールデンミルク缶を一缶、続けて酒屋とコンビニに立ち寄り、気の向くままに目に付いたお酒やお菓子を買って、当初買う予定だったゴミ袋(アタゴロウのネブライザー用)は買い忘れて、楽しく帰宅した。

 ちなみに、ワンラックキャットミルクをゴールデンに格上げしたのは、単純に内容量の問題である。

 売り場で三種類の缶を眺めながら、私は嫌な計算をせざるを得なかった。

 ワンラックの五十グラム缶だと一週間程度。二百七十グラム缶だと一ヶ月以上もつ。

 多分、「ちょうどいい」のは五十グラム缶だろう。

 だが、そこで、小さい缶ならロスが少ない、と、考えるのが嫌だった。最初から小さい缶を想定するのは、何か縁起が悪いような気がした。かといって、二百七十グラムを買うのは、現実的ではない。

 ゴールデンミルクは、百三十グラムである。それで手を打つことにした。

 この逡巡の時間は、決して楽しいものではなかった。だからこそ、その後、ついつい余計な酒屋にまで寄り道をしてしまったのかもしれない。

 レシートを見ると、ペットショップで買い物をした時刻が十五時二十二分。その後酒屋とコンビニだから、おそらく帰宅したのが十六時過ぎ。時間にして一時間余りの外出だっただろうか。思いのほか長くかかってしまい、これならお参りに行ってトンボ帰りしても同じだったかも、と、ちらりと思った。

 

 ここから先は、書くのが辛い。

 というより、思い出せないのだ。思いだそうとすると、記憶にさっと幕がかかる気がする。

 まず、自分が夕食に何を食べたのかが、はっきり思い出せない。家に帰ってからは再び怠惰に陥っていたし、買ってきたお菓子でお腹も膨れていたから、どのみち真面目に料理などしなかったことだけは間違いない。

 それでも、多分、何かを食べ、アタゴロウと玉音に晩御飯を出してやった。

 冒頭に書いた部屋の換気は、多分、二匹の食事の後だったのではないか。

 おそらく(覚えていないが)、例によって食べながら和室のマットレスの後ろに潜りこみ、その狭い場所でドライフードを食べ終えた玉音の皿を下げようとして、和室に入ったのだろう。そのとき、ふいにこの生ぬるい空気に嫌悪感を覚え、窓を開けた。

 換気しながら、だがこの冷たい空気が、ダメの体を冷やしてしまうかしら?と少し心配したことを覚えている。リビングの窓ではなくて隣の和室だし、彼はホットカーペットの上だから大丈夫だろう、と、思いながら、時折ちらちらと、座卓の下の彼の様子を窺ったりしていたことも記憶にある。

 彼に最後のミルクを飲ませたのは、多分、その後だったと思う。

 カロリーエースはまだ残っていたが、今回は猫ミルクにした。あくまで私個人の感覚であるが、カロリーエースは「まずそう」、猫ミルクは「おいしそう」に見える。朝はその「まずそう」なカロリーエースだったので、朝晩ともでは可哀想だと思ったのだ。そうでなくても、「まずそう」なサプリメントを混ぜるのであるし。

 サプリを混ぜるかどうかも、少々迷った。昨日から彼はミルクを拒否し始めているのに、無理矢理なだめすかせて飲ませているのだ。わざわざ「まずそう」なものを混ぜて、飲みにくくして与えるのは可哀想な気がした。だが、前回書いたように、サプリは効いているのだ。少々まずくても、飲まないより体を楽にしてくれているのではないか。

 ワンラック缶の底に残っていたミルクを測ってみると、ちょうど一回分であった。過不足なく、きれいに一缶が空になった。

 そう。

 結果論であるが、昼間、あれほど悩んだミルク缶のサイズ問題は、結局どれを選んでも同じだったのである。

 

