カテーテルに花束を

 

  日本の多くの小中学校で、夏休みが終わってから、すでに二週間近く経つ。

 私はもとより、夏休みの宿題を八月三十一日にやるタイプである。いや、正しくは、我が家の場合、宿題を終わらせる期限は三十日だったのだが、締め切り直前になってから突貫工事で片付けていたことには変わりない。そして、その性癖は、残念なことに、大人になった今でも変わっていない。

 三つ子の魂百まで、とはよく言ったものだ。夏休みが終わり、秋風が吹き始めたことで、ようやくお尻に火が付いた私は、今頃になって、五月の出来事をブログに書いているのである。

 玉音の闘病記の、残り部分。

 忘れないうちに書かないと、と思っているうちに、玉音の四十九日も過ぎた。新盆も過ぎた。誕生日(仮定八月二十三日)も、とうに過ぎてしまった。

 もう、今さら感いっぱいである。

 読んで下さる方にとっても、もういい加減、過去の話だろう。同じ話を蒸し返すようで恐縮ではある。だが、これは記録である。いつの日か、この記事が残っていて良かったと、自分自身、(あるいは、誰かが、)思う日が来るかもしれない。

 

 

 玉音の闘病の記録は、結局、三回で終わってしまっていた。

 だが、その三回で書けなかったことは沢山ある。というより、肝心なことが書き残せていない。

 具体的に言えば、カテーテル給餌のことである。

 私も経験する前は少し怖かったし、猫にとっても苦しいのではと警戒していた。しかし実際にやってみると、カテーテル給餌は想像以上に「良いもの」であった。(もちろん、やらないで済むならそれに越したことはないのだが。)

 であるから。

 もしも、いつか、必要となる日が来たら、私は迷わずにその手段を選択する。そのときのために、記録は残したい。

 そして、他の人にも知ってもらいたいのだ。

 カテーテル給餌は怖くない。猫にとっても、場合によっては、強制給餌より負担が少ない方法になる。「もしも」のときに、これは積極的に検討して良い選択肢だと思う。

 

 

 まずは、経過を時系列で並べてみる。

 読み返していただければ分かるが、過去三回の記録は、二回目の「再縫合の翌朝」から、三回目の「次の歯科病院通院」までの間、およそ二週間が空白となっている。

 二回目の記事の最後は、四月三十日の朝である。なお、今年のゴールデンウィークは、四月二十九日から五月一日までの三連休から始まり、五月二日、六日が「飛び石」の平日、七日と八日の土日を経て、九日から平常に戻る、という休みの配置だった。

 

 五月一日(日) 私の膝の上で、指からちゅーるを舐めた、という記録がある。

 五月二日(月) 家主出勤。夜から玉音の体調下降。

 五月三日(祝) 夜、嘔吐する。このとき、吐瀉物と一緒にカテーテルが抜けてしまう。

 五月四日(祝) かかりつけの動物病院に連れていく。経鼻ではなく食道カテーテルを勧められたが、連休明けまでは休日のため人手がなく処置ができないため、当面、口からカテーテルを入れる方法を教えてもらう。

 夜、はじめてトイレの外で水様便を粗相。

 五月五日(祝) 近所にある別の病院が営業していたので、食道カテーテル設置に連れていく。結果、やはり経鼻の方がいいだろうということで、改めて経鼻カテーテルを設置してもらう。

 五月六日(金) 家主出勤。

 五月七日(土) かかりつけの動物病院へ。(コンベニア注射のため)

 五月八日(日) 家主休み。特に何もなく、落ち着いていた。

 五月九日(月) 家主出勤。この日に友人に送ったLINEに「ジャンプするようになった」とある。

 五月十日(火) 家主出勤。

 

 この後、十一日(水)の夜から三回目の記事が始まっている。

 五月六日からつけていた給餌量の記録を見ると、アぺ缶一缶を完食できるようになったのが、五月七日からである。その後、九日に「ジャンプするようになった」というLINEを友人たちに送っているのだから、週末はかなり持ち直していたのではないかと思う。