 そして、最後の強制給餌。

 もしかしたら、私は彼にとって可哀想なことをしてしまったのかもしれない。

 数日前から、ミルクを飲ませる際には、彼を膝に抱き上げていたと書いた。だが、このときは抱っこをせず、元気な時と同じ方法――彼をホットカーペットの上に座らせて、私がそれを膝ではさみ、跨るような体勢のまま左手で頭を持ち上げる――をとった。抱っこよりこの方法の方が、私にとってやりやすいからだ。というより、慣れ親しんだ体勢に近いからだ。彼の背に覆いかぶさるように私の前身をぴったりとつける。抱っこが嫌いで、体の大きさゆえ膝の上にも馴染まない彼と私の、最も日常的かつ濃密なスキンシップは、常にこの形だった。

 ただし、この給餌方法だと、結果的に私がダメの上に乗っているような体勢になる。もちろん、体重はかけていないが、無意識のうちに腹部を圧迫してしまう瞬間があるかもしれない。その点はいつも心配で、可能な限り気を付けてはいた。

 ダメはやはり、ミルクを嫌々した。

 これまでで一番、強く拒否していたかもしれない。

 マスカルポーネが食べられなくなった時点で、嚥下が困難になっているのは分かっていた。このため、彼が口を開け、舌が下がったタイミングを捉えて、むせさせないように少しずつ流し込んでいたのだが、このときは舌が下がらず、食道の入口をほとんど塞いでしまっていた。ゆえに、口腔内を湿らせた以上の分は口の横から流れ出てしまい、結局、半分くらいはタオルが吸ったことになるだろうか。それでもダメは、何とか頑張って全量を飲んでくれた。

「偉いね、ダメちゃん。頑張ったね。」

 誉めながら、タオルで口の周りを拭き、続けてウェットティッシュで顔周りを掃除してやる。いつもの儀式だ。強制給餌は嫌でも、顔を拭かれるのは気持ちが良いらしく、この間はいつも、割合良い表情でじっとしている。この日も偉いね、偉いね、と話しかけながら、顔を拭ってやり、ついでにキスしようとして気が付いた。

「あれ?」

 横腹辺りの毛が濡れている。

 最初は、ミルクがこぼれたのかと思った。が、違う。

「あ…。」

 彼のお腹の下に手を入れて分かった。はじめてのことだった。

 粗相していたのだ。

 

「ごめんね、ダメちゃん。おしっこしたかったの?」

 慌てて彼を抱き上げ、トイレに連れて行った。

 ダメはトイレの中に力なく横たわった。おしっこはしなかった。もう出切っていたのだ。

 やはり、腹部を圧迫してしまっていたのだろうか。彼の気持ちを思うと、申し訳なくて胸がつぶれる思いだった。

 トイレで少し様子を見た後、もう出ないなら…と、リビングに連れ戻そうとしたとき。

 はっと思い付いた。

 酸素室だ。

 開口呼吸などはしていないが、腹部の動きが大きいし、鼓動も早い。呼吸も苦しいはずだ。

 いつであったか、苦しみを和らげるためにしてやれることはありますか?と私が尋ねた時、イケメン獣医師が言った言葉が、頭に甦る。

「いや、何もないです。それこそ酸素室くらいしか。」

 彼が元気で、自分の足で自由に動いていた時は、酸素室に入れてやっても、ほんの短時間ですぐ出てきてしまっていた。

 ホットカーペットの上で寝て過ごすようになってからは、ホースをマスクに付け替え、顔の近くに置いたりしていたのだが、何の関心も示さなかった。むしろ、顔の前に邪魔な物を置かれて鬱陶しいようだった。

 だから、今まで実質、ほとんど活躍の場がなかったのだが。

 今こそこれを使う時だ、と、思った。

 酸素濃縮機をハウス用のホースに繋ぎ直し、スイッチを入れる。濃度計の数値が上がるのを待ちながら、湯たんぽを作る。はじめは二つ。ホットドリンク用の五百ミリペットボトルにお湯を詰めて、百均で買い揃えたうちの一つ、筒型のクッションの中に差し込んで壁際に設置する。いつもキャリーケースに入れて使っている、レンジ加熱タイプのソフト湯たんぽは、ケージの奥。だがその二つでは足りないようなので、さらに湯を沸かし、人間用の大きな湯たんぽを作ってケージの上に載せる。

 ダメを中に寝かせると、そのまま横寝の状態で納まった。抵抗する力もなかっただろうから、実際に酸素室の中がホットカーペットの上より快適だったのかは分からない。ただ、落ち着いた様子には見えた。ケージに手を入れるとほんわりと暖かかったし、体の下は、へたっているとは言え羽根枕である。酸素濃度は四十パーセント近くに上がっていたので、理論上は楽であったはずだ。

 ダメが酸素室にいたのは、およそ三時間弱であろうか。

 酸素室に入った時刻が何時であったかは記憶にない。アタゴロウと玉音の晩御飯は、確実に二十時を回った後である。その後、部屋の換気をして、ダメにミルクを飲ませ、酸素室を準備してから入れているから、そのときの私の行動のスピードを考えると、入室は二十一時半から二十二時の間だったと考えるのが妥当な気がする。

 実は、ダメが酸素室に落ち着いた後、私はアタゴロウに夜のネブライザーをしている。以下がその写真なのだが、撮影時刻は二十二時十二分。画像では分かりにくいが、このとき、ケージの中にはダメが、ピンクのキャリーケースの中にはアタゴロウがいる。

 なお、この写真は、後日「ねこ病院の図」としてブログに投稿しようとして撮影したものである。つまり、この時点で私は、この期に及んで、ダメが翌日の朝を迎えないかもしれないなどと考えてもいなかったのだ。

 

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 アタゴロウのネブライザーの後、また朝からの怠惰病が出た。

 ネブライザーの後片付けは、準備より数倍手がかかる。おそらく、その片付け作業で疲れ切って、またサボりたくなったのだろう。ダメの様子を見るため、ケージの横の床に横たわってビニール越しに中を覗きこみつつ、私はいつの間にかうとうとと寝入っていた。

 浅い眠りから、目を覚ます。

 目を覚ましたきっかけは、覚えていない。もしかしたら、ケージの中から聞こえた「音」だったかもしれない。

 ダメがおかしな呼吸音を立てた。ちょっと喘ぐような、発作のような。

 この音は、つい最近、一日か二日前に聞いたことがあった。その時もドキリとしたのだが、結局のところ、それは「嘔吐」であった。

 抗がん剤を始める少し前から、彼はよく嘔吐をしていた。もともと割合頻繁に吐く猫ではあったが、病気になってからしばらくは、ほとんど毎日のように、食べては吐くを繰り返していた。吐かなくなったのは、皮肉にも抗がん剤治療中である。吐かないが、食べられなくなっていたのだ。

 久しぶりに吐いたな、と、それだけがそのときの感想であった。むしろ、今まで吐かなかったのが珍しいという印象さえあった。

 それと同じ音を立てたのである。

 あ、吐くかな?と思い、顔の下にペットシーツを差し込んだが、そのときは吐かなかった。

 それから――。

 そこが肝心なところなのだが、実は記憶があやふやである。

 彼の呼吸が乱れ始めた。時折、息が止まったように見える。その都度、どきどきしながら顔を近付け体に触ってみるのだが、別に止まっているわけではなく、静かであるが呼吸は続いている。わずかな時間でも本当に止まっていたのか、止まったように見えただけなのか、それは分からない。だが、そんなふうに見えた瞬間が、複数回、あった。

 その複数回は、おそらく小さな発作だったのだろう。だが、その発作がどんな状況であったのかは、記憶が混乱していて明確でない。嘔吐のような音をたてたのか、体がびくりと動いたのか、それとも、何か違う症状があって気付いたのか。ただ、大きな声や音は立てなかったし、体がひきつったり痙攣したりという激しい動きもなかったことは確かだ。

 その何回目かに、ダメの呼吸は本当に止まった。

 私はケージの外から、彼を観察していた。最初の発作以来、「止まった」と思う都度に、ケージの中に半身を乗り入れ、彼の体に寄り添っていたのだが、そのときは本当に止まったとは思わず、体を離してしまっていた。だが、じっと見ていても、腹の動きが全く見えない。手を差し込んで触ってみたが、やはり動きが分からない。

 これは――全く動いていないのではないか。

 呼吸が止まった。つまり、彼が死んだのだということが、私にはのみこめなかった。

 このときの頭の中をどう表現するか。「信じられなかった」なのか「分からなかった」なのか、それとも「納得できなかった」なのか。いずれもちょっと違う。「のみこめなかった」が、いちばん近い気がする。こう書いてみると、ひどく滑稽に響く言葉であるけれど。