 だが、その間、玉音の口からの出血が、完全に止まっていた期間はなかった。

 血液検査の際、赤血球だけでなく、血小板も極端に少ないことが指摘されていた。そのせいもあって、出血が止まりにくかったのだろう。

 今気が付いたのだが、玉音が力尽きた原因について、私はこれまで書いていなかった。後日、ミツコ先生と話したのだが、結局のところ、玉音は貧血に負けたのだと思う。もとより、「普通なら生きてはいないレベル」の貧血であったものが、その後もずっと出血し続けていたのだ。食物を消化する力も、血液を製造する力も衰え、一生懸命食べさせても、血液量の回復が消費に追い付かなかったのではないか。

 私がその推測を述べると、ミツコ先生は、

「でしょうね。」

とだけ、静かにおっしゃった。

 後から考えるに、これはとても重要なことだ。食べさせること・出血を止めること、この二点がきっちりとできていたら、少なくともこの時点で、玉音の命は繋がっていた。術後の猫が食べたがらないなら、迷わずカテーテル給餌に進む方が賢明なのだ。今となってはそう確信している。

 ただし、玉音の場合、カテーテルを入れたことによって、鼻からも出血していた疑いはある。

 

 

 カテーテルを入れた当初は、一度に十ミリリットル程度しか入らなかった。このため、一日トータルで四十~五十ミリリットルくらいしか給餌できなかった。

 これについては、ミツコ先生に、

「食べないでいたから、胃が縮んじゃってるんですよ。食べさせているうちに、だんだん戻りますから。」

と言われ、飼い主的にはかなり安心した。実際、少しずつ増やしていくという方法で、再縫合から十日目の五月八日には、目標値であるアぺ缶一缶をクリア。以後は毎日余裕で、一缶プラスちゅーる少量(投薬用)を摂取していた。

  

 

 

 次に、給餌の手順である。(あくまで我が家の場合である。)

 まず、一回分の流動食を、電子レンジで人肌程度にあたためる。

 併せて、人肌程度のお湯を用意する。これは、台所の給湯器でも賄える。

 流動食とお湯を、それぞれ別のシリンジに吸い上げ、お湯のシリンジは保温ボトルに入れて、いざ給餌場所へ。

 玉音を捕まえてネットに入れる。このときファスナーの開け口が、ちょうど首の後ろ辺りに来るように位置を調整する。

 給餌場所のセッティング。これは、食べ物の匂いを嗅がせて、胃腸を動かすためである。私の場合、「カップに残った流動食(お代わり用)」「玉音の好きなカリカリ」そして「鰹節の匂い袋(だしパックに花かつおを詰めたもの)」を、玉音の前に並べた。特に、鰹節は、鼻先でパックを揉んで、匂いを嗅がせていた。

 それからおもむろに、ネットのファスナーを少し開け、頭の後ろ辺りにあるカテーテルの先端(注入口)を引っ張り出して、お湯のシリンジを繋ぐ。

 お湯を少量流して、むせないこと、即ちカテーテルが正しく食道に挿入されていることを確認する。本来なら、その後、少し引き戻して、胃液が上がってくることを確認するのだが、細いカテーテルだと陰圧に負けてしまうため、後述するようにカテーテルを入れ直した後は、そこは省略していた。

 シリンジを流動食の方に繋ぎ替え(このとき、お湯のシリンジは冷めないよう保温ボトルに戻す)、あとは様子を見ながら、ゆっくり流し込んでいく。

 一食分流し込むと、おそらく、猫の方も満腹感が出てくるのだろう。たいてい、最後の頃になるとモゾモゾしはじめる。本気で嫌がりだす前に、程良いタイミングで流動食を終わらせ、最後に、もう一度お湯のシリンジを繋いで、残ったお湯でカテーテルの中を洗い流す。

 お湯を通し終わったら、シリンジを外し、注入口のキャップを閉めて完了。

 なお、シリンジを外したり繋ぎ替えたりするときは、空気が入らないよう、なるべくチューブを折り曲げるようにしていた。とはいえ、これはネットで見ただけの知識なので、必須というわけではないと思う。実際、やり忘れることもあった。

 

 

 最初に歯科病院でカテーテルを設置してもらったとき、渡されたものの中には、シリンジや流動食(カロリーエース)の他に、「生理食塩水」と吸い上げ用の「注射針」、そして、吸い上げるときに周囲を消毒するための「アルコール綿」の三つがあった。

 何のためかというと、つまるところ、前段で私が「お湯」と書いた部分に「生理食塩水」を使っていたのである。

 だが、給餌のたびに生理食塩水を使うとなると、こう言ってはナンだが、結構手間がかかる。生理食塩水は冷蔵保存だし、無くなったら、病院や薬局に行って購入しなければならない。そしてもちろん、給餌の都度の消毒の手間。さらに、注射針は使い捨ての医療廃棄物であるから、捨てるのも簡単ではない。

 ミツコ先生にその話をしたところ、むしろお湯の方がいい、と言われた。

 曰く、流動食はカロリーを高めるため油脂分を多く含んでいることが良くあり、となると、カテーテルの内壁にそれが付着して、詰まりの原因になるのだそうである。最後に水を流すのは、カテーテル内を洗浄するためであるが、油脂分を洗い流すためにはお湯の方がいい。そもそも、経口投与なのだから、必ず生理食塩水にしなければならないわけではない。(猫が自分で水を飲むのと同じことである。)

 当初、生理食塩水の使用を指示されたのは、胃が縮んで食べられない猫の負担を減らすため、吸収を速める意味だったのだろうか。だが、私が生理食塩水からお湯に切り替えた頃には、玉音の胃はだいぶ回復していたはずだから、問題はなかったと思っている。

 

 

 経鼻カテーテルは一週間から十日くらい、食道カテーテルは一か月以上はもつ。私が最初に説明を受けたときに聞いたのは、確かそんな話だった。(うろ覚えである。間違っているかもしれない。)

 使っているうちに、チューブが固くなってしまう、ということらしい。

 それを聞いたとき、私は、

(なるほど。定期的に交換しながら使っていくんだな。)

と、理解したのだが、それは、少なくとも二つの意味で間違いだった。

 まず、カテーテルの設置は、そこまで簡単な話ではない。

 全身麻酔が必要な食道カテーテルはもちろんだが、最初は簡単に設置できる経鼻カテーテルも、何度も挿し替えることにはリスクがある。ミツコ先生には、抜けたら次に入れられるかは保証の限りではないから、抜けないように気をつけろと言われた。

 しかし、最初に掲げた時系列記録にあるように、玉音のカテーテルも一度抜けている。

 その原因は、完全に私にある。実は、私が今でも、玉音に申し訳ないと、深く後悔している判断ミスがもう一つあるのだ。そのことを次に書く。

 なお、「間違い」のもう一つは、要するに、カテーテルは案外簡単に抜けるということである。猫は器用だから、気を付けないと自分で抜いてしまうよ、とミツコ先生も仰っていた。少なくとも経鼻カテーテルについては、「何日もつか」は、事実上、素材の耐用日数の問題ではないのではという疑いを抱いている。むしろ、いかに抜けずにもたせるか、という問題であるような気がする。

 

 

(向かって左から、モグニャン、鰹節の匂い袋,アぺ缶お代わり用)

 

 

 玉音の体調は、五月二日から下降気味だった。これはおそらく、二日の日中から夜にかけて、私が不在だったからだ。仕事だからやむを得ないとはいえ、連休の谷間で仕事が忙しく、さらに帰りが遅くなった。

 私がいない、ということは、その間、給餌ができないということである。

 さらに、もしかしたら、私が傍にいないことで、玉音の精神面への影響もあったのかもしれない。

 翌三日も、玉音の体調はふるわなかった。給餌は続けていたが、なかなか目標量に達しない。四月三十日に歯科病院に再診に連れて行ったとき、当時、一日の給餌量は四十ミリリットルくらいだったと思うが、それでは少なすぎる、二百は与えろと言われていた。それが念頭にあって、多分、私は焦っていた。

 その夜、玉音は嘔吐した。夜も遅い時間、十時か、十時半くらいだったのではないか。

 胃酸の匂いがする嘔吐だった。人間でも、胃が悪かったり、車酔いしたり、あるいは、アルコールを飲み過ぎたりといった場合にするような嘔吐である。

 私はそこで、考えてしまった。

 というのも、その日の給餌がまだ終わっていなかったのである。もう一回、「寝る前」の分が残っていた。

 嘔吐したということは、その前に入れた分が吸収されていないということである。つまり、給餌量としては、いつもに増して絶対的に不足しているということだ。

 悩みながら、一時間ほどが過ぎた。

 玉音の様子を見ると、とりあえず落ち着いている。

 これは笑えない笑い話だが、例えば、アルコールを飲み過ぎたとき、あるいは車酔いしたとき、「吐いてしまえばすっきりする」という事実がある。そのとき、ふと、そんなことが頭をよぎったのだ。