 結局、また、腕の中で看取ることができなかった。

 こんなに近くにいたのに。

 厳密に言えば、私は彼がいつ息を引き取ったのか分からないのだ。最後に発作のようなものがあったのは確認しているが、その瞬間に事切れたのか、あるいは、発作の後に何度か呼吸をして、それから召されたのか、または、発作の後もしばらくは生きていたのか。

 彼がいつまで息をしていたのか分からない。そして、息をしていないと感じた後も、それが呼吸の「乱れ」であって、すぐにまた息をし始めるのではないかと、彼を凝視しながら待っていたのだ。

 そうして、一分が過ぎ、二分が過ぎ――。

 何分経っただろうか。

 やはり息をしていない、本当に亡くなったのだ、と悟った時。

 まずは時計を見なければ、と思った。

 スマホを手繰り寄せて時刻を表示する。デジタルの数字は零時二十一分だった。

 日付が変わっていたことに、そのとき初めて気が付いた。

 

 亡くなったダメを、酸素室から出して膝に乗せた。

 そのとき。

 亡骸の口から、液体が流れ出た。

 とっさに、死後も鼻から血を流し続けたムムのことが頭をよぎったが、血ではなかった。

 白っぽい、半透明の液体。それは胃液に薄められたミルクだった。先程、私が無理矢理飲ませたミルクが、そのまま流れ出てきたのだ。

 あの音は、やはり嘔吐しようとした音だったのか。

 後日、動物病院でその話をしたとき、

「もしかしたら、ミルクを吐こうとして、吐瀉物が詰まって窒息したのではないかと…。」

と、私が言うと、イケメン獣医師は、

誤嚥は有り得ることですからね。」

とだけ、静かに言った。

 ドクター・ミツコにも同じ話をすると、

「いや、違いますね。」

 即答だった。

「もう消化する力がなかったんでしょう。胃から先に送り出す力がなくて溜まっていたものが、亡くなってから出てきたんですよ。」

 同様に、粗相をしたのも、私が圧迫したためではなく、単に留める力がなくなっていたからだと言い切った。

 最後に、嫌がるダメに無理矢理ミルクを飲ませたことへの罪悪感。

 それが結果的に、死への引金を引いてしまったのではないかという、恐れ。

 それを薄めてくれたのは、ミツコ先生の優しさなのだろうか。

 

 どのくらい、そうしていただろう。

 膝の上のダメは、まだ温かく、柔らかかった。それでもそこに生命が宿っていないことが、だんだんと私の眼にも見えてきた。

(本当に、亡くなったんだ…。)

 私の中の何かが、静かに目を覚ました。

 私はダメの亡骸を座布団の上にそっと降ろし、立ち上がって、最初に、酸素濃縮機のスイッチを切った。

 ずっと鳴り響いていた低い作動音が止んだ後の静寂は、不思議なほど私の思考を明晰にした。

 私はこの二日間で初めて、テキパキと動いた。猫トイレの掃除をし、自分と猫たちの食器を片付け、洗濯物をたたみ、風呂に湯を入れる。明日、いや今日、火葬の受付はあるだろうか、と考えつつ、電気釜をセットして、翌朝の起床時刻を決める。

 あの体の重さが、嘘のように消えていた。

 まるで、自分の中で、違う時間が動き出したかのように。

 

 児童文学作家の竹下文子氏の初期作品に、「ポケットの中のきりん」という佳品がある。児童文学と言っても、この作品は、作者自身が後に述べているように、子供向きに書かれたものではない。少女から大人になろうとする十代の作者自身のために綴られた、美しくも繊細なラブ・ストーリーである。

「わたし」は、お気に入りの喫茶店で、高層ビルの窓磨きを仕事にしているコージさんという青年と出会う。その喫茶店は、一風変わったマスターの経営する名前のない小さな店。自由に生きたいと願いながら街の中に自分に合う休み場所を見つけられないような、そんな少し心淋しい人たちが、思い思いに時を過ごす場所だった。「ここでは、ひとりひとりに、それぞれ違う時間が流れるからです。」と彼女は言う。

 だが、コージさんと出会って以来、彼女がその店で過ごす一人の時間は、彼を待つ時間へと変わっていった。

「きみは、自分の時間の使い方を忘れたね。コージの時間の中で暮らそうとしているんだ……。」

 マスターの半ば忠告めいた指摘も、彼女の心には響かない。

 そんなある日、窓磨き中のゴンドラの事故で、コージさんは急逝してしまう。彼女は、彼を待つ店の中で、その事故の報を聞く。

 そして、夜が訪れる――。

 

******************

 みじかい空白があり、それから長い長い夜がきました。

 夜は、どこまで行っても夜でした。手で触れることができるほど濃い色の夜でした。

 その深くてあたたかいやみの底から、忘れていた私の時間が、ゆっくりとまいもどってきました。

******************

 

 私の時間が動き出した。

 深夜の風呂に浸かりながら、私は目を見開いたまま、心の中でそう、つぶやいた。

 これまで、私の時間は止まっていた。

 否。私の時間ではない。この二日間、私は死にゆくダメの時間の中で、彼と一緒に生きていたのだ。

 彼の死によって、私は私の時間の中に戻って来た。人間の時間、人間の社会生活というものの中に。

 彼を愛している。彼を失ったことが辛い。それでいて、そこに戻って来たことへの深い安堵が、悲しい静謐とともに私を包んでいた。

 

 私とダメの物語は、これで終わりである。

 その夜は、ダメを座布団ごと私の枕の横に寝かせて一緒に寝た。彼と一緒に寝るのはこれが最後なのだと、ほろ苦い思いで彼の長い背中を眺めながら。

 短い睡眠から覚めたとき、彼の体は、すでに固く、冷たくなっていた。

 姉に連絡して来てもらい、納棺を手伝ってもらって、火葬の手配をした。遺体はその日のうちにお寺にお預けし、翌日、荼毘に付された。

 その後、私の日常は、何事もなかったかのように、ごく普通に営まれている。週末の新年会だけはさすがに遠慮したが、別に泣き暮らすわけでもなく、食が進まないといったこともなく、いつもどおりに仕事に行き、職場の人たちと話し、冗談も言い合う。事情を知っている人は気遣ってくれるが、その方々にも、そしてダメにも申し訳ないくらい、当たり前に、元気に過ごしている。

 一月十一日土曜日。

 お寺に、ダメの遺骨を引き取りに行った。

 引き取りのサインをし、ロッカーの鍵を借りて、納骨堂に入る。二階の一番端の列のロッカーに、ダメの遺骨は納められていた。鍵を開けると、小さな骨壷が出てきた。

 ミミやムムの骨壷と、同じ大きさ。

 ダメ自身は、彼女たちより一回りも二回りも大きい猫だったのに。

 ロッカーから抱き取った骨壷は、ひんやりと冷えていた。その冷たさ・固さは、霊安室で最後に触れた彼の遺体のそれと、そっくり同じものだった。

 涙が溢れた。

 亡くなった翌朝、開け放った和室の掃き出し窓に向かい、座布団に横たわっていた彼の、もう動くことも鳴くこともなくなった姿が、鮮やかに眼前に甦った。

 休みなく流れ続ける重い雲の塊が突然切れて、雲間からさっと光が差すように、もう封印されたはずのあの時間が、ふいに舞い戻って来たのだ。慌ただしい人間の時間の流れの中に、すでに遠い過去となって取り残された、小さな淀みのようなあの時間が。

「ダメ、大好きだよ。」

 誰もいないのを幸い、私はしゃがみこんだまま、彼の骨壷に額を押しつけ、声に出してつぶやいた。いつも、彼の頭に額をくっつけて囁き続けていたように。

「おうちに帰ろう。帰ろうね、ダメ。」

 用意してきたマフラーに骨壷をくるみ、リュックに入れて、「おなかだっこ」にした。あったかくして帰ろう、と、冷たい骨壷に話しかけながら。

 

  接触

 手で、舌で、からだでの触れ合い。

 肉体に触れ、体温を感じ、息遣いや鼓動を確かめる。

 いのちといのちの時間の繋ぎ目は、多分、そこにあるのだ。

 

 

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