 嘔吐してから約一時間。もう落ち着いたのではないか。

 そう。

 私は、嘔吐してまだ一時間しか経たない玉音を捕まえて、次の給餌を試みてしまったのである。

 

 

 だが、これは飲み過ぎや車酔いとは違う。飲み過ぎや車酔いは病気ではないが、玉音は病気なのだ。そんな当たり前のことに、なぜ思いが行かなかったのか。

 無理やり食物を流し込まれた胃は、すぐに反応した。

 ネットから解放された玉音は逃げ出した。そして、間髪を入れず、勢いよく嘔吐した。

 その直後。

 驚いてパニックになっている玉音がいた。

 その光景を見て、何が起こったのか、私にも瞬時には理解できなかった。

 玉音の口から紐のようなものが飛び出していた。それがカテーテルだと気付いたとき、私はとっさに、鼻から外の部分、頭に糸で固定していた部分が外れてしまったのだと思った。だがよく見ると、頭の糸は切れていない。頭には元どおり、チューブの末端がしっかり固定されている。

 たまたまその日、他の人が書いた、猫の経鼻カテーテルに関するブログを読んでいたのが幸いだった。その記事には、カテーテルが抜けた場合の対処法が書かれていたのだ。

 玉音と同じくらい、私もパニック状態であったが、カテーテルが抜けたのだということだけは分かった。ブログには、抜けたカテーテルを素人が戻すことはできないから、全て抜去しろと書いてあった。記事の詳しい内容まではさすがに覚えていなかったが、その日見たばかりのブログである。同じ記事を検索して確認するのは簡単だった。

 玉音のカテーテルは、つまるところ、鼻から入って喉を通り、口から出ている状態である。外に出ている部分をつまんで引っ張れば、喉を通ってするりと抜けるはずだ。

 だが。

 鼻側か口側か、どちら側から引き抜けばいいのか。

 冷静に考えればすぐわかる。鼻側から引っ張るのだ。だが、そんなこともとっさには判断できず、そこでまた、内心恐慌をきたした。

 それでも何とか玉音を捕まえ、鼻側からそっとカテーテルを引き抜き、糸で縫い留めた管が額からぶら下がる状態にした。それを頭から外したわけだが、そのときは、糸を切ったのか、後ろから引き抜いたのか、それは覚えていない。

 ただ、やはり素人には怖かったし、激しく後悔したことだけは覚えている。こんなことなら、給餌を見送ればよかったのだ、と。

 なお、その嘔吐の原因は「貧血」というのが、ミツコ先生の見立てである。

 

 

 翌朝。

 ミツコ先生は、私が持参したカテーテルを見て、少し驚いたようだった。

「え、六フレンチ。こんな太いの、よく入ったわね。」

 確かに、玉音の右側の鼻の穴は、カテーテルでいっぱいになった状態だった。ちょっと苦しそうに見えて、可哀想な気はしていた。それでも、その太さのおかげで、給餌はすいすいと入り、初心者にとっては心強かったことも事実だ。

 だが。

 太さの問題ではなく、もう一度経鼻カテーテルを入れること自体について、ミツコ先生は難色を示した。

 玉音の場合、長期戦になることは必至である。経鼻カテーテルは基本的に長期使用に適さないし、流動食しか流し込むことができない。食道カテーテルにした方がいいのではないか、というのである。

 経鼻だと当然、鼻の粘膜にダメージがあるし、口呼吸になることで、人間と同様、感染症などのリスクも高くなる。当初聞いた話では、挿入する鼻の穴を右、左、右…というように交互にしてリスクを回避するということだったが、回を重ねるごとに、そもそも管が入りにくくなるのだという。一度抜けたら次も入れられるという保証はない、というのは、このとき聞いた話だ。

 それなら食道カテーテルで、とお願いしてみたのだが、先生はうーんと唸り、

「うちでもできるんですけど、連休中で助手がいないから、今日はやれないんですよ。」

 助手さんが出勤してくるのは連休明けだという。やむを得ず、連休明け九日まで、「口にチューブを入れて給餌する」という方法で乗り切ろうということになった。

 当日入れて五日間。

 できるだろうか。

 結論から言えば、失敗であった。

 口から管をいれても、素人が食道まで挿し込めるものではない。要するに口腔内に流し込むわけで、猫が嚥下してくれなければお手上げなのである。

 記録を読み返すと、一応、飲んではくれていたようだ。だが、一度に給餌できる量が少なすぎて、人猫とも負担の割には効率が悪かった。

 会話の途中でミツコ先生はちらりと、最初から食道カテーテルにしておいた方が良かったのではないか、とおっしゃっていたが、そもそも、歯科病院の先生に尋ねられて、経鼻を選択したのは私である。食道を切開すると聞いて、恐れをなした、というのが本音のところだ。

 私の選択は、ここでも裏目に出ていたのである。

 

 

 口カテーテルは早々に諦め、他の病院に行って、早急に食道カテーテルを設置してもらうことにした。

 だが、件の歯科病院も連休中は休診である。かつてアタゴロウとダメちゃんがお世話になった猫専門病院にも電話してみたが、たまたまなのか方針なのか、食道カテーテルは置いていないと言われ、代わりに夜間救急や休日診療の病院を探すサイトを教えてもらった。

 そのサイトを見て気が付いた。何と、我が家のごく近所に、休日も診療している病院があるではないか。それも、それなりに大手の。

 病院のハシゴで初診というのは嫌がられそうだが、そんなことを言っている場合ではない。

 翌日(五月五日)、朝一番でその病院に電話して事情を話し、玉音を連れて行った。

 診察してくれたのは、若くてきれいな女性の獣医さんである。

 手術記録と血液検査の結果を見せ、状況を説明すると、獣医さんはしばし沈黙した。そして発した回答が「食道カテーテルはお勧めしない」だった。

 曰く、切開のために麻酔をかけるので、そのリスクがある。出血のリスクもある。また、カテーテル設置部分が外気に触れるため、別の意味で感染症の危険もある。しかも、この子は傷が治りにくい。

 もしかしたら、その獣医さんは、玉音の余命が長くないことを見越して、食道カテーテルを設置するメリットはないと判断したのかもしれない。彼女自身は決してそれを匂わせることは言わなかったが。(むしろ、私が口に出しかけたら「この子の前でそれは駄目」と怒られた。)

 結局、もう一度経鼻カテーテルを設置することになった。

 今度のカテーテルは、前回と比べると驚くほど細い管だった。これなら、右の鼻の穴からも呼吸ができるのではないか。――え、右?

「あれ、おんなじ側なんですか?左右交互に入れるって聞いてましたが。」

「ええ。でも、左に入れると、全然鼻呼吸ができなくなってしまいますから。」

 右の鼻の穴にダメージがあったということだろう。事実、玉音の鼻の穴は、最後まで血が滲んでいたし、それに加え、鼻の頭にチューブを固定した糸に引っ張られて、皮膚が少し裂けている部分があった。痛みと違和感は続いていたのだろうと思う。

 ちなみに、新しいカテーテルの太さは「四フレンチ」であった。今にして思えば、鼻の穴にダメージがあったからこそ、敢えて細い管を選択してくれたのかもしれない。ミツコ先生は、今度は細すぎるといって詰まりを心配していたが、実際には詰まることはなかった。

 ただし、前半に書いたように、細いチューブは陰圧に負ける。このため、当初は行っていた「(お湯の)シリンジを引き戻して、胃液が上がってくるのを確認する」という手順ができなくなったわけである。

 

 

カテーテル再設置前の写真。エリカラの中に、カテーテルを巻き込むニットの首巻きが見える。)

 

 

 女医さんのセンスなのか、新しいカテーテルを設置した玉音は、首に赤いリボンを結んだ姿で登場した。

 それを見て、私は思わず破顔した。

(可愛い…。)

 そう。本当に可愛かったのだ。白い被毛に、赤いリボンがよく似合っていた。

 歯科病院で最初にカテーテルを設置した時は、ベージュ色の筒状のニットを首周りに被せられていた。鼻の穴から頭上を経て首の後ろに至る、チューブの先端部分を収納するためである。歯科病院では、首の後ろから注入口まで、十センチくらいだろうか、長さにかなり余裕を持たせていたので、その余剰部分をニットの折り目に押し込んでいたのだが、今度は首のすぐ後ろに注入口がある。このため、ニットの中に余分のチューブを巻き込む必要がなく、リボンで十分ということなのだろう。

 玉音は、首輪を付けたことがない。

 そもそも、抱っこも出来ない、爪も切れない猫だったのだ。シャンプーさえしたことがない。汚れとノミでボロボロの状態で保護したにも関わらず、保護当初に発熱してタイミングを逃し、そのまま大きくなってしまった。

 つまり、生まれたままの、野良のままのカラダなのである。

 その子が最後の最後に、室内猫らしく、可愛らしい赤いリボンを付けた。本当によく似合っていた。写真を撮らなかったことが悔やまれるほどに。

 そのリボンは、今、玉音の骨壺の前にある。ほんの短期間しか使わなかったものだが、あの可愛い姿の記憶ゆえに捨てることができなかった。それが玉音の形見のようになってしまっているというのは、何とも可笑しく切ない。

 まるでそれが、玉音が飼い猫であったことの、たった一つの証拠であるようで。

 

 

 玉音の闘病について、書き残すべきことは、このくらいだろうか。

 玉音の闘病期間はおよそ一か月。思い返すと、運命の分かれ道はいくつもあった。それを、その都度、私は間違った方を選んできてしまったような気がする。

 だが、それは言っても仕方のないことだ。

 ある人に言われた。もしあの時、延命していたら、ひょっとしたら、玉ちゃんはもっと辛い思いをしたかもしれないよ、と。

 そうかもしれない。

 でも、それもまた、言っても仕方のないことだ。人生に「たられば」はない。どちらが正解だったのかは、永遠に分からないことなのだ。玉ちゃんは旅立ってしまった。小さな赤いリボンひとつを形見に残して。

 だが、ここで敢えて言い添えておく。ここに書いたカテーテル給餌は、私にとって、実は幸せな体験だった。介護の経験値が上がったから、という意味ではない。玉音の小さな体を膝の間に感じながら、うっすらと温かい、良い匂いのする流動食を、ゆっくりと彼女の胃袋に流し込む。それは何か、心安らぐ時間でもあったのだ。

 その形状からの連想にすぎないのかもしれないが、その間、カテーテルは、まるで「絆」というものの体現のようだった。その絆を通じた、玉音と私との、一体感のようなものが、そこには確かにあったのである。

 あれほど散々、私から逃げ回っていたけれど、玉音はそれでも、私を愛し、信頼してくれていたのだ。温かい流動食が流れるカテーテルは、その心の通い合いそのものだった。そう思えてならない。

 

 

「絆」つながりで、もう一つ、私自身のことを書かせてもらう。

 実はこの春、私は職場を異動していた。新しい職場に入って間もなく、玉音の闘病が始まったわけだが、もとより私が猫飼いであることはほとんど知られていない。上司や同僚が、どの程度理解のある人かも分からず、その中で、猫を理由に休暇を取ることに、私は肩身の狭さを感じていた。

 だが、結果的には、このことが私に幸いしたのである。

 職場の重鎮、私には完全に「雲の上の人」だった大先輩から、ある日突然、声をかけられた。その人も猫飼いだったのだ。

 他にも、猫を飼っている人、犬を飼っている人たちが、「猫ちゃん、どう?」と声をかけてくれるようになった。そこから「うちもね…」と、ペットの話が始まり、私の職場内での交友関係は、一気に広がった。

 玉音が縁を、すなわち周囲の人々との絆を、繋いでくれたのだ。

 互いのスマホで猫の写真を見せ合いっこすることになり、私がその大先輩に玉音の写真を見せたとき、先輩がふとおっしゃった言葉が忘れられない。

 玉音の背中の上の方ある、横に二つ並んだ斑を見て、先輩はこう言ったのだ。

「あら、可愛い。羽みたい。」

 

 

 

  

 絆――人と人との繋がり――はまた、しばしばリボンに例えられる。

 だが、骨壺の前の赤いリボンを見ると、私の脳裏にはむしろ、あまりにも有名な、あの歌が浮かぶ。

 

  この広い野原いっぱい 咲く花を

  ひとつ残らず あなたにあげる

  赤いリボンの 花束にして

 

 カテーテルという命綱をはずし、首に結んだ赤いリボンからも、するりと抜け出して。

 天国に飛び立った玉音は今、生まれたままの野良さんに戻って、野原いっぱいに咲く花の中、光と戯れているのだろうか